アライさん、サーバルに威嚇勝負を挑む

双海

アライさんの威嚇訓練

「ふはははは! 逃げずによく来たな、なのだー!」

 アライさんがいます。腕を組んで仁王立ちしていました。

 悪者にしか見えません。

「逃げないよ!」

 そんなアライさんにサーバルちゃんが歩み寄ります。

 まるで悪と戦う勇ましい英雄です。

 二人がするのは威嚇勝負なんですけどね。




 遡ること半日前、ボクたちは森の中を散歩していました。

 そこで偶然、威嚇の練習をしていたアライさんたちを見つけたのです。

 なんでも、アライさんは威厳を身につけたかったそうです。

 そこから話が発展して、アライさんがサーバルちゃんに威嚇勝負を提案したのでした。

 サーバルちゃんも、威嚇は苦手だから克服するいい機会、と言って賛成。

 そして二人は別々の場所で練習して、今に至ります。

「かばんさん、そっちはどうだったー?」

 フェネックさんがボクの隣に来ました。

 ボクはサーバルちゃんの練習に付き合っていたので、世間話ついでに訊ねたのでしょう。

「サーバルちゃんは頑張っていました」

 曖昧な返答をします。

 作戦を考えたボクから見ても、どうなるかは神のみぞ知る、と言ったところ。

「聞いておいてなんだけど、全部教えて貰ったら、見る楽しみが減っちゃう所だったよー」

 そういう楽しみ方もあるんだ、と感心しながら、ボクは対峙するサーバルちゃんとアライさんに視線を戻します。

「先攻は譲るのだ! アライさんを威嚇してみるのだ!」

 アライさんは自信満々のようです。

 サーバルちゃんには一応作戦があるように、アライさんにも何かあるのでしょうか?

 疑問を覚えましたが、考えを纏める間もなく、サーバルちゃんが口を開きました。

「始めるよ」

 言い終えるのが早いか、サーバルちゃんは一歩進みます。

 二歩、三歩と続けて歩み、足を止めたのは、アライさんとサーバルちゃんの前髪が触れ合うほど二人が近づいた時でした。

 そしてアライさんをじっと見つめます。

 ボクがサーバルちゃんに伝えた作戦。

 それは、ただ近距離でじっと見つめるだけ。

 お粗末過ぎる作戦だと自覚しています。

 でもサーバルちゃんの威嚇は、ガオー! と吠えるだけで、ボクでさえ怖いとは思えませんでした。

 まだこちらの方が効果的。

 事実、アライさんはサーバルちゃんの行動に戸惑っています。

 けど、これは諸刃の剣。

 なにしろサーバルちゃん、今の状態を長い間維持出来ません。

 時間が経つにつれ、どんどん顔がふにゃけてしまうのです。

 見つめるだけと言っても、緩い表情になれば効果がありません。

 そして残念なことに、サーバルちゃんの限界は約三十秒。

 すっごく短いのです。

 十秒、二十秒……。

 アライさんは耐えています。

 タイムリミットが近い。

 二十八、二十九――三十秒が過ぎました。

 けど変です。

 サーバルちゃんの顔がふにゃけません。

 さらに五秒過ぎて、ボクは気付きました。

 若干涙目になりながらも、サーバルちゃんが自分の太腿を抓り、我慢しているって。

 四十秒。ようやくアライさんの方にも限界が近づいて来たようで、目が泳ぎ始めました。

 そして五十八秒、とうとうアライさんは顔を逸らします。

「やったー! アライさんが顔をそらした! わたしの威嚇が通用したー!」

 飛び跳ねながらサーバルちゃんは喜んでいます。

 アライさんはアライさんで、ぐぬぬ、と悔しがっていました。

 ……ですが、これって冷静に考えると――。

「威嚇勝負っていうより、我慢勝負だったねー」

 ボクの胸中をフェネックさんが言語化してくれました。

 でも、アライさんもフェネックさんも結果に異議を唱えませんでした。

「つ、次はアライさんの番なのだ! 準備するから目を瞑るのだ!」

 準備って何をするのでしょう?

