輝石物語 〜迷える心を石が導きます〜
夏村響
うさぎの目 ◇水晶◇
1. 路地裏の石屋さん
その店をみつけたのはほんの偶然だった。
学校の帰りにいつも通る商店街。
ふと思い立ってひとつ奥の路地に入ってみた。いつもはしないことをこの時してみたのは、何かを変えたいと思っていたからかもしれない。
石屋まちこ
そう書かれた木の看板は、何故だか新鮮だった。
ぼうっと店先に立ってただ看板をみつめていると奥から声がした。
「いらっしゃいませ、石屋まちこへようこそ」
気がつくと、そこには鮮やかな紅色の着物を着た若い女性がひとり立っていた。
彼女は癖のない漆黒の長い髪を肩先にたらし、右側の髪を耳の上あたりで蝶々の形をした金色の髪飾りで留めていた。着物と同じ色の紅をくちびるに差して、頬はほのかな桃の色をしている。
絶世、とまではいかないが、かなりの美人であることは間違いない。
黙っている私に、彼女は言った。
「どうぞ、中にお入りになって」
「え? あ、でも」
「どうぞ」
店に入るつもりはなかった。
そもそも石屋って何? 墓石でも売ってんの?
けれど、彼女に優しく
店は広くはなかった。
いわゆる、ウナギの寝床だ。細長く、奥行きがある。天井は高い。両壁の高い位置に、小さな明り取りの窓が規則正しく並んでいた。
そして、その両側の壁に据え付けられた棚に、その美しいものたちがいた。
石だ。
よく雑誌なんかで紹介されているパワーストーンというもの。
水晶とか、ラピスラズリとか、アメジストとか。
右側の棚には花びらの形をしたガラスの器がたくさん並んでいて、その中に手の平に乗るサイズの色とりどりの石が種類ごとに分けて入れられている。
左側の棚には、これも種類ごとに分けられ、紐に通され吊るされた球形の石がずらりと並び、それはなかなか壮観な眺めだった。
ああ、これでブレスレットを作るのか。
なんて、感心していると先ほどの着物美人がすっと音もなく寄ってきて、頼んでもいないのに私の手の平に小さな透明な石を一つ乗せた。
「私はまちこ。石屋まちこよ。よろしくね」
「あ、はい。ええっと、私は
ついつられて自分も名乗ってしまったものの、すぐに、は? となる。
「石屋って苗字だったんですか?」
「そうよ。いけない?」
「いけなくはないですけど、てっきりお店の名前かと」
「さて、それはそうとそれが何か判る?」
と、すました感じで彼女はあたしの手の平に乗せた石を指す。
「それはそうとって……」
何だ、今、話が飛んだぞ。この人、思い切りマイペース。
あきれながらも、私は自分の手の平に乗っている石を見た。さすがにこの石の名前ぐらいは知っている。水晶だ。
丸くて透明なその石は、窓から降りてくる柔らかな日の光に照らされてキラキラと輝いていた。
「きれいな水晶」
つぶやく私に彼女は微笑む。
「それは
一瞬の間の後、私は慌てて言った。
「え? セキエイ? これって水晶でしょう?」
「そう。水晶」
「……はい? 今、セキエイって」
「そうね。でも、水晶」
「……あの、私のこと、からかってます?」
「いいえ」
にこりと魅力的に笑って、石屋まちこさんは続ける。
「水晶というのは、石英の中で結晶形がはっきりとした透明なものをそう呼ぶのよ」
「……あの、私、石英っていうものが何か知らないので……」
「あら、ごめんなさい。石英というのはクオーツのこと。時計によく使われているから、知っているんじゃなくて?」
「ああ、クオーツ時計っていいますよね」
「そう、それね。石英は岩石中によく見られる鉱物なの。熱水に溶け込んだケイ酸分が結晶化したもので、電圧を加えると一定の周波数で規則正しく震える性質をクオーツ時計に活かされているってわけ」
「はあ……何となく判りました」
「ふうん、そう」
それ以上の説明はあきらめたようで、微妙な表情ながらもまちこさんは頷いた。そして、改めて私の手の平の石を見る。
「今のあなたにはその石ね」
「……今のって、それどういう意味ですか?」
「鉱物としての説明は以上として、これからはパワーストーンとしての水晶のお話しをするわね」
「え。はあ」
今度は私が微妙な表情になる。
ちょっとやばい気がする。
なんだかんだとそれらしいことを色々言って煙に巻き、この小さな石一つに高額な値段を付けてお金をふんだくるつもりではないだろうか。
私は急に落ち着きがなくなって、入り口の方に目をやる。相手は着物姿の女性だ。いざとなったら彼女を振り切って、入り口めがけてダッシュしよう。
「浄化作用ですわ」
不意に彼女が言ったその言葉に、びくりと私は反応して、改めてまちこさんの顔を見た。
「え。浄化?」
「水晶はマイナスのエネルギーを浄化してクリーンにしてくれる力がありますの」
「マイナスのエネルギーって……どういう?」
「そうですわねえ」
右頬に片手を当てて、悩ましげなポーズをとりつつ彼女は言った。
「例えば、自己否定の心とか」
自己否定。
私の脳裏に小柄な女の子の姿が浮かんだ。
色白の肌に、柔らかそうな栗色の髪をした彼女は、私のクラスメートの加藤すみれだ。
頬がふっくらとし、目が大きく童顔の彼女は、どこか弱々しい小動物を連想させた。
アイドルのような容姿のすみれは、男の子たちから絶大な人気を誇る反面、一部の女の子たちからやっかまれ、嫌われていた。その中心にいるのが同じクラスの野崎真由美だ。すみれは真由美から執拗ないじめを受けていた。
私は真由美と親しいわけじゃない。
だからこじれるんじゃないかと思って、余計な口を挟まないようにしているのだけど、でもそれは言い訳で、本当は常に腰巾着女子たちを引き連れている気の強い野崎真由美に睨まれたくなくて、見て見ぬふりをしているだけなのだ。
手の平の上の透明な石をまじまじとみつめる。
真円に見えたそれは、よく見るといびつに歪んでいた。
まるで私の心のようだと思った。
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