第5話 都市ファリネへ
「んー潮風が気持ちいー!」
ナヴァランの自宅で星空を眺めていた数日後――シエルは海の上にいた。彼女が新しい飛空艇の素材を買いに向かったのは、隣の小さな大陸の中心街であるファリネだった。
その街に本部を置いた騎士団が、大陸内での魔物から受ける被害を抑えている。そして、狩った魔物から採れる素材の数々は、他の街へと流通していた。
ナヴァランへと卸されるのをじっと待つよりも、自分の目で選びたい。卸し元で探せば、きっと望むものが見つかるんじゃないだろうか。思い立ったら吉日と、家を飛び出し――現在はその大陸の入口である港町、リナード行きの船の上。
「海も気持ちいいけど――やっぱり、私には空だなぁ」
――と、全身に潮風を浴びながら、シエルは大きく息を吸う。ナヴァランにいる時とは空気の味が、匂いが、全く異なっていた。
そうして、短い間の船での移動は終わり――リナードに着いたシエルは、そのままファリネへと向かう。馬車の中で揺られながら、どんどんとシエルの期待は高まっていた。
今までいた場所とは、何もかもが違う世界。窓から外を見上げると、どこまでも蒼い空が広がって。望んでいたものが、思っていた以上に近くにあった。ただ――
「それじゃあ、意味がないんだよね……」
本当に心の底から喜ぶことができるのは、
リナードから馬車に揺られ続けて約二時間。まだ日の高いうちに、シエルはファリネへと辿り着く。その街は、ナヴァランに比べると圧倒的に人口の密度が高く。騒がしさも、賑わいの部類に満ち溢れていた。
馬車から降り、足を踏み入れたシエルとすれ違うように――老若男女、様々な人が通り過ぎていく。
「わぁ、あの子……可愛い」
溢れんばかりの人の数。――にも関わらず、その少女に吸い込まれるかのように視線が向かっていた。シエルの背より、頭一つ分は低いぐらい。艶やかな黒髪が特徴的で、両手には手甲を付けている。横を歩いている男性は、剣を提げていることから旅の仲間のように見えた。
違和感とまではいかない、漠然とした何かを。シエルは無意識に感じ取っていた。その少女は街の喧噪をものともせず、人ごみをするりと抜けていく。
「おっと、ごめんよ」
「わわっすいません!」
シエルが他の人とぶつかりかけて、一瞬目を離した時には――既に少女は街の中へと消えていたのだった。
「うわぁ――」
気を取り直して、買い物を始めようと意気込んだ、その数分後。シエルは金銀に輝く装飾品に目を奪われていた。
シエルが生まれ育ったのは工業で栄えた都市である。もちろん、
「こういうのもいいなぁ……」
シエルの視線の先に展示されていたのは――大きな銀製の首輪。
製作者の趣味を全面に押し出したかのような、精巧で煌びやかな細工。材料・細工の点で見ても、相当の価値が付きそうなものだった。
「装飾は豪華なのに……もったいない」
これまで買い手が現れなかったのか、値段は特価と言えるほど安くなっていた。わざわざ装飾品として首輪を買う者など数少ないのだろう。
「……イグナにお土産買って帰ってあげようかな」
こんなにいいものが、こんな値段で。龍であるイグナならば、指輪としてピッタリなんじゃないだろうか。シエルはそんなことを考えながら――これも一つの出会いだと、首輪を購入したのだった。
ようやく本来の目的である、素材屋へと向かうシエル。買ったばかりの首輪を、腕に通してクルクルと回すほどの上機嫌っぷりだった。それでもそれなりの重量のある物にも関わらず、そう軽々と扱えるのはドワーフの筋力ならでは。
「んふふふ。やっぱり、買い物した後っていうのは気分がいいよねぇ」
鼻歌交じりで街の中を歩いていくシエルだったが――目的の店に着いたことで、更に上機嫌になる。ファリネだからこその品々を揃えた、素材屋だった。
「――ふああぁ!」
様々な大きさの爪、牙、角。
様々な色の鱗、皮。
はたまた、骨や内蔵まで。
魔物から剥ぎ取られ、丁寧に洗浄された生体素材が所狭しと並んでいた。
「た、宝の山だ……」
シエルは装飾品店を覗いていた時よりも一層、目を輝かせる。恐る恐る商品に近づいて行く様は、どこからどう見ても不審人物なのだが、そんなことを気にしていられるような冷静さはとうに失っていて。
「ちょっと、この革……見てもいいですか?」
「あぁ、構わないよ。じっくり見ていきな」