 フェネックさんの楽しみ方を見習って、ボクも目を瞑ります。

「フェネックー、アレを持って来て欲しいのだ!」

「はいよー」

 会話から察するに、アライさんはなにかを使うようです。

「目を開けていいのだ」

 許可が出たあと、ボクは目を開け、アライさんを見ます。

 ……多分、アライさんです。

 大きな布を頭から被って全身を隠していました。

 もぞもぞ動いているので、間違いないでしょう。

 フェネックさんは傍で布の端を握っていますし。

「サーバル、ちゃんとアライさんを見るのだ!」

「う、うん、ちゃんと見てるよ……」

 サーバルちゃんはすでに及び腰。

 瞼を開いた直後、動く布を真っ先に見たら、動揺もするでしょう。

「フェネック、引っ張るのだ!」

「りょーかい、っと!」

 フェネックさんが布を引っ張り、アライさんの姿が現れます。

「わっ!?」

 サーバルちゃんが驚いて後ろに大きく飛んだのは、ほぼ同時でした。

 無理もありません。

 気味の悪い木製の仮面をアライさんは被っていました。

 少し離れた場所にいるボクも驚いています。

 あれはアライさんの手作り?

「ふははは! サーバルを驚かせてやったのだ!」

 腰に手を当て、声高々に笑うアライさん。

 仮面のせいで不気味です。

「そ、その顔どうしたの!? 大丈夫!?」

 サーバルちゃんは驚いたことを忘れ、アライさんの心配をしていました。

 服を脱ぐことさえ知らなかったサーバルちゃんです。

 顔の形が変わったと思ったのでしょう。

 ボクはすぐに説明しようとしましたが、先にアライさんが仮面を外します。

「これを被ってただけなのだ」

「そ、そうだったんだ……よかったぁ」

 サーバルちゃんは胸を撫で下ろし、アライさんは満足そうです。

「本当にびっくりしたよ」

「アライさんは、サーバルの面白い反応が見れてよかったのだ」

「ねぇねぇ、被ってた物、見せてもらってもいい?」

「オーケーなのだ」

 威嚇勝負のことなど、すでに記憶の奥深く。二人は仮面を弄りながら、あれやこれやと話し始めました。

 ですが、元々の経緯はどうであれ、二人が楽しいのなら何よりです。

「無事に終わったねー」

 布を畳みながらフェネックさんが近づいて来ました。

「ボクも楽しかったです。ありがとうございました」

「……お礼を言われるようなことはしてないんだけどなー。でも、どういたしまして」

 軽く笑い合ったあと、ボクたちは仮面に夢中なサーバルちゃんたちを眺めます。

 ふと、ある疑問が脳裏を過り、思わず口にしてしまいました。

 ボクはその行為を心から後悔します。

「フェネックさんだったら、どうやって威嚇しました?」

「んー……かばんさんが気になるなら、やってみるよー。アライさーん、サーバルー」

「どうしたの?」

「なにかあったのかぁ?」

 サーバルちゃんとアライさんが顔を向けたことを確認したフェネックさんは、一度俯き、ゆっくりと顔をあげます。

 ボクの目に映ったのは、とても綺麗なフェネックさんの笑顔でした。

「あはは。あははは」

 彼女は突然笑い始めます。

 表情とは裏腹に、酷く乾いた笑い声でした。

「フェ、フェネック……?」

 アライさんは、フェネックさんの豹変に困惑しています。

 サーバルちゃんもどうしていいかわからない様子でした。

 そんな二人にフェネックさんはただ歩み寄ります。

 特別なことはしていません。

 笑って歩いているだけです。

 ですが、ボクはこの感覚を知っていました。

 そう、ライオンさんと初めて出会った時に似ています。

「あははは、あはははは」

 一歩、また一歩と距離を詰められているサーバルちゃんとアライさんは、抱き合いながら体を震わせていました。

 逃げる、という思考すら奪われてしまったようです。

「あはははは、あははははは」

 夕焼け空に向かうフェネックさんの笑い声。

 ボクは彼女を見て初めて知りました。

 笑顔も威嚇になるのだと。

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