幼馴染と後輩
「おーい、ユウ、起きろよー」
ガタガタッ。
「地震か」
「そう思うならもうちょっとびっくりして起きなよ。もうホームルーム終わったよ」
体を起こして辺りを見回す。教室だ。目の前にはニシンがいる。机を揺らして起こされたらしい。
「どいてよ、掃除できないじゃん?」
「ああ、悪い。すぐにどく」
鞄を持って立ち上がると、ニシンは小さな体でえっちらおっちら机を隅に寄せていった。ぴょこぴょことツインテールが揺れる。
どうやらもう放課後らしい。ミタカたちと日の出頃まで打ち合わせをして、なんとか学校には来て――それからの記憶がないな。
「ニシン。俺はちゃんとノートを取っていただろうか?」
「手は動いてたみたいだけど? 見てみたら?」
「そうしよう」
自動書記とは便利なスキルを身につけたものだ。ひとつノートを取り出して開いて――うん、ダメだな。
「うわぁ、何これ、古代文字?」
「古代人も大変だろうな、こんな文字じゃ」
「しょーがないなー、あたしの見せてあげよっか?」
「助かる」
明るいノリと運動面ばかり目立つせいで誤解を受けがちだが、ニシンはそんなに頭は悪くない。そもそもこの学校に入れるレベルだし、入ってから俺のように堕落したわけでもない。文武両道というやつだ。
「それで、なんだって古代人を神降ろししちゃったのさ?」
「土日で島根と鳥取に行って、その後朝まで打ち合わせをしてた」
「え、旅行? やった、お土産は!?」
お土産。
「その発想はなかった」
「はー? えー? ノートまで貸してくれる女神のような幼馴染にお土産のひとつもなし?」
「次回は覚えておく」
契約、商談。そればかり頭にあって、お土産を買ってくるという考えすらなかった。あっても、金がないから買えなかったかもしれないが。
そうか、どおりでイルマも鳥取の担当者も、わざわざ時間を割いて名産物の案内をしてくれたわけだ。勉強になるなあと聞いていただけだったんだが……買うべきだったのか。
「でー? お土産もなしに何しに行ったのさ?」
「例の会社の用事でな。商談というやつだ」
「うわぁ……ユウが働いてる……」
うわぁ、とはなんだ。
「社長ってそんなに忙しいの? なんかすごい部屋のすごい椅子で暇してるイメージしかないんだけど」
自分もそんなイメージだった。だが実際にやってみるとこれがなかなか忙しい。
「大企業はどうだか知らないが、うちは人数が少ないからな。他の人が手が回らない仕事が山ほどある。実態は雑用係だ」
本来ならもう少し、シオミと業務を分担するべきところがあるんだと思うが……まだそこに手は回らない。まだまだ一人前には程遠いと実感させられる。
そう考えこんでいると、ニシンはニヨッと笑って言った。
「ふーん……でも、楽しそうだね」
「そう見えるのか」
「うん。少なくとも前より充実してるッ、って顔してるよ」
ニシンがそう言うなら、そうなんだろう。一年前の自分を思い返してみれば、確かに何もやることがなくて、予定が満ちてはいなかった。ただただ、家と学校を往復しては自室に引きこもる日々。それと比べれば、今はなんて活動的なのだろうか。
「カナちゃんも最近は張り切ってるし、あたしも負けてらんないね!」
「カナも?」
「陸上部始めたんだよね」
「陸上――野球部は?」
「ん、兼部」
兼部か。幽霊部員ではなくまじめにやってるやつなんて初めて見たな。しかも運動部で。
「マネージャー業だけは、他の子に引き継いだけどね。今は女子野球部でバットを振り、陸上部でトラックを駆け抜けてるよ」
「――短距離走のためか?」
「ああ、それは聞いてるんだ? そうそう、入団テストのね」
プロ野球の入団テストは、まず最初に短距離走と遠投で基準に立たないと、次の段階に進めないという。そのための特訓だろう。カナは着実に準備を進めているようだ。
「それで、ニシンは何をがんばるんだ?」
「進路決めることかなー……」
「ニシンが……進路に迷いを……?」
頭は悪くないが、基本脳天気なニシンが……?