店主に断りを入れ、手に取ってじっくりと眺めるシエル。
表裏と翳したり。軽く引っ張ったり。
「この手触り……。強度も中々にありそう。思ったよりも軽いし加工も……」
ブツブツと呟きながら、一心不乱に素材を撫で回すシエル。そうして夢中になっていたところで――異変に気づいた店主が、彼女に声をかけた。
「お、おい嬢ちゃん! あれ、アンタの荷物じゃないのか?」
「……え?」
集中しているところで急に声をかけられても、すぐには状況を把握できない。
『何かあれば、背負ってて気づかない訳がないんだけど……』と、首を傾げながら背中の荷物を確認するシエル。何処かに穴でも開いて中身が零れ落ちているのかと、あちこち点検してみるも――
「そっちじゃねぇよ! あっちだ!」
「…………?」
店主が指さす方を見ると、向こうへ走っていく男が一人。その手には、シエルの見覚えのあるものが握られていた。太陽の光を反射して煌めく、銀色の輪――
「――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
商品を物色するために、傍らに置いていたはずの首輪が。影も形もなく消えていた。それもそのはず、見覚えのあるどころではなく。正真正銘シエルが購入したものが、今や逃げていく男の手に納まっていたのだから。
「おじさん! また後で買いにくるから!」
慌てて、男を追いかけに店を飛び出すシエル。一心不乱に、男を視界に捉えたまま走り続ける。――が、向こうの方が身軽な分だけ逃げる速度が速かった。何とかして足止めをしたいところだったが、まさか街中でクロスボウを撃つわけにもいかない。
初めて訪れた都市で。それもかの騎士団の御膝元で。そんな騒ぎを起こすわけにもいかないだろう。そうして考えている間にも、男はいつの間にか一人から三人に増えていて、先にある曲がり角へと消えていく。
「どうしよっ……街中で撃つわけにもいかないし――」
男たちを追って角を曲がったところで――先にあった人影に正面から突っ込みそうになる。それは、ファリネの入口近くで見かけた少女だった。
「わっわっ、危ないっ!」
このままでは正面衝突は避けられない。せめて相手に怪我はさせないようにと、ブレーキをかけようとしたのだが――そんなシエルの必死の行動もいざ知らず。黒髪の少女は、するりと身を翻して躱したのだった。
「うわっわわわっ」
覚悟を決め、受ける気でいた筈の衝撃が忽然と消え。勢い余ったシエルは、盛大に地面へとダイブしてしまう。
「――くぅぅぅぅっ」
露出の少ない服だったため、擦りむくようなことは無かったのだが――コートの内側に仕舞っていた工具が当たり、地味な痛みがシエルを襲った。
「ごめんなさい! 怪我はない!?」
「あ、あぁ……避けたからな。大丈夫だ」
少女は一瞬驚いたような表情をしていたものの、落ち着いた声で答える。
「あぁ、よかった。ゴメンね、急いでたから――」
シエルは謝りながら、少女が無事なことを確認する。そして、再び男たちを追うために走り出そうとしたのだが――
「――おい、待て」
くいと少女に手を引かれ、引き留められたのだった。
「……その様子だと、さっきの三人組か?」
「あー……うん。買ってたお土産を盗られちゃって……」
既に男たちを見失ってしまって、どう追えばいいのかも分からない。こうなっては仕方がないと、シエルは少女にぽつぽつと説明を始める。
「私の名前はシエルって言うんだけど。ナヴァランから買い物に来たの――」
買い物をしに、ファリネへと訪れたこと。商品を眺めている間に、前の店で買ったお土産を盗まれたこと。こうして追っていたところで、危うくぶつかりかけてしまったこと。
それを腕組みをしながら聞いていた少女は――何を思ったのか、ふんふんと頷く。
「……それは悪いことをしたな。そうだな……ここで少し待っていろ」
「…………?」
言われている意味がうまく理解できず、困惑するシエル。そんな彼女を置いて、少女は男が消えていった方へと歩き出す。足取り軽く、華麗にステップを踏むように。そしてクルリと振り返ると――
「ちょうど暇だったところだ。私が取り返して来てやる」
黒髪の少女はそう言って、不敵に笑ったのだった。
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