ギミックドールグランプリ
上野遊
プロローグ ルーキー
もう何度、同じ宙域を回っているのだろう。
星が見えないのは背景光をカットするレンズフィルターのせいだが、前に進んでいる、という感覚が全くないのは、機体のせいではないだろう。自分がどこに行こうとしているのか、自分でも解らない。方向性を持てない人間は、どんなに速い機体を与えられても、狭い範囲から抜け出せないのではないか。
そんな思いが脳裏をよぎって、慧一は軽く身震いした。狭いところに一人で長時間閉じこもっていると、思考が抽象的になってしまう。これも一つの職業病だ。
しかしこの狭さは半端じゃない、と考えて今度は苦笑いしてしまう。コックピットに半端なスペースがあるはずがない。
正面。まっすぐに手を伸ばすと、マルチモニタに指が届いてしまう。
左右は手を広げるどころか、肘がぶつかるほどにしかない。シートの後ろはもっとひどくて、ケーブルの隙間に非常用のヘルメットと酸素ボンベを収めたらもう一杯。仮に隙間があったとしても、それ以上の荷物は積めない。速く飛ぶには、軽くなくてはいけない。必勝のお守りなんか、デッドウェイトにしかならない。
ふん、と一息。雑多な思考を吹き飛ばしてスロットルを開ける。
狭いコックピットが、無数の騒音で満たされる。
弾丸が装甲を叩く衝撃。補助スラスターの点火による低音。ごぼり、と聞こえたのは関節液に気泡が生まれたのか。嫌な予感が高周波の幻聴を生む。強制冷却の影響で構造材が甲高い音を立てる。それを無視してペダルをキック。急激な機動に関節が外れそうになり、衝撃吸収剤がかき乱される。ぎちぎちぎち。電磁筋肉のちぎれる音は、荷造り用のビニールテープにカッターを当てた音によく似ていた。定位置に戻ったはずの骨格がガキンと鳴った。膝が折れた、と思った直後、ヘッドセットから耳障りなアラームが鳴り響いた。メインモニタに警告メッセージ。
『左膝関節に深刻な損傷。装甲温度上昇中』。
銃撃は続いている。トリガーの引っかかりが気に障る。
『敵機接近。近接距離まで残り三十』『被照準警告』『FCSの運用がイレギュラーです』『展開装甲作動不良』
――んなこたわかってるんだこのポンコツ!
モニタを埋め尽くしそうな赤文字に向かってそう怒鳴りたかった。だがしかし、機械相手に文句を言えるような状況にはなかった。だから慧一はこう叫んだ。
「CC! モード3、抜刀!」
音声コマンドを受け、モニタ表示の一部が切り替わる。補助キーボードからさらにコマンド。ステータス表示も全て消し去り、可能な限りの周囲をモニタに映し出す。『警告、右腕電磁筋肉が張力限界数値に到達』分かっているので無視。敵が近くにいるはずだ。機体を回転させつつペダルを踏み込む。装甲温度なおも上昇。緊急冷却ユニット再始動。展開装甲作動。『警告。展開装甲は格闘戦において腕部の自由度を――』
赤文字がどんどん更新されていく。少し黙ってろ。機体のコンディション回復など、帰投してからいくらでもやってやる。武装用スティックを内側に倒し、すぐに外に開く。スティックの根本から砂を噛んだような音が聞こえたが、多分気のせいだ。GDのコックピットに砂が混入するはずがない。
そんなことより目の前の敵を倒さなくては。
モニタ右側に灰色の影が見えた。予想通りだ、と一瞬考え、トリガーを引く。感圧スティックに鈍い戻り。それを打ち消すような衝撃が機体右から伝わってくる。補助スラスターを吹かして機体を回す。
モニタ一杯に映る、一つ目の巨大な物体。
身の丈十メートルの、宇宙を駆ける鋼の人形。
こんなものがこの世になければ……なければどうだというのだ? 意味のない自問が意識の間隙を突いた。わずかではあるが姿勢制御が遅れ、関節にかかる負担が増した。
『警告。右腕関節液――』
――漏出、と表示される前に、慧一はペダルを蹴っていた。鍔競り合いの状態にあった敵機と、剣一本分の距離が開いた。姿勢を直し、最大で逆噴射。それと同時に右手で牽制の操作を入力しつつ音声コマンド。
「インナー!」
『警告。近接間合いでの――』
表示を待たずにキーを叩く。だが、強制実行されるはずのコマンドに割り込む形で、警告メッセージが更新されていく。
『近接間合いでの内蔵火器の使用は――』
(処理優先順位がおかしくなってる? リブートしてから調子が悪いと思ってたけど何だってこんな時に……っ)
――本機にも損害が発生する危険性があります』
「分かってるっての! いいからやれっ!」
トリガを乱暴に引きながら、慧一はとうとう怒鳴ってしまった。
肩部内蔵衝撃弾が発射された頃には、敵機は既に慧一の左に回っていた。横合いからの斬撃を盾で受ける。老朽化していた接続部が折れ、ひしゃげた盾があさっての方に飛んでいった。勢いあまった敵機が泳ぐ。偶然無防備になった敵機の延髄に、慧一は特殊合金製の剣を叩きつけた。人間で言うなら頸動脈に当たるケーブルを切断された敵機が、降参するようなポーズで速度を落とし、慧一の機体――〈181リンドブルム〉のカメラから消えた。
