煩悩とせくはら

 ニャニアンが脱いでいた。

 パーカーだけでなく、上着も。ベルトも外している。


「……ニャニアン、なぜ脱ぐ?」


 ニャニアンは熱っぽい声で答えた。


「煩悩のため、デス」


 ◇ ◇ ◇


 五月も下旬。ようやく発注したサーバが届き、俺とニャニアンは例のデータセンターにやってきていた。

 前回、一人で作業するのは大変だったらしい。手伝ってほしいと相談され、手の空いていた俺が同行することになった。確かにサーバは大きくて重い。これを一人でラックに納めるのは大変だっただろう。


 二人で力を合わせてラックに収納して、梱包財の片付けやケーブルの配線を済ませ、いざ電源を投入しようとなったその時――



 ニャニアンが脱いだのだ。



 いつものダサイパーカー、その下のダサイ上着、何か妙なデザインのベルト、靴、靴下、ブレスレット、アンクレットを、サーバルームの硬質な床に脱ぎ捨てる。


 ――そして、サーバの前で座禅を組んだ。


「なぜ脱ぐ」

「煩悩のためデス」

「煩悩……?」


 上はブラジャーだけ。下はベルトを抜いたパンツだけという格好。

 世の男なら確かに煩悩が掻き立てられそうだが。


「煩悩はサーバに障害を生むのデス」

「障害を」

「システム障害、ハード障害……煩悩にまみれたサーバは、最悪のタイミングでそれを引き起こす悪魔となるのデスヨ。デスカラ、電源を入れる時は、煩悩を捨てなければイケマセン」

「つまり――これらは煩悩だと」


 脱ぎ捨てられた服らを指すと、ニャニアンは頷いた。


「オタグッズ、デスカラネ」

「――オタグッズ」

「もがコレはステルス性が高いノデ、日常使用が可能ナノデス」


 どうやら『もがコレ』の関連商品らしい。これらの何が、もがコレと関係があるのかさっぱりわからないが――ステルス性とはそういうことなのだろう。きっと、ファンにしかわからないのだ。


「煩悩を捨てれば、サーバ障害は起きないのか」

「イエ? 起きマスヨ?」


 起きるのかよ。


「デモ、壊れてもいい時に壊れてくれるようにナリマス。ディスクも電源も順番にひとつずつ死んでくれるとか。まさに理想の壊れ方デス」


 それって大丈夫なのか……いや、物はいつか壊れるんだから、確かにタイミングを選んでくれるならそれにこしたことはない、か。


 ニャニアンはひとしきり念じた後、電源を投入して服を着た。

 着替え終わってから、ハタと俺を見て


「……高校生には刺激的すぎたデスカ?」


 とようやく聞いてくる。


「いや、大丈夫だ」

「デスヨネ。なーんか、ダイヒョーには見られても平気そーな雰囲気があるんデスヨ」

「それならよかった」


 勝手に脱がれたのに、見ただのなんだので怒られたりしたらかなわないからな。


「起動ヨーシ! よかったよかった。疲れマシタネ。休憩室行きマショウ」


 サーバルームを出て、データセンター内の休憩室へ。データセンターだからかどうか知らないが、ウォーターサーバが置いてあって、無料で飲める。ありがたく飲ませてもらおう。


「喉渇きマスヨネー、サーバルーム。フルマラソンしてるから? あ、ソーダ、ダイヒョー、奈良での商談はどうだったデスカ?」

「……駄目だった」


 ゴールデンウィーク。余裕を持って日程を組み、奈良県を訪問したが、結果は駄目だった。


「どうもプロ野球とは立地的にも縁がないようでな」


 そもそもプロ野球の公式戦が、奈良では六十年以上開催されていない。理由は、電車でそんなに時間のかからない隣県に、牛の球団の本拠地たるドームがあるからだろう。高校野球では、なかなか強豪がいるのだが。


「特に担当者が最初から不審がっていてな……俺が少し強気でいたのも悪いのかもしれないが……」


 特に奈良では、過去独立リーグに参加するため設立したチームが一年で消えている。その印象も強かったのかもしれない。島根と鳥取での成功に気をよくして、押せ押せだったのが悪かったのだろう。


「スポーツ用品ブランドの方がうまくまとまったのだけが救いだ」

「ナカジマサンでしたっけ? 聞いたことないブランドデス」

「国内メーカーで、野球用品を一式扱っている。昭和から野球一筋でやってきたが、最近海外メーカーに知名度で負けつつあると考えているようでな。そこで俺たちのゲームに乗ってくれたというわけだ」


 NAKAJIMAデザインのバットやグローブがゲーム内に登場するようになるわけだ。早速、ずーみーがモデルやテクスチャの作業に入っている。

 何はともあれ、その契約金でこうして新しいサーバが買えたわけだ。開発作業が止まらないのは感謝しなくては。


「それはともかく、なんとしても後二球団分のネーミングライツを取り付けないとな。いや、二球団といわず、四球団」


 六球団によるリーグを実現するためには、資金が足りない。球団名、オーナー権、球場命名権を売り。ゲーム中に登場する物品のブランド権を売り。手を尽くしてようやく六球団をまかなえるサーバを揃えることができる。

 ただし、四球団分全部契約ができなければ、残り二球団の契約は始められない。とにかく早く四球団分契約を取り付けて、追加の二球団にとりかかりたい――だが、奈良はうまくいかなかった。


 島根と鳥取が特別だったのか? 焦りは募る。なんといっても、契約分はあくまで初期コストの話で、ランニングコストには広告費とユーザからの課金が必要なのだ。ここで躓いているようでは――


