第6話 謎の少女と果実飴
「いや、でも。私の不注意だから――」
自分よりも幼いであろう少女から飛び出した『取り返して来てやる』の言葉。まるで遊びに出掛けるかのような弾んだ声音に、シエルの不安は募っていく。自分の不注意のせいで、他人を危ない目に遭わせるわけにはいかない。そう思い、シエルは彼女を止めようとしたのだが――
次の瞬間には人波の中へと姿を消していて。盗人たちの姿も消え、それを追うと言った少女の姿も消え――一人残されてしまったシエルは困惑する。
「え、ええぇ……?」
武器も持っていない少女が、大の大人に敵うはずがない。最悪の場合、取り返しのつかないことになるのではないかと焦るシエル。
「なんとかして止めないと……。でも――」
この広い――人でごった返している街の中で。どうやって探せばいいのか、どこを探せばいいのか見当もつかない。しかし、ただこうやって立ち呆けているわけにはいかないのも事実。
「私が先に見つけるしか……ないよね」
そう小さく呟き、シエルは街中へと走り出した。
シエルがまず向かったのは、この街の治安を守る騎士団本部。
犯人を捜しに好き勝手に動いているであろう少女一人を探すよりも、恐らく盗んだものを一時保管ないし売却するために動いているであろう盗人たちを探した方が幾分かは効率が良いと判断したためである。
幸い、この街の代名詞とも言える場所なのだから、どこにいようがそこまでの道はすぐ見つかった。着いて早々、手近なところにいた団員をなんとか捉まえて、シエルは先ほどの出来事を説明する。
「すいません! 女の子が泥棒を追いかけて行ってしまって――」
「……詳しく聞かせてもらえるかな?」
事情を一通り聞いた団員は、迅速な動きで装備を整え、外へと出る。――が、どうやら対処に出てきたのは一人だけらしい。一刻を争うことにも関わらず、あまりにも心許ない対応にシエルは思わず尋ねる。
「あの、他に人は……」
「ここ最近、魔物からの被害が多発していてね……。満足に人員を割くことができないんだ」
申し訳なさそうにそう答える団員。そのボロボロになっている鎧から、魔物との激しい戦闘があったことがシエルにも窺いしれた。――が、それとこれとは別問題である。
「そんな……」
「君の言っていた奴もそうだけど……。窃盗被害はあちこちで出ているからね……」
がっくりと肩を落とすシエルだったが、モタモタしている暇はないと気を取り直す。こうしている間にも、少女が盗人たちと遭遇してしまうかもしれないのだ。
「少しでも早く見つけないと……私も街の中を回ります! どこに行けばいいのか、ざっとした情報でもいいので何かありませんか?」
「街の陰の部分――建物と建物の隙間にできたような場所。ねぐらにしている以上、空き地みたいなものなんだろうが――この街には数が多すぎる。騎士団もそうそう把握できていないんだ」
シエルが初めて訪れた時に驚いたのは人の多さだけではない。ファリネの建物についても同様にシエルにとって新鮮なもので。二階建て、三階建ての建物が多く並んでおり、見上げないと空が見えない程だった。――それ故に、人目に付かない部分も多く生まれてしまったのだが。
「それじゃあ、君は向こうを!」
「はい! わかりました!」
そこでシエルと騎士団員は会話をやめ、二手に分かれた。
団員に言われたとおり、シエルが盗人を見つけるために向かったのは――人通りの殆ど無い路地裏。こういった場所は、案外探そうとするほど見つからないもので。一つ目を見つけるのにも数分を費やしていた。
「建物と建物の隙間でできた空き地……」
もちろん、シエルが今いる路地裏がそのまま盗人たちのいる場所だなんて、そんな都合のいいことはあるはずもなく。しかし、それに落ち込むような様子は見られない。
団員の言っていたように、考えられる場所は山のようにあるのだろう。それを一つずつ回っていれば、日などあっという間に暮れてしまう。ならば、少しでも効率よく回るためには――
「――こうするしかないよねっ!」
右腕のクロスボウを展開するなり、空へと矢を撃ち上げたシエル。撃ち出された矢の先端は鉤状になっており、