「……はーっ」
やっと落とした。そう思った。
機体がまともなら、もっとうまくやれたはずだ。
できるものなら敵機ではなく、がちがちの安全対策機能をぶった切りたい気分だった。
「こんなポンコツでどう戦えっていうんだ」
そもそも、「壊すな」と「できる限り進め」の二つの指示が矛盾しているのだ。指揮官不在の状況は知っていたが、統一した指示を下す程度はやってくれないと困る。キャリア一年未満の新人が独自の判断で飛べるわけがないじゃないか。
機体の状況は上の判断を仰ぐまでもなくひどかった。
『警告。冷却ユニット負荷上昇』
とどめのような赤文字。慧一は舌打ちをした。冷却ユニットの異常は、放っておけば行動不能に陥る深刻なものだ。
応急処置のみで戦列に復帰できる損害ではないように思えたが、判断するのは慧一ではない。
やれと言われたらやるしかない。それがパイロットだ。そう思って通信を開こうとした矢先、モニタに新たな機影を見つけた。
またかよ。今日の火星は荒れ模様らしい。
詳しい被害状況の送信をキャンセル。リンドブルムのプロセッサは、データ通信にリソースを占有されると戦闘に支障をきたしてしまうオンボロだ。大体の状況は管制室でも把握しているはずだ。黙って戻っても対応できるだろう――この戦闘で新たな損害が出なければ。
プロセッサの処理能力を全て戦闘プログラムに突っ込む。情報サブ画面を展開。距離を詰めつつある機影は、〈107トリッキーブルーム〉、以前にも落とされた憶えのある相手だった。
(魔女、か……)
パイロットの小生意気なツラを思い出して慧一は顔をしかめた。魔女はわざと速度を抑えているように見えた。逃げられないらしい。理由はわからないが、このところ狙われているのは確かだった。
三次元レーダーをちらりと見る。後ろから三機が団子になって追ってきている。位置関係からして、後ろの三機は慧一を無視して急ぐだろう。慧一の機体は限界が近い。ここは安全策をとるべきだ。撃墜されるわけにはいかない。
進路を大きく曲げて外へ。慧一の意図が理解できたのだろう、後ろの三機が内側に進路を変える。
『警告。FCSの運用がイレギュラーです』
唐突に出現した赤文字の意味を、慧一はとっさには理解できなかった。
後ろを気にしすぎたと気付いたときにはもう、ロッドを振りかぶる魔女の姿が目の前一杯に迫っていた。
ロッドが〈リンドブルム〉の頸部にめり込んだ。回路を逆流する衝撃が機体のあちこちで火花を散らす。全センサが一瞬にして停止する。真っ暗になったモニタは一秒後に復帰した。しかし、そこに映っていたのは宇宙の闇でも魔女の機体でもなく、
『行動不能』の四文字だった。
慧一はしばらくの間、身動きしなかった。目を閉じて、ようやく無音になった宇宙を漂う。呼び出しのブザーが鳴らなかったら、酸素切れまでそうしていたかも知れない。
『こちらGDMLレスキュー第二班。パイロット、風祭慧一、状況を知らせて下さい』
レスキュー隊員の声は、若く、やや緊張しているように聞こえた。
「こちら〈181リンドブルム〉、機体は完全に停止しました。パイロットは無事です」
『了解しました』
『酸素はどの程度だ?』
最初とは違う、年輩の声が割り込んだ。
なぜそんなことを聞いてくるのだろう、そう思いながら、慧一は生命維持システムを呼びだし、酸素残量を読み上げた。
『まだ大丈夫ですね。他に深刻な状態の機体がありまして、救助はそちらを優先します。一時間のうちには回収できる見込みですが、よろしいですか?』
嫌だと言ってどうなるものでもない。慧一は了承した。
『災難だったな』
通信の最後に、年配の隊員がそう言った。
「一時間か……」
待つにはちょっと長い。機体が少しでも動くなら損害の確認や戦闘データの読み出しなど、やることが色々あるのだが、生命維持優先の状態に入ってしまっているので、通信以外は全く反応がない。管制を呼び出して報告する必要はあるのだが、そんな気分ではなかった。なに、必要なら向こうから呼びかけてくるさ、と自分の都合で判断。
手持ちぶさたに通信機をいじる。と、ノイズばかりだったスピーカーが急に晴れた。ラジオでも聞いて過ごすか、と思ったのだが、
『――というわけで一着はジョナサン・ロウが古参の意地を見せた〈150インフィニティV6〉、二着がキース・グレンの〈373トレジャーボックス〉、三着ミリアム・ブロック〈248オリオンアロー〉。以上のように決まりました。配当は公式サイトでご確認下さい。……えー、解説の中里さん、出場十五機中、七機がリタイヤという荒れた展開になりましたが、これは今年のチャンピオンシップを占う上で何らかの影響があるのでしょうか――』
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