第8話 飼い主のあり方

「さて、と。いろいろと邪魔が入ったせいで、こうしてグラチネまで戻ってきたのだけれど――」


 あれからグラチネへと戻り、クルーデが目を覚ましたのは――上陸してから丸々一日を経過したその翌日の朝で。丁度いいから朝食を済ませようと、二人は港町グラチネの料理店で舌鼓を打っていた。


「これからどうしようかしらね」

「どうするって……」


 店内には巨大な生簀いけすが設置されているといった豪勢さで。出される料理は一級品、値段も一般の者には敷居の高いものとなっていた。


「――料理をお持ち致しました」


 そう言って店員が追加で運んできたのは、エストラから仕入れたという香草・香辛料がふんだんに使われている香草焼きに酒蒸し。食の街アヴァンにも負けず劣らずの料理に手を伸ばすクルーデ。


「ファリネへ向かったとして――また倒れないという保証はないぞ」

「なぁによそれ、情けないったら」


 クルーデ自身にも原因不明で、ただ何の気なしにファリネを視界に収めただけ。たったそれだけで、意識を失う程の激痛に苛まれたのである。まるで――身体が全力で何かを拒むかのように。


「身体が拒否反応を起こすということは、そこに何かがあるということでしょうに。剣のこともあるし、貴方があの場所と関係があるのは間違いないわ」


 拒否反応――竜に対しての異常なまでの怯え方。ファリネから少し離れたあたりはキビィが度々立ち寄る場所でもあったし、きっかけはいくらでもあるだろうとフラルは予想を立てる。


「……目の前まで連れていったら、あの子どんな顔をするのかしらね」

「…………?」






「この後だけれど――またファリネへと向かうわよ」

「……俺の話を聞いていたか?」


 飽きれたようにクルーデは声を上げるのだが、フラルは気にすることもなく。


「もちろん、分かった上で言っているの。――あまり近づき過ぎてまた襲われるのも面倒だし、距離を取って様子を見るけどね」


「……襲われる? いったいに何に襲われたんだ?」

「貴方ねぇ……」


 二人が食事を終えて、店外へと出たところで――


「うわああぁぁぁぁぁ!! なんだこの龍は!?」

「素早いぞ!? 女子供は早く建物の中に避難を!」


 街の中から悲鳴が上がる。何があったのかと駆け出す前に、その悲鳴の原因がフラルたちの前に現れた。


 壁を這い、現れたのは――二匹の靄竜あいりゅう。いつまでも‟もどき”と呼んでいてもパッとしないということで、便宜上フラルが勝手に付けた呼称だった。


「またアンタ達なの……」


 フラルの表情はほとほと呆れたようなもので。身内ばかりの船上とは違い、この街中で糸を出すのもあまり得策ではない。“糸使いの冒険者”という肩書きが通っているのはごく一部の間だけで、いわゆる一般人からはただの金持ちのお嬢様としての顔しか知られていないのである。


 そのためのペット、もとい護衛としてのていでクルーデを連れていて。もちろん、今回も彼に目の前の靄竜を処理させようと思い、指示を出そうとしたのだが――


「――竜……!?」


 剣を握ったまま動けずにいるクルーデに、『やっぱりこうなったか』と内心舌打ちをするフラル。自身の記憶の深い部分に眠っている心的外傷トラウマの姿とは遠く離れてはいても、黒く滑らかな翼と尾、身体から伸びる四肢は竜のそれである。


 フラルの正体を目の当たりにしたときのような圧迫感は無くとも、“竜”である、というだけでクルーデの足を鈍らせるには十分すぎた。


「……私は街中では戦わないわ。貴方が処理しなさい」

「無茶を言うなよ……!」


 震える足を無理やりに前に出し、一体目の靄竜の爪を弾く。その動きは通常の魔物を相手にして谷の底や海の上で戦ったときに比べれば、天と地ほどの差があった。まるで剣の素人のような、腰の引けた構えで――当然そんなものでは、二体目に反応できるはずもなく。


「うっ――!?」


 靄竜の爪がクルーデの鎧を容易く引き裂き、胸の肉を抉り取ろうかとする寸前。――クルーデの身体が後ろに跳ねる。彼の意志とは関係の無い挙動、フラルの糸によるものだった。


「あのねぇ……『貴方はやればできる子! 頑張って!』――とでも言って欲しいの? 今この状況を切り抜けたところで、また襲ってくるかもしれないの。その度に、貴方を守るために私が戦うのは御免だわ」

