第4話 遺されたもの

「……やっぱり、強度が足りないのかなぁ」


 格納庫に戻りそのまま作業に入ったシエルが、昼の飛行試験のことを思い出しながら呟いていた時だった。奥で寝ていたイグナが、ろくに頭を上げないままにシエルに声をかける。


「しばらくは止めときなよ。ただでさえ、最近は外の様子がおかしいんだ」

「それって、この間言っていたこと?」






 それは数日前の夕暮れ時――


『なんだろこれ、嫌な気配が広がっていく感じが――』


 シエルは何も感じなかったのだが、突然イグナが異変を感じたらしく。それが原因で、外の魔物がざわつき始めていると言いだしたのだ。


 ――例えるならば、世界が脈打つような。その脈動に合わせて、全身が揺さぶられるような。あまりの不快さに、動くことも稀なイグナが上体を起こした程である。


『イグナは大丈夫なの?』


 心配して声をかけたシエルだったが、そこでいつもの調子を装ったイグナは鼻を鳴らしていた。シエルでも一目で分かるほどのやせ我慢である。


『……僕は特別だからね。ちょっとイライラしやすくなってるぐらいかな』

『……いつもじゃないの』






 そんな会話をしていた時は、まだ半信半疑のシエルだったが――実際にこうして竜に襲われた以上は認めざるを得なかった。


「確かに、いつもはあんな所で出てくるはずないし」

「少しの変化にも過敏になってるんだろうね」


『そのうち、何もしてなくても襲うようになるかもよ』と脅すイグナ。しかしそんな物言いはいつものことで。それを尻目に、シエルはカチャカチャと整備を続ける。


「うむぅ……」


 手を動かしながらシエルは小さく唸る。一番高価な蒸気機関スチームエンジンは、なんとか持ち帰ることができた。――が、翼や機体部などの部品類は再び買い集める必要がある。歯車ギアも、革も、なにもかも。


「少し足を延ばす必要があるかもなぁ」


 失敗続きの現状を打破するために、シエルが考えたのは――材料などの根本的な部分からの見直し。もちろん、この辺りで手に入るものでは限界があるため、大陸の外へと行くつもりだった。


「――ねぇ、イグナ」

「……なにさ」


 ポツリと呟くシエルに、イグナは嫌な予感が頭をよぎる。


「頑張ったら別の大陸まで飛べる?」

「……今までの話聞いてたかい?」


「……だよねぇ」


 ――即答だった。もちろん、イグナの口から出たのは非難の色で。シエルは予想通りの答えにため息を吐くと、作業を切り上げることにした。


 窓にはカーテンをして、外からはイグナが見えないように。ドアの鍵もちゃんとあるか確認して。街からそれなりに外れた場所のため、人は滅多に来ないものの。念のために戸締りだけはしっかりしておく。


「それじゃあ、暫く空けるかもしれないけど――」

「大丈夫。ほら、暗くならないうちに帰りなよ」


 最後に、父親の写真を鞄に仕舞いこみ――別れの挨拶を交わして、シエルは格納庫を後にした。






 シエルは日の落ち始めた坂道を歩いて自宅へと戻る。坂を登り切ると、見下ろす形で都市が広がっていた。


 ――鉄銹てっしゅう都市、ナヴァラン。


 地面が深々と抉られ、すり鉢状になった地形。その中心から広がっているようなこの都市こそ、シエルが生まれ育った街だった。


 シエルから見て西側が居住区で、東側が工業区。その所々から、何本もの煙突が天へと伸び――その一本一本が灰色の煙を吐き出し、空を濁している。建物は空気中に舞う金属粉に曝されたせいで、焦げたパンのように染まっていた。


 居住区では目立った影響は出ていないものの、それでも全体に渡って蒸気とオイル、鉄さびの匂いが充満している。故に、鉄銹てっしゅう都市。


 魔物も臭いを嫌って寄り付かないその都市は、夕闇の中で煌々と灯りを放っていた。






 重い気持ちになりながら、シエルは玄関の扉を押し開く。


「……ただいま帰りました」

「どこに行ってたの。こんな遅い時間まで」


 出迎えたのは――シエルの叔母。今となっては唯一の親戚となる、オートルだった。オートルはデゼールの事を、死後となった今も快く思っておらず。


 妹であるシエルの母親が病死してもなお、娘を家に置いて空を飛びたがる変人。それだけではなく、勝手に事故死してしまった無責任な男。一部の技工士クラフターからの評判はよかったものの、これが街においてのデゼールの印象で。


 ――にも関わらず、なにかと父親の真似をしたがるシエルも彼女にとっては煙たい存在だった。


「最近は物騒になってるんだから。エルミセルで何があったのか聞いてないわけじゃないでしょう?」

「……ごめんなさい。次から気を付けます」


 これ以上顔を合わせていても説教が続くだけ――そう感じたシエルは、足早に二階にある自室へと戻っていく。オートルの何か言いたげな視線を受けながら、階段を上がるシエル。


 父親が死んでからずっと続く、息苦しさに苛まれる生活。だからこそ、彼女は空に憧れた。自由に空を泳ぐ龍を見て、羨ましく感じていた。


「やっぱり、この街からじゃ見えないよね……」


 窓を開け空を見上げるも、依然として雲が一面を覆っている。工業区では、煙突から出る黒ずんだ煙が空に昇り――より一層、雲を分厚くしているかのようだった。


 高炉の灯りが漏れてるため、夜にも関わらず街の空が仄かに赤く染まる。


 ――今日も、鉄銹てっしゅう都市から星は見えない。


『流れ星に願い事を三回言えば、神様が叶えてくれる』


 それは、父親デゼールが生前にシエルによく言っていた‟おまじない”だった。


『そんな短い時間に、どうやって願い事を三回も言えばいいの』


 当時のシエルは純粋で、そんなことに頭を悩ませていたものだが――そもそもこの街では、流れ星に遭遇する機会が殆ど無い。


「雲の上まで飛べたらなぁ……」


 街の外に出れば、きっと星なんていくらでも見れるのだろう。


 ――それでも、シエルにとっては。


 生まれ育ったこの街で見ることに、空を飛んで見ることに意味があった。






「……まただ」


 窓から見える街の様子は、酷く不格好で。いつもどこかが形を変えているような印象さえ、シエルは受けていた。今現在で顕著に変わっている部分は、所々に配置されている防衛装置である。


 魔物の凶暴化への対策措置としての、新型対空砲。建前としては、そうなっているものの――対立している都市への圧力として、前々から開発されていたものだと。街ではその都市の噂と合わせてもちきりで、先ほどオートルの口から出た『エルミセル』という都市の名前を、シエルも度々耳にしていた。


 工業で栄えた都市であるナヴァランと、魔法で栄えた都市であるエルミセル。このままでは、いつか戦争状態に入るのではないかという噂。イグナの言っていた『ヒトとヒトとの争い』。


「――嫌だな……」


 ヒトが長い時間をかけて培ってきた技術が、戦いの道具に使われる。そんな話を聞く度に、心が締め付けられるようだった。


『――技術というのは、生活を豊かにし、世界を広げるためにある』


「……産みだすための力であって、壊すための力なんかじゃないんだ」


 そんなデゼールの口癖を――シエルは暗い部屋の中で一人、呟いた。

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