ジャパリばたけの大神さん(全長版)

みうらゆう

第1話

 私が前の仕事をやめてここに棲み始めてから、もう数え切れないほどの夜と朝が過ぎた。今は、ジャパリパークの森林地方と平原地方の境界にあたる山の中腹で、日当たりのいい斜面に段々畑を作り野菜を育てている。

 ジャパリパークにはこのような農作地があちこちにあり、毎日のように野菜が収穫されては工場へ送られ、パークに棲むフレンズの普段食べているものへと加工される。加工前の野菜が苦手な私には自分で作った作物の味がどれほどのものか分からないのだが、近所のジャパリ図書館に棲む、グルメな舌の持ち主であるアフリカオオコノハズク博士が頻繁に来ては育った野菜を盗んでいくので、味がまずいわけでもなさそうだ。

 今日も今日とて、アフリカオオコノハズク博士がワシミミズク助手を連れて畑の野菜を物色し始めたので、うなり声を上げて警告した。私の機嫌が悪い日なら容赦なく野生を解放して博士を泣かせてやるところだが、今回は珍しくワシミミズク助手が土産物の入った袋を差し出してきたので許してやった。しかしこうもせっせと野菜を持って行かれたのでは工場へ送るべき分が減ってしまうから適当に切り上げてもらいたい、と釘を刺した。

「賢狼」

 その日はアフリカオオコノハズク博士も話しかけてきた。正直な話、このくすぐったくなるような呼び方はやめてもらいたい。しかし彼女には、私が睨んでも一向に気にする気配などない。

「そろそろ別名を認めるのです。助手が図書館で調べていい名前を見つけたのです」

「古い物語にロボというオオカミがいたと書いてあったのです」

 アフリカオオコノハズク博士に続いて、ワシミミズク助手が言った。ただこの「ロボ」の名前には私も聞き覚えがあったので、かすかな記憶を辿りながら感想を伝えた。

「ロボはニホンオオカミではなかったろう‥‥種類が違うし、あれは大きく利口なオオカミだ。私のようなチビで喧嘩ッ早くはなかった筈」

 続けて、自分ならロボよりもボロの方がお似合いではないかと口を突いて出そうになったが、それを言ったらアフリカオオコノハズク博士が大喜びして呼び名に採用するだろうから、私は言葉を呑み込んだ。


 私はニホンオオカミである。特別な二つ名など必要ない。フレンズは種の名前で呼び合うのが普通であり、変にあだ名で呼ばれるより「ニホンオオカミ」の方が助かる。

 ジャパリパークには、アフリカオオコノハズク博士が「コノハ博士」と呼ばせたがるように略称や別名を希望する変わり者は時々いるが、私からはアフリカオオコノハズク博士と正しく呼び続けている。彼女は、かつて知り合った頃には呼び方を変えろと繰り返し抗議してきたものの、私の側に従う気が全くないと理解したのか、最近はこの件について直接は何も言ってこない。そういえばアフリカオオコノハズク博士が私を「賢狼」などと呼び続けるのは、その意趣返しなのかも知れぬ。ただし、私もアフリカオオコノハズク博士もフレンズ化して以来ジャパリパーク暮らしが長いから、そのことを踏まえての敬意を含んだ呼び方ではあるのだろう。意図は理解できる。

「何か無いのですか。呼んで欲しい名前は」

「無いね」

「『ハンター』はどうなのです」

 諦めの悪いアフリカオオコノハズク博士は私の前の仕事を持ち出してきた。確かに私の過去にはセルリアンハンターだった時代がある。しかしそれは若かりし遠い昔のことだ。身も心も老いてしまった今ここで話に出されるなんて、古傷をえぐられるようなもの。そういえばヒグマは元気でやってるだろうか。

「今後も私と仲良くしたければ、ニホンオオカミと正しく呼ぶことだね」

「それでは長すぎるのです」

「面倒なのです」

 私が自分の望みを告げると、アフリカオオコノハズク博士とワシミミズク助手が口々に文句を言い始めた。ええい、うるさい長老どもだ。


 ワシミミズク助手から受け取った土産袋を手に麓まで下りて帰宅すると、テーブルの上に今日の分のジャパリまんが置かれていた。留守中に「ボス」が配達してくれたのだろう。賃金代わりというわけでもないのだろうが、これが定時的に貰えるから農作業に専念できる。こうした糧のあてがなければ、まずは自分で食べる分から畑で育てなければならなかっただろう。この住処とあの仕事を共に世話してくれたアフリカオオコノハズク博士には、普段の口うるささはともかくとして感謝している。

