バレンタインと監督

 2月14日。


「おっ、代表ちゃんじゃーん。それにアスカちゃんも。ちっすー。どったの?」

「よォ、イサねェちゃん」

「差し入れに来た」


 ミタカと一緒に事務所に来た俺は、イサに持ってきた袋を渡す。


「今日はバレンタインだろう? 事務所の従業員に分けてほしい」

「えー! 代表ちゃんの手作りー!?」

「いやシオミが手配してくれたもので……」

「あっはっは! 分かってるって! ガミさんもマメだよねー」


 そういえば去年は知らない間にシオミが事務所に届けてくれていたらしい。今年は用事のついでで、俺が持たされたわけだが。


「んじゃ、ついでだから代表ちゃんに持って帰ってもらおっかな」

「いいけど、何をだ?」

「チョコに決まってんじゃーん」


 イサは机からいくつかの箱を持ってくる。


「まず、めじろ製菓から『チョコション』ね。事務所宛と、代表ちゃん宛に来てたから」


 秋田県の製菓会社、めじろ製菓は今年こそ生産ラインを確保して、ゲーマー向け栄養食『オコション』の期間限定版『チョコション』を販売していた。


「次はNoimoGamesの有志一同からね」

「有志」

「メッセージカードに名前書いてあったよー」


 マウラと、モロオカと……あと数人。宛先が『ゲスくんへ』となっている。


「よう、ゲス。モテてんな」

「……次は?」

「あしのゆの女将ちゃんから。こっちはシノザキ先生からね」


 あ、見たことあるパッケージだ。あの高級なやつ。……まあ、誰か食べられるだろう。うん。


「それから~」


 ドン、と段ボール箱が置かれる。え、こんなに?


「おっと残念! これは代表ちゃん宛じゃなくてね、ケモプロ選手宛!」

「ケモプロ選手……に、チョコを?」

「そうそう。そういうファンもついたんだねー」

「それはありがたいことだが……食べられないぞ。AIだし」

「いやそこは相手も承知だろが」


 それもそうか。


「とりあえず……ケモプロ選手宛のは、ライムと相談してほしい」

「オッケーりょーかい。とりま、事務所に来たのはこんな感じ? でも代表ちゃんは他にももらったんじゃない?」

「もらったな」

「誰から誰から!?」

「ツグ姉と、ずーみーと、ニャニアンと、ライムから」


 ニャニアンとライムから貰うのは初めてだった。ライムとは一緒に住んでいるし、ニャニアンも最近は家によく来るから、その流れかもしれない。


「なにそれ、モテモテじゃん! あっれ? アスカちゃんは代表ちゃんにあげないの~?」

「やるやらねー以前に、バレンタインとか好きじゃないんでね」


 ミタカが肩をすくめると、「ははーん」とイサが目を光らせた。


「読めた! アスカちゃん、学生時代はもらう側だったっしょ?」

「うッ」

「マジ? 当たり? やっば、チョー面白そう! 詳しく聞かせて!」

「ぜってェヤダ」

「マジトーンじゃん。ちぇー」


 イサはしぶしぶといった感じで引き下がる。


「で? そんなバレンタイン嫌いのアスカちゃんが来た理由は?」

「仕事だっつの」


 ミタカはトランクケースを持ち上げて見せつける。


「ヤクワナミに会いに来たんだけど。どこだ? 黒いのいねェな」

「いや、いるだろう。こっちだ」


 ユーザーサポート部門のデスクに向かう。全身黒……ではないが落ち着いた配色の服を着て、縁の黒い眼鏡でPCに向かっているナミがいた。こちらに気づいて、立ち上がって礼をしてくる。


「お、おはようございます……!」

「おはよう。仕事は順調だろうか」


 大学の春休みは長い……らしい。ナミには2月から事務所でアルバイトをし、今はユーザーサポート部門を手伝ってもらっている。期間は3月末まで。


「は、はい。なんとか……」

「なんとか、ちゅーことはないやろ。有能やで。おはようございます、代表」


 部門を仕切るようになったロクカワが近づいてくる。


「有能か」

「PCがちゃんと使えて、文章がちゃんと書けて、マナーもなっとる。助かっとるわ」

「いえ、それだけですし……」

「それだけ、の人材もなかなか来なかったりするもんなのよ」


 ロクカワが遠い目をする。前職ではいろいろあったらしい。


「ほんで、何の用なん? ミタカさんまで連れて」

「いくつかあってな」


 ロクカワが来たならちょうどいいか。先に伝えておこう。


「今後の状況次第だが、事務所は閉めることになるかもしれない」

「あぁ……コロナウイルスの」


 新型コロナウイルス。1月ぐらいから騒ぎになり、日本国内でも感染が見つかり、最近はクルーズ船の集団感染が話題になっている。


「電車に乗って通勤しているメンバーもいるからな。社用のノートPCを持ち帰ってもらって、家からリモートで作業してもらうことを検討して欲しい。モニタも貸し出して構わない」