「くっ――」


 街中では特に被害もなさそうで、つまりは途中を何もかもを無視して。こうして二人の前へと姿を現した以上、フラルは確信せざるを得ない。

 

 ――この靄竜たちは、自分たちを狙ってここまで来たのだと。


 だとすれば、今後はこの靄竜の動きに警戒する必要が出てきて。これらがファリネの方からわざわざ飛んで来たのかは確証もないが――なんにせよ、一か所に留まり続けることに危険が伴い始めたということである。


「私に怯え、畏れ、かしずいて讃えるのは構わないけど――こんな雑魚とも呼べない“竜もどき”にまでこの調子だと、この私の気分が悪いのよ」


 それ言うや否や、クルーデの身に付けていた鎧が外れ、赤金が彼の身体を包むように広がっていく。徐々に鎧の形を成していくそれに合わせて、クルーデが被るのに申し分のない兜も、彼女の能力によって生成されていた。


「これくらいの障害、さっさと乗り越えなさい。……それと、その鎧と兜はあとで返してもらうからね。汚さないでよ」

「簡単に言ってくれる……!」


 赤金の鎧と兜を身に付け、精彩を欠きながらも何とか一頭仕留めることができたクルーデ。頭蓋を剣で貫かれた靄竜は、致命傷を受け息絶えたかと思いきや、黒い靄となって霧散していく。どこか見覚えのある黒い靄――どこか脳の片隅に残るその形に、クルーデの心はざわつく。


「――まだ大丈夫だ……戦える……」


 鎧と呼ぶにはあまりにも軽く、それでいて硬い。いくら目の前の靄竜の爪が、牙が鋭かろうと構わない程に――その赤金は強固にクルーデを包んでいた。絶対的な安心感、そうと分かると震えも自然と弱くなり、踏み込む足にも幾分かの力が籠る様にもなる。


「――はぁっ!」


 残る一頭もすれ違いざまに一閃。上下に開かれた黒龍もどきの身体は、地面に崩れ落ちるよりも早く、靄となって消えていった。






 海上の時のように、次いで出てくることもなく――静寂の戻った街角で、先に口を開いたのはクルーデの方だった。


「……あれは俺を追ってきているんだろう? お前の方へは襲い掛からず、俺だけを狙って来たからな」

「……そうね。あの時に‟見つかった”と考えるべきかしら」


「それなら俺を置いていけばいい。そうすれば――っ!?」


 前触れもなく、細い糸によって引きずり倒されるクルーデ。いつの間にか首に取り付けられた首輪と鎖。力強く引かれる鎖によって、倒れた状態で首を反るような体勢にさせられ――そのままなす術もなく背中を踏まれ、身動きができないよう固定される。


 こんな形で転がされたのは、記憶を失って初めて目が覚めたあの日以来で。久しく味わっていなかった屈辱に、クルーデは呻く。


「……あまり巫山戯ふざけたことを言わないで。面倒になったから途中で捨てるだなんて、飼い主失格もいいところよ。子供でも分かるようなことを私にさせようって?」


 鎖をじゃらりと鳴らしながら、クルーデの身体を持ち上げるフラル。身長の高さ故に、地面からクルーデの足が離れ、その顔はフラルの目の前にまで引き寄せられていた。吊り上げられた状態で、二人の目が合う。


「あの時――貴方が崖の上から落ちてきた時、これが運命の出会いだと感じたの。百年も二百年も生きてきて、初めて。ほんの少しの気まぐれ、長すぎた退屈が刺激を欲しただけかもしれない。それでも――それでも、私に途中で投げ出すなんて選択肢は無いわ」


 何かのついでだとか、そういったことは全て無しにして。

 自分と共に歩んでいく彼を、完璧なものとするために。


 赤金の竜はこの瞬間から、クルーデと共に旅をすることだけを目的に据える。


「キビィの足跡を追うのは一旦止めるわ。世界中を旅していれば、きっとどこかで再会することもあるでしょうし。……あの子も、一つの場所にじっとしていられない性格だし」

「…………」


「記憶が戻らないなら戻らないで――」


 言いたいことは言ったと、フラルはクルーデの身体を下ろし、港へ向かって歩き始める。その表情は決してこの先に待ち受ける困難を憂う類のものではなく。ただただ、数えきれない楽しみを待ち受けるような笑みだった。


「私のパートナーとしての在り方を、一から教育してあげるわ」

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