 ところでジャパリまんを持ってきたボスというのは、耳と足はあるが腕がないという変わった形をした機械じかけのけものもどきだ。こちらから話しかけても返事はなく、ただ黙々と食事を運んできてくれる。畑で収穫した野菜があるときは、ケースごと頭に乗せ絶妙なバランスを取りながら工場まで運んでくれるのだが、腕のないあの身体でどうやってものを持ち上げているのか未だに理解できない。謎多き存在である。

 我が家には今、訳あってジャパリまんが2人分届けられる。ここで私が全部食べるわけにはいかない。これから半分を持ってまた山へ行かねば。畑仕事に明け暮れる日々は、アフリカオオコノハズク博士らが現われいつも慌ただしい。加えて、ここ半月ほどはジャパリまんを「供え」に山へ入ることが日課となっている。退屈する暇などない。


「やァ大神おおかみさん、待ちくたびれたよ。ハラペコだァ」

 山へ入って「ヤシロ」と呼ばれる赤い大箱(と言っても、赤や白が入り組んだ何やら複雑な形をしてはいる)へ入ると、白いキツネのフレンズが駆け寄ってきた。普通のキツネのフレンズではない。ジャパリパークに点在するヤシロを行き来して「オイナリネットワーク」(詳細は知らないが)を担うオイナリサマである。見た目は若い女狐のフレンズだが、これがなかなかの事情通である。耳年増とも言う。

 彼女へジャパリまんを差し出すと、私の手から奪うようにしてその場で食べ始めた。よほど飢えていたと見える。その気になればヤシロから出て私の畑で何か作物を食べることも可能だろうに、こうして私がジャパリまんを持って来るのを黙って待っていたところなどは、かのアフリカオオコノハズク博士やワシミミズク助手よりも行儀がよろしい。

 オイナリネットワークの仕事は本来、数日ヤシロに泊まればすぐに他の土地へ転々とするのが常なのだが、こやつは偶然出会った私の出自に興味を持ってもう半月もこの山に居座っている。いつからか二人分の食糧を運んでくるようになったボスは、私が彼女と頻繁に会っているものだから、私の家へ引っ越してきたと勘違いしたのかも知れない。

 オイナリサマは、ここのところ毎日ジャパリ図書館に通いアフリカオオコノハズク博士らから昔話を聞き出しているらしい。それだけならまだいいが、そこで聞いた内容を私にぶつけて真偽確認しようとする。これが大変煩わしい。しかもオイナリサマは会うたびに私の家へ入れてくれとせがむ。どうやら一晩かけて質問攻めにしたいらしい。そうはいくか。オイナリネットワークには立派なヤシロがあるのだ。話を聞きたければ私をヤシロに泊めるがいい(とは言ったことなどない)。

 ところで、オイナリサマはなぜか私を「大神おおかみさん」と呼ぶ。ニホンオオカミだと何度も教えてやったが間違えて覚えたのか、相変わらず「大神おおかみさん」呼ばわりである。オイナリネットワークの関係者に似たような名前のフレンズでもいるのだろうか。自分の希望するように呼んで貰えないもどかしさで、今では、私にもアフリカオオコノハズク博士に同情する気持ちが芽生え始めている。


 ある日、ジャパリまんをヤシロに持って行くとオイナリサマの姿が無かった。次の土地へ出発したのか単に外出したのか分からなかったので、ジャパリまんはいつもオイナリサマがいた部屋に供えて帰った。帰りに畑に寄ると、アフリカオオコノハズク博士がまたワシミミズク助手を連れて野菜を掘っていたので狩りごっこよろしく捕らえ、最近オイナリサマと会わなかったか尋ねた。アフリカオオコノハズク博士の話では、前日に、私がかつて棲んでいた場所を教えたという。なるほどオイナリサマのことだ、喜び勇んでそこを見に行ったに違いない。何てことをしてくれたのか。あそこは大きなセルリアン「カイチョー」の巣の近くじゃないか!

 別にオイナリサマを心配するわけではないが、私もその場所へと久しぶりに行ってみることにした。最後にあそこを訪れたのは、セルリアンハンターとして仲間らと行動を共にし始めた頃か。記憶も薄らぐほど昔のことだ。

 オイナリサマを探すのにセルリアンの縄張りへ入る必要があるため、ハンターだった当時使っていた弓矢を小屋から探し出して携えることにした。何本も保存してあった弓の中から、それぞれを軽く引いてみては今の自分の手に馴染むものを選び、矢も筒に入るだけ入れた。しかし実際のところ、弓矢でセルリアンをどうにかできるものではない。私がハンターだった