うちのおかしい助手の話
三河怜
うちのおかしい助手の話
朝日がアパート内を照らしていた。
インターホンの音が何度も響く。
眠気をこらえながらソファーから起き上がり扉をあければそこにはいつものように一人の少女が来ていた。
「おはよ♪ 伊能さん」
そう、上機嫌で声をかけてくるのは一週間ほど前、義頼の助手となった少女、高猿寺アリスだ。その身は一週間前に着ていた服に義頼が普段使っているコートと似たようなものを着ていた。
流れる銀髪に人懐っこい笑顔、白い肌とどこかのおとぎ話にでもいそうな風貌を持っているが、まちがいなく、助手である。
「インターホンを何度も押すな、といったと思うんだが?」
「だって! いつも一回じゃこないんだもん!」
ため息をついてアリスを中へ入るように促して義頼は顔を洗いに洗面台に立つ。鏡に映るのはどう見てもさえない中年男性のそれだ。
ぼさぼさの黒髪に、無精ひげ、目つきも悪く、収入も良いとは言えない。
持っているアパートは1DKである。
――何が好きでここに来るのやら。
未だ、よくわからないままでいる。
とりあえず顔を洗って居間へと戻ると朝食を用意してくれているありすの姿がある。
この一週間、ありすは、ずっと義頼の仕事を手伝ってくれていた。学校が春休みらしくすることもないようだ。最初は、ありすを納得させるために名刺を渡したのだが色々と義頼の予想を超えていた。
一つは連絡の多さだ。他にすることがないのかと思うほどに話しかけてくる。三日ほどで慣れている自分も大概だとは思うが。自宅を教えてからは本当にわずかに減ったがそのかわりにこうして家に来るようになってしまった。
二つ目は仕事における能力の高さだ。昨今の小学生の能力に関しては疎い義頼でも、ありすの仕事における能力の高さは知れた。相手の嘘を見抜く。注目すべきところを理解している。怖いくらいに。
依頼人も子ども相手ということで口が軽くなる点を考慮しても大人顔負けの能力の高さだ。
当然、怪訝そうに依頼人たちはありすのことを聞いてくるがそのたびに適当な理由をでっちあげてごまかしていた。
「さてと……行くか」
トーストとコーヒーのみという朝食を手早く済ませれば、スーツへと着替えた。
ありすの前だが気にせず着替えを済ませた。
「見てて楽しいか?」
聞けば、ありすは視線をそらした。部屋から出ていればいいとも思うが、いまだ、よく分からない。
ありすと、共に職場である事務所へと向かう。やたらと手をつなぎたがるのでとりあえず繋いで行く。昼の住宅街の中だが、幸い。不審者としての通報はない。
「立派な助手になってきたかな?」
「ん、そこそこ、な」
「じゃあ、もっともっと伊能さんのためにがんばらなきゃね! そうしたら、もっと褒めてくれる? 一緒にお出かけとかしてくれる?」
「……がんばり次第だ」
「やった! それなら、頭撫でてほしいなぁ……あ、行くなら伊能さんはどこがいい? やっぱり騒がしいところより静かなところの方がいいよね?」
そして、おしゃべりに付き合うというのがここのところの流れだ。
伊能探偵事務所。年季の入ったビルのペナントの一室。
客入りが芳しくないため必然的に掃除に割ける時間が多くなりさらにありすの手が加えられて隅々まで清潔に保たれていた。
事務所につけば、まずやることはその日のスケジュールの確認だ。
デスクのノートPCを立ち上げてホワイトボードへと目を向けた。
留守番電話もなく、新規の仕事は0、そして当日の仕事は――
「今日の仕事は子どもの一日の様子、か」
昨今のいじめなどの問題などもあり子どもに関するものもここのところ、よくある依頼ではある。
依頼人の母親曰く息子と最近話すことが少なく、心ここにあらずといった様子を見られるため様子を見てほしいとのことだ。
「ついてくるんだろ?」
「もちろん♪」
立ち上がると、ありすは笑顔で当然のように答えれば、依頼人の息子が遊んでいる学校へとすぐに足を運んだ。幸いにも徒歩で行ける距離だ。ありすにペースを合わせることはないが、しっかりとありすはついてくる。
――こいつの親は何をしているのだか。
鬱陶しく腕に絡みついて話しかけてくるありすへと視線を向ける。
深く関わるつもりはないのでとりあえず、義頼のところで預かりは一応するということだけで事情は聞いていない。