「ちょっと強い風邪やろ? 大げさやと思うけどなぁ……」

「封じ込めて根絶できるならそれに越したことはないだろう」


 過剰反応と思われるぐらいがちょうどいい……かもしれないが、わからないな。経済的にはかなりの痛手を受けている。日米交流戦観覧ツアーは、前半の日本ツアーこそ決行したが、後半のアメリカツアーはキャンセルを決断した。ユーザーへの返金だけでなく、このツアーでの収入を見込んでいた現地のホテルとかにも補填はしないといけないし。気軽に「来年に延期」とも言えない状況だ。


「まあ、そういう方針なら従いますわ。他には?」

「あとは、ナミに話がある。配置換えの提案をしにきたんだ」

「えっ……」


 ナミがロクカワと俺の顔を交互に見る。


「あの、その、それは」

「いや、ナミの働きぶりに不満があるわけじゃない。ロクカワも今言った通りの評価だろう?」

「ええ、きっちり仕事してくれるいい子ですわ」

「そうだろう。ただ、よりナミに向いていそうな仕事があるから、それを任せたいと思っているんだ」

「私に、ですか?」

「ナミは野球監督の経験があると聞いた」

「え、そうなん?」


 ロクカワが訊くと、ナミは小さく頷いた。


「選抜では男子野球部の監督にやってもらいましたが、それ以外は部員がやることになっていたので。あとは、引退後に後輩の指導で……ですけど、それが何か……?」


 カナとニシンはなんだかんだ言ってライパチ先生が監督をやっていたのだが、そういう体制の整っていない女子野球部というのも意外とあるのかもしれない。


「新しいサービスを開発しようと思ってな。そのテストプレイを頼みたいんだ」

「テスト?」

「『投球練習シミュレーター』を今、機器販売部では取り扱っているだろう」

「はい。そちらに関するサポートへの問い合わせも増えています」

「寄せられた意見をまとめて報告してもらっているが、やはり『バントシフトを敷きたい』とか『守備位置の指示を出したい』という意見が多かった」

「そうですね。でも、それらに関するアップデートはすでに発表済みのはずですが……」

「それを応用して、別のサービスも出せないかと思ってな」


 投手が実践的な試合経験を積むのは難しい。投球練習シミュレーターはそのハードル、場所的制約、練習に付き合う人数的制約を取り払うものだ。これが好評で、ひいては『プロの指導ではないか』と嫌疑をかけられるほどの効果を期待されている。


 であれば、より経験を積むことが難しい役職向けのサービスを出してもいいかもしれない。


「指導者向けに、『野球監督シミュレーター』を出そうと思うんだ。監督になって、ケモノ選手の試合で作戦を指揮する。実際の練習試合じゃ、選手に配慮してしまって思い切った采配や新戦法は試しづらいだろう? これならひとりで思う存分試行錯誤することができる。必要な機材も」


 ミタカが持っているトランクケースを指す。


「VRヘッドセットぐらいだ。むしろ、VRヘッドセットがなくたっていい」


 動作を取り込む必要がないし、処理はほとんどサーバー側だから、やろうと思えばスマホからだってできる。……大きな画面でやったほうがいいとは思うが。


「サービスとして使い物になるか、操作性はどうか、そういった面をテストプレイを通じて評価してほしいんだ。実際に野球経験、監督経験がある人間に頼みたい。そこで、ナミにやってもらおうと思うんだが……どうだろうか?」

「私が……」

「いやむしろワイにやらして欲しいんやけど!?」

「ロクカワにも監督経験が?」

「いや、それはないけど――でもやりたいやんそんなの! そんなのゲームやんけもう!」


 そう言われることは想定していた。しかし。


「投球練習シミュレーターの機材費がないだけで、利用料金は同じだぞ。割引はなしだ」

「ウ……」


 ケモノ選手を試合で動かすためのサーバー側の負荷は高い。最初に機材費のかかる投球シミュレーターや投球練習シミュレーターは、その分ある程度までの期間の利用料金に割引をつけているが、機材費がほぼかからない野球監督シミュレーターでは、マネタイズはサーバーの利用料金しかない。ちょっとしたゲーム気分でやるには少しためらう料金設定だ。