「ダイヒョー、スマホ鳴ってマスヨ?」

「おっと」


 着信。シオミからだ。通話を取る。


「ユウ様。セクハラです」


 なぜ、ニャニアンが脱いだのがバレたんだ。



 ◇ ◇ ◇



「もう一回言ってくれるか?」

「セクシーはらやま、です」


 駅から徒歩15分。オンボロビルの狭いオフィス内に、シオミの声が響いた。


「なるほど……もう一回」

「セクシーはらやま、です」


 響きが面白すぎて五回ぐらい言ってもらっている。あのシオミが「セクシー」とか言うのが面白すぎて。が、さすがにそろそろ呆れ顔をされてきたので、繰り返すのはやめた。


「略して、セクはらか。……聞いたことないな」

「郊外をメインに全国展開している、衣料品のチェーンです。自社でデザインした服を大量生産し、安く売る。業界でも上位に入る規模の会社です」

「ふむ」


 スマホで検索する。セクシーはらやま……今季のオススメアイテム……。


「……ダサいな」

「ええ」


 俺は洋服に頓着しない人間だと自負しているが、それでもひと目でわかるダサさだ。着こなしの参考にと登場するモデルからして、ダサい。昭和のセンス、とでも言えばいいのか。マストバイなんてとても言えない。


「しかし安いので、世の中の子持ちの中年男女から広く支持されているのです」

「ダサくても」

「安いですから。機能的にも、長持ちするとの評判です。オシャレをしたいけどお金がない、というような中高生の女子にも、需要はあるそうですよ――今のところ『せくはラー』が生まれていない以上、着こなしは至難のようですが」

「シオミも買ったことあるのか、セクはらで」

「あるわけないだろう」


 素の口調に戻ってシオミが答える。確かにそういう服を着ているところは見たことがなかった。同居している間に買ってもらった服も、こうしてセクはらを前に考えてみると、なかなかオシャレだった気がする。


「どういう会社なのかは分かった。それで、問題があると言ったが、もう一度整理してもらってもいいか?」

「わかりました」


 結論から言うと、契約相手の情報漏えいだった。

 シオミが契約をまとめた野球用品ブランドのナカジマの担当者が、セクはらに勤める友人に野球ゲームの契約をした話をしたらしい。


「そこから話が漏れはじめている、と?」

「いえ。正確には情報漏えいには至っていません。友人同士の秘密の話、ということで他には言っていないと。ただ、セクはらの担当者が相当な野球好きで……それなら自分も一枚噛ませろ、と。さっそく本日弊社と顔合わせをしたい、と」

「いい話じゃないか」

「すでにユニフォームについても、ナカジマと契約を結んでいます。セクはらと組むものがありません」


 野球で衣料品といえばユニフォームだ。が、全チームのユニフォームデザインもナカジマが担当することになっている。

 ――ではなぜ、セクはらの担当者をここに呼ぶのか。その理由は。


「……ナカジマとの契約を反故にするかどうか……つまり、ナカジマからセクはらに乗り換えるべきか考えないといけないということか?」

「そうです。資金面だけで言えば、セクはらはナカジマより数段上です」


 セクハラなのにか。


「担当者は筋金入りの野球好きらしく、ナカジマへの違約金を肩代わりしてでも組ませて欲しいと。ユニフォーム分だけでも、かなりの額を提示されました。正直なところ、ナカジマとの契約がすべて飛んでも、おつりが帰ってきます」

「資金面だけで考えるなら、組むべきだということか」


 すでにナカジマ製品でモデルやテクスチャを作っているずーみーの作業が無駄になるが、それでもメリットがあるとシオミは判断したのだろう。


「しかし社を立ち上げて間もない現在では、信用を稼ぐのが大事だというのも事実です」


 契約金の価格設定は安くしている、とミタカとシオミから聞かされている。安く売ったものを、より高値をつけてくれる人が後から出てきたからというだけでキャンセルするのは、信用を失いかねない。


「断っても他の契約が順調にゆけば、計画に問題はありません。ですので……ユウ様が、代表が大事と思うほうへ舵を切るべきかと」

「代表として……か」


 いまだにしていることの多くは雑用と呼べるようなもので、会社の代表になったという感慨は沸かない。けれどすでに肩書きは代表なわけで、シオミは決断を任せると言っている。これも、俺の仕事なのだ。

 会社として何を捨て、何を得るべきか。


「……守秘義務契約があるはずだ。今回はナカジマが情報を漏らしたわけだし、セクはらに乗り換えるとしても、こちらに非はないんじゃないか?」

「確かにその通りです。なんならこちらがナカジマへ違約金を請求することもできますよ……多少強引にはなりますが」


 こちらがナカジマに違約金を払ってセクはらに乗り換える、というのは穏当な案だったようだ。


「お金は欲しい――が、それはやめておこう。それにナカジマとの契約だって大変だっただろう? 新しい野球用品ブランドと契約できるかも分からない」

「では……」

「ああ――セクはらとも契約しよう」


 シオミは眉根を寄せる。


「とも、ですか。つまり――ナカジマにユニフォームの権利だけ諦めてもらう、と」

「守秘義務契約のことを持ち出せば、その程度は飲んでくれるだろうし、服は服屋に任せたほうがいい気はするが――ユニフォームについてはナカジマとセクはらで決めてもらえばいい。そこはどちらでも構わない」

「というと……?」

「ゲーム中に出てくる服は、ユニフォームだけじゃない」


 売れるものは売っていこう。


「それにそんなに野球が好きなら――もっといい話を振ったほうがいいだろう? セクはらの本社ってどこにあるんだ?」

「確か――」


 続けられたシオミの答えに、俺はなるほどと頷いた。


「なるほど、担当者が早速来るだけの事はある。それじゃあ――待とうか」

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