ありすの家は裕福らしく、わざわざ保育料まで振り込んでくれていた。払うものを払っているのであれば依頼として受け取ることにしていた。
視線をありすへと向ければ、ありすは顔を赤くしてはにかんだ笑みを見せる。
そんなやりとりをしているうちに目的地へとたどりついた。
「見たところじゃわからないか」
春休み中の学校だが、校庭は遊び場として解放されているためそこそこに子どもの姿がある。件の子どもの姿もあった。
遠目で見る限りは追いかけっこを楽しんでいるように見える。ただ、それだけで判断はできない。
「……助手、仕事だ。お前なら怪しまれず入れるだろ」
「あ、うん。行ってくるね」
助手としてきている以上はそれなりには働かせる。そのことはありすも理解できているらしく。義頼の話は聞いてくれる。
ありすは役目を与えられれば名残惜しそうに手を放しつつも嬉々として校庭へと入っていく。しばらくすれば戻ってくるだろう。その間に考えることは一週間前のことだ。
――ありすと会った時のことだ。
あの一件。疑問が残っている。もっともオカルトという未知の要素が関わっているから当然と思うが分かることもある。
犯人が、あの影の男として。それらを撃退する要素である本やフラッシュ機材が何故あったのか。
本やフラッシュ機材に関しては偶然で片付けられるかもしれないが、あの扉に書かれていた絵の場所には入れなかったように思えた。
「できすぎた状況だ」
まるであの男が自分たちを脱出させるためだけにいたような、そんな役割だ。そう考えるとフラッシュ機材や本があったことも理解ができる。
――ならば、誰がそんな役割を与えた? 誰が得をした?
一人しかいない。ありすだ。
なぜ自分だったかは分からないがそこに至るまでの騒動もありすを助けた途端になくなった。入れ替わるようにありすが押しかけてきた。
あのほとんどがありすの自作自演そう考えることはできるか?
――ありすの目的はただ、義頼の助手となること。そのためだけにあんな仕掛けを作るのか?
「あいつならやる」
この一週間のありすと関わって確信をもって言える。彼女は正常な子どもとは言い難い。
推理をしているうちにありすが戻ってくる。
「うん、大丈夫そうだった。好きな子できたけどうまく相談できないんだって」
「そうか、一応写真も撮ってあるし十分だろう」
無表情を保って次の目的地へと赴く前に昼食をすませるためにコンビニへと足を運ぶ。
手早くすませるために大体において丼系の弁当かインスタントの麺類である。
当然のようにありすは義頼と同じものを購入し、イートインスペースや公園のベンチで食べる。
「昼食費はもらっているはずだろう」
「おなじのがいいの」
一応、親からはそれなりの昼食代を渡してもらっているがそれでもかたくなに同じものを望み。欲し。義頼と一緒にいたいがために全てを知りたがる。
助手になってから確認できたことはスケジュールの完全な把握にはじまり似たようなコートを羽織り。同じ会社の同じPC用の眼鏡を購入し、初見の部屋の掃除を説明することなくほぼ完ぺきにこなしてみせた。
――まあ、そんな思いなど知ったことではない。
昼食済ませれば向かう先は依頼人のところだ。
依頼人に結果を報告すれば、依頼料がしっかりと払われる、何事もなく事務所へと戻ってくる。
そうして残る作業は中小企業へとメールを送るという作業だ。中小企業であるなら社長自身がメールを見る可能性があるという軽い考えであるがなかなかこれでも成果は出ている。これまでの実績もあってなんとか食っていけるだけの仕事はもらえていた。
いつもなら落ち着ける時間なのだがここ一週間は、ありすの相手が多い。仕事に関するもの以上に義頼についてのことが多い、機嫌を損ねない程度に答えるのがなかなかに面倒だ。
「ねえ、なんで探偵さんになったの?」
「楽だからだよ、最低限の人付き合いで切ろうと思えば切れるからな」
「だけど――」
ありすの言葉にただ、適当に返して。気が付けば時計は午後六時を指していることを見れば、義頼はキーボードを打つ手を止めた。
「今日はこれで終わりだ。帰るぞ」
「お疲れさまでした♪」
義頼が送ってくれるとわかっているのか上機嫌でありすは帰りの支度を進める。
「なあ、ありす」
呼べばありすは振り返って首をかしげている。