 そもそも、今のところあまり儲けは考えていない。それとは別に、二つほど別の狙いがある。


 ひとつに、ライムとサトシいわく、『えらいひとが納得しそう』だとか。投球練習シミュレーターは現役投手だけが対象で、いわゆる『えらいひと』は疎外感を感じる。しかし、野球監督シミュレーターに選手能力は必要ない。今回の騒動を起こした大人へのいい目くらましになるとか……料金が高めならそのうちそういう人間は興味を失うだろうとか……なかなか怖いことを言っていた。


 もうひとつは、イルマとフジガミから言われていた宿題だ。


 人間が、ケモノ選手の指揮を執る――つまり、eスポーツの種目として成り立つかどうか? その可能性を探っていく。


「いやっ、それでもワイは金を出す! 出すからトリニキ、なっ!? プレイできるスペックのPCも家にあるし!」

「……他の業務に影響が出ないよう、業務中にテストプレイをする分には、別に構わない」

「よっしゃ!」

「レポートは書いてもらう」

「まかしとき!」


 やる気がある人間がやってくれる分には、むしろプラスか。根は真面目だし、本来の業務を放り出すこともないだろう。


「それで、ナミはどうだろうか? 興味がないなら、今の仕事を続けてもらっても」

「いえ、私もやります。その方がKeMPBのためになる……んですよね?」

「とても助かる」

「だったら、がんばります」


 ナミは頷く。経験者がテストしてくれるのは心強い。


「よかった。これで一つ目の用件は完了だな」

「一つ目……? あの、私に、まだ何か?」

「ミタカを紹介しにきた。そういう約束だっただろう?」


 納会の時、進路相談についてミタカを相談すると言ったのだが、それより先にナミが帰ってしまったので話が宙に浮いていた。


「オウ。ケモプロの役に立つ勉強がしたいってんだろ? いいぜ、聞いてやる」

「それは……嬉しいですけど、その、いいんですか? 私なんかに」

「将来、KeMPBに就職を考えてくれているんだ。それならアドバイスぐらいしても損じゃない」

「先行投資だよセンコートーシ。マ、芽が出るかどーかは知らねェけどな。んで? どこの大学だって?」

「あ、えっと」


 ナミは大学名を告げる。


「――……それでスポーツ科学について学ぼうと思っているんです。ケモプロは選手が本当にトレーニングして成長しているじゃないですか。だから、そこで力になれればと思って」

「フン。まァ目の付け所は悪かねェな」

「研究室選びをどうしようかな、と」

「一年から立派なことで。目当てのトコはあンの?」

「ダイドウジ先生のところがいいんじゃないかと思ってます。科学的な肉体トレーニングを研究しているところで、とても人気が高いんですが……」

「……ダイドージ? 待て待て」


 ミタカはナミを止めると、スマホを操作し始めた。


「……あァ、そうか。なんか大学名に聞き覚えがあると思ったぜ。ダイドージのトコか」

「知り合いなのか?」

「例の部屋のな」


 次世代部屋。従姉たちが大学時代を過ごした場所。


「あと、アイツは投球シミュレーターにも関わってる。あの計測用のボール、ダイドージがムッさんに作らせたヤツだかんな」


 言われてみると聞いたことのある名前のような気がしてきた。


「よし、分かった。ダイドージのトコに行きたいっつーなら、口は利いてやるぜ」

「本当ですか!?」

「使い物になるか見てやれ、ってだけな。ダイドージが認めねェならそれまでだ」

「ありがとうございます!」


 ナミはミタカに頭を下げ、ミタカは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「あの、オオトリさんも……ありがとうございます。あの時、失礼なことをしてしまったのに、こんなによくしてくれて」

「約束だったし、別に失礼なことなんてない」


 俺が事情を話していないことを、相手がどうやって避けようがあるのかという話だ。気にしていない。


「アルバイトに来てくれて感謝している。これからもぜひ、KeMPBの力になって欲しい」

「……はい!」


 そのためにはKeMPBももっと成長しなければいけない。やれることを増やし、ちょっとやそっとのことではグラつかないようにし、ケモプロを何十年と続けるために。


「私、頑張ります。……あと、あきらめません」


 ナミはバッグから包装された箱を取り出すと、それを俺に渡しながら言った。


「きっと認めてもらえるようになりますから」

「期待している」

「……オマエさぁ、オマエ……ああ、いいよ、いいから、ヤメロ、訊くな。黙れ、な?」

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