「うっさい。あたしだって三年にもなりゃ意識するって。幼馴染二人がばっちり決めてればさ、そりゃあ。なーんも考えずに、野球やって勉強してここまで来たけど……」
「女子プロの入団テスト受けるんだろう?」
「NPBと違って、全体的に年俸が低いんだよね……もし受かってもバイトと二足のわらじになりそう。かといって弟と妹が来年、高校と中学、それも私学に入学だからさー……進学はちょっとね。奨学金もらってまで勉強したいものもないし」
ニシンは掃除用具を片付けると、パンパンと手を払う。いつのまにか教室の掃除は終わっていた。教室にはもう他に誰もいない。
「まッ、目の前のことからコツコツと! よーっし、部活行くぞー! 夏の大会、出るぞー!」
「いけそうか?」
「いけそうか? じゃない。行けるし、出るんだよ!」
その心意気はわかる。――一年前は理解できなかったかもしれないな。
「ユウは? バイト?」
「ちょっと時間があるからな――俺も部活に顔を出してから行くか」
「そうしなよ。後輩を放っておいたらかわいそうじゃん。じゃーね!」
ニシンが教室を飛び出していく。俺も鞄を持ち直して、誰もいない教室から出て行った。
◇ ◇ ◇
「おっ、先輩、おはざッス!」
漫画部の部室へ行くと、万年コタツでずーみーが作業をしていた。ペンをくるくる動かして、タブレットをつついている。
「寝ずに来れたんスね。てっきり、今日は休むかと」
「貴重な出席日数だからな。ずーみーは平気だったか」
「いやー、途中で寝落ちしちゃったし、余裕でしたね」
そういえば合宿中、途中から無言だったな。寝てたか。
「余裕で――昼まで寝てましたね!」
「そうか」
それは余裕とは言わない。
「疲れてるのか? 昼まで寝てたなら、来ないで休んでいてもよかったろうに」
「やー、平気ッスよ。それに、家よりもこっちの方がはかどるんで」
そういうものか。確かに、他にやることのない環境のほうが集中はしやすいな。
「作業のほうはどうだ?」
「3Dは順調ッスよ。ツグ先輩が作ってくれたプラグインが使いやすくって」
プラグイン――既存のソフトへの追加機能か。作ったのか。
「3Dは――というと?」
「……漫画ッスねー……」
ずーみーの手が止まる。
「アスカ先輩の話じゃ、クラウドファンディングが始まる八月からWeb連載を、って話じゃないッスか? でも、何を描いたらいいやら。ネームも全然思い浮かばないし……イメージがつかめないっていうか」
「ネームか……」
ずーみーは漫画家志望だ。漫画の描き方を勉強したい――そう言ってこの部に入ってきた希少な存在だが、あいにく教えられる人間はいなかった。なにせその時、部にいたのは幽霊部員の俺一人だったからな。
もちろん、俺は描けない。いわゆる読み専だ。
――いや、正確には小学生の頃にそれっぽいものを描いたことがあるが……棒人間を漫画とは言わないだろう。
「まだゲームも作っている途中だしな。チームの選手が決まる頃にはなんとかなるだろう。まずは当面の作業に集中する、という方向でいいんじゃないか?」
「そッスね。悩んでてもしかたないし、急に思いつくかもしれないし」
うんうん、と丸メガネが揺れるほど頷いて、ずーみーは作業に戻る。
俺もそろそろバイトの時間だ。部室を出ようとして――ふと思い出す。
「――そういえば、ずーみー。新入部員は入ったか?」
「えっ?」
「今年の、新入部員だが……」
「え?」
………。
「忘れていたな……お互いに」
「ゲーム開発の方に集中していて、気が回らなかったッス」
四月も後半に入る。もうほとんどの新入生は部活動を決めているだろう。
「……来年、勧誘すれば存続には問題ないな」
幽霊でもいいから存続させてくれ、と頼まれる部活動だ。最低限の存続ができれば問題ないだろう。
「OBとして手伝ってもらえるッスか……?」
「ああ、もちろんだ」
見上げて訴えてくるずーみーに、俺は力強く頷いた。
ああ、もちろん、なんならライパチ先生に協力させよう。存続は教員の意向だからな。
まったく、幽霊部員も楽じゃない。
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