――自らの推理を告げるべきか? 自らも手に負えないような化け物を呼び出してあの事件を起こしたのはお前だろう、と。
だがそれ告げれば、どうなるか。
「……なんでもない」
「? 変な探偵さん」
話さない。否、話せない。その瞬間、何かが壊れる気がした。おそらく、そうなればありすに敵意を向ける自分が予想できた。
そうすればこの関係は一瞬で崩れる。それほどにもろい関係だ。
この一週間、ずっとありすから感じ取れるのはただ一つの感情で繋がっている。
――純粋な好意。
その思いがあふれ出して、狂気となって義頼とありすを結び付けている。
こちらを貶めようとしているわけでも利用しているわけではない。
――だからこそ、扱いづらい。
拒めば何をするか、分からない。受け入れてもこれまでの平穏を捨てることになる。だからこの中途半端な距離を保っている。
考えながらありすの話に相槌を打っていればありすの家の前だ。
「じゃあな」
「うん、またね!」
送り届ければ帰路につかず、次の仕事の確認をするためにスマートフォンを取り出す。
さすがに夜の街にまで子どもを連れ歩くつもりはない。
心配ではなく、単純に警察の厄介になるからだ。
三ッ沢上町にある自宅から横浜、そこからは湘南新宿ラインで新宿へ。依頼の内容はとある中小企業の社長の監視だ。ただの飲み会ならいいが、夜遊びが過ぎているように感じるとのことらしい。
――面倒だが金にはなる。
一人電車に揺られてスマートフォンを見ればありすからのメッセージが飛ばされてくる。返す頻度は適当にして向かう。
しばらくすればメールが止まる。おそらくは眠ったのだろう。
数十分すると着信を告げる振動が響き、手を取る。番号はありすの家からのものだ。
――ありすからならば家の電話を使うことはないはずだが。
近くの駅でいったん降りて電話を取る。
「……もしもし」
「高猿寺家の使いのものですが――」
話の内容はありすの姿がないとのことだ。心当たりはないか、と問われれば、ないと答えて。それで終わりだ。
探そうとは思わない。
ありすはただの助手。いなくなればそれまでだ。
――ようやく一人にもどれるかもしれないか。
一つの懸念がなくなったかもしれないことに安堵する。
一週間前の悪夢にうなされ、ありすにつきまとわれることもない。
やはり、独りは気楽だ。
誰にも気にすることもなく、ただ生きるために金を稼ぐだけでいい。
ふと、脳裏に先ほどの事務所でのやりとりが頭をよぎった。
”それでも――皆ができないことをしているとすごいと思うよ”
探偵という仕事をしてその内容を知って、尊敬さされたのははじめてだったか。
――だから何だという話だが。
新宿駅へとつけば目指すのは歌舞伎町。
夜でも煌びやかな明かりに照らされ賑やか人の群れの中を歩く。
ふと、人の視線がある一点へと向けられていることに気づく。
そこで義頼は自分の目を疑った。
銀髪に矮躯。白い肌。
いるはずのない奴がそこにはいた。
「伊能さん♪」
「なんでここにいる」
動揺を隠しながら、喋る。
「助手だから」
この一件に関しては伏せていた筈だ。
依頼人の二人きりで話し、ありすには席を外してもらっていた。にもかかわらずここにいた。
「ひどいなあ、助手を置いて行っちゃうんだもん」
「……」
何故依頼を知ったか、どうやってきたかは推測が付くがそれ以上に、思うことがある。
――どうあっても逃れることはできない。
何故か、そんな気がした。
だが、そこでただで終わる気はない。この状況を利用するまでのことだ。
この平穏の中、確実に得体のしれない何かが潜んでいる。
幸いにしてありすの能力自体は高く、そしてこれら未知の化け物に対しての知識も多少なりとも持っているのであればそこから新たな依頼につなげていくこともできるだろう。
考えた途端、悪寒が走る。だが、引き返せない。
そう思えば義頼は笑みを作った。ありすに向けてではなく、愚かな選択に自嘲するためのものだ。
「良い子は寝る時間だがな」
「しーらない」
聞く耳は持たずにありすは義頼の腕に絡みついてくる。周囲の視線に鬱陶しいものを感じながらため息を一つついた。
「離れるな」
「うん、死んでも離れない」
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