たくさんの人でごった返し、無数に道が伸びている地上を無暗に回って効率が悪いのならば、誰もいない屋根の上を走ればいいのだと。流石に街中で矢を放つのは問題があるだろうと考慮した結果、こうした人目に付かない場所を選ぶ他なかったのである。
「よし、いい感じ!」
シエルはロープを引っ張り、しっかりと張られたのを確認してから、それを伝って建物の屋根へと上ったのだった。
屋根から屋根へと飛び移りながら。盗人たちの拠点になりそうな場所を探していくシエル。たまに他の建物の中にいる人に見つかり、気まずい思いをしながらも――そこは背に腹は代えられず。ようやく見つけた空き地は、まさに街の死角といった様子で。本来の入口であるはずの建物の隙間には、所々に木材が積み重ねられていた。
「ここでありますように……」
長らく放置されているのであろう廃倉庫まであり――盗人たちの活動拠点には、まさしくうってつけの場所。縋るような願いを口にしながら、空き地へと降りようとするシエル。そんな彼女の耳に――何かが激しく壊れるような音が届いた。
「――まさかもうっ!?」
シエルは慌てて近くにある背の高い建物へと矢を射出する。もちろん、矢はロープ付きのもので。再びワイヤーが張ったのを確認すると――現在立っている屋根を蹴り、勢いそのままに飛び降りたのだった。
――弧を描くようにして、倉庫の窓へと接近していく。当然、窓にはガラスが嵌められていたために、それが割れるけたたましい音と共に突入する形となる。
「くっ――」
派手な突入となったものの、ガラスの破片が突き刺さることもなく。激しい痛みに襲われずに済んだシエルの目に映ったのは――
黒い翼、角、そして――尾を持つ魔物の姿だった。
「――魔物っ!?」
その状況は三人の男が魔物に襲われ、脱兎のごとく逃げているのに他ならず。男のうちの一人は、シエルから首輪を盗んだ男だったものの、それをただ見殺しにするわけにもいかないのが彼女の性格である。
手元を調整して、男たちと魔物との間に着地をするシエル。
綺麗に受け身を取った次の瞬間には――黒い翼を持つ魔物へと、クロスボウの標準を向けていた。大きく展開されたクロスボウは、しっかりと身体の中心を捉えていて。変な動きを見せようものならば、躊躇わず矢を撃つつもりだった。
「…………」
そんな一触即発の状況の中で、シエルの聞き覚えのある声が響く。更には、ゆるゆると手を上げ始めたことに、彼女は驚き目を丸くした。
「――待ってくれ、シエル。……私だ」
「……え? あれ? さっきの女の子――?」
魔物が両手を上げて、翼や角を形取っていた靄を仕舞い込むと――男を追うと言って消えていった、黒髪の少女の姿が現れる。
「はぁ……やはりそっちの方が素なのか?」
――驚愕に次ぐ驚愕。突然の展開に頭がついてきていないシエルが、慌ててクロスボウを下げたところで、少女はやれやれとため息を吐く。
「適当に懲らしめておいてやろうと思ったが……もう逃げた後か。そこに置いてあるのが盗まれた物だろう?」
少女が顎で指した先は、テーブルに山積みにされた品々。盗んでからほとぼりの冷めたところで売るつもりだったのだろう。銀製の首輪は上の方にあり――シエルが見つけるのにそう時間はかからなかった。
「――あったあった。コレだよ、うん。本当に見つけてくれたんだ……ありがと」
飛び込んだ時に見た姿には驚いたものの――こうして、約束を守ろうとしてくれていた。そのことに、シエルは素直に感謝する。
「……そんなに感謝されることもない。実際のところ、まだ何もしていなかったしな。それよりも――」
「――ん?」
「そんなに簡単に警戒を解いてもいいのか?」
黒い爪を出し入れしながら、黒髪の少女は尋ねる。明らかに、人ならざる力を操る自分に――恐怖は、怯えは無いのかと。
「んー。……初めての街で、初めて泥棒に遭って――それを自分より小さな女の子に助けられて。あまり状況が把握できてないんだよね」
情けないことだが、それは全て事実で。苦笑いしながらも、思ったことを素直に口にするシエル。
「――あとちょっとだけ、嬉しいのもあるかも」
「……嬉しい?」
そのまま思い出したかのように付け足した答えは、少女にとっては予想外のもので。眉を
「……ヒトと話せる竜に会えたことが。ねぇ、今の角とか翼ってさ、
「…………」
右手に首輪を握ったまま、手で角やら羽やらの真似をしてみせるシエル。
彼女にとっては、それが竜の翼かどうかなど見れば一瞬で判断がつくものだった。それは決して飾りなどでは無く――飛ぶための器官としての翼である。日々、嫌というほど見ているからこそ間違いなく分かる。
欲しくて欲しくて――それでも手に入らないものだから。
せめて、その細部まで記憶に焼き付けようとしていたものだから。
きっと目の前の少女は、ヒトの姿をしているだけで――本質は竜に近いものなのだろうと、シエルは感じていた。
「…………」
「私の街にもね、人と話せる竜がいるの。あなたみたいに、ヒトそっくりにはなれないけど。でね、このお土産もその子にあげるつもりなんだ」
ぽつりぽつりと語るのは、今も格納庫で帰りを待っているであろう‟竜”のこと。またイグナに何か言われることは分かっているものの、そんな程度では彼女にとって買ってやらない理由にはなり得ない。
「……首輪か?」
「ううん、指輪。身体が大きいから、指ぐらいにしかきっと着けられないと思うし」
くるくると回したり、向こうからのぞき込んだりと首輪を弄るシエル。渡す時にどんな表情をするのだろうかと、想像するだけで笑みが零れていた。
「すっごい怠け者で、いつも格納庫の一部を陣取ってて――名前はイグナっていうんだけどさ」
「――っ!」
シエルの口から出たイグナという名前に、少女は一瞬驚くような表情を見せる。――が、そこから何かを尋ねる様子はなく。
「長い間一緒にいるからさ。たまには何か買ってあげたら喜ぶかな、って」
「……へぇ、竜に贈り物とは……。また変わった趣味だな」
ただ少女は最後に、そう短く言ったのだった。
廃倉庫から出る際に、少女はぐんと手を伸ばして伸びをする。
「さて、目的も達成したことだし――」
少女につられるように空を見上げるシエル。外はまだ日も高く、真っ直ぐ降り注いでくる日差しに目を細めていたところで、少女に解散の提案を出される。
「そろそろ私も用事を済ましてくるとしよう。連れが待ちぼうけを食らってるかもしれんしな」
「そうだねー。私も、この倉庫の事を言いにいかないと。私みたいに物を盗まれて困ってる人が沢山いる様子だし」
テーブルの上の品々の一つ一つに持ち主がいたのだ。団員にも解決したと伝える必要があるだろうと、騎士団本部へと戻るシエルとそれに付いて歩いていた少女。歩いていたのだが――ここらでいいと別れを告げる。
「それでは、ここらでお別れだな。暇つぶしとしては少し物足りなかったが、面白い話も聞けてよかったよ」
「今日は本当にありがとう。何かお礼がしたいんだけど――」
少し名残惜しく思ったシエルは、最後になにかお礼ができないかと声をかける。そんなシエルに返ってきたのは――
「そうだな……そこらの出店から適当に何か買ってきてくれ。殆ど何もしてないし、それぐらいで十分だ」
――食べ物の催促だった。それも豪華な料理などではなく、『適当な物でいい』という雑な注文。このあたりならば、出店で売っている軽食のものしかないのだが、彼女はそれでも満足らしい。
「……それでいいの?」
「あぁ、なるべく美味しそうなものを頼むぞ」
戸惑いながらも、そう言われてシエルが買ってきたのは――とても鮮やかな紅い色をした、果実で作られた飴だった。透明な飴で包まれた真っ赤な果実は、キラキラと光を反射して。まるで宝石のように輝いていた。
「今はこれぐらいしかできないけど……。またどこかで会ったら、ちゃんとお礼させてね。約束だからね」
きっと遠慮してくれたのだろうと、申し訳なさげに飴を渡すシエル。そして――渡したそのままの流れで、そっと少女の手を両手で包む。
「…………?」
大切な出会いの証を、どこかへ逃がしてしまわないように。
自分の温もりを、彼女に分け与えるかのように。
「――うん」
柔らかい、優しい握手を数秒ほど続けて――満足したシエルは、ようやく少女を解放する。
「ありがとう! またどこかで会おうね!」
手を振って分かれるシエルに。黒髪の少女は静かに微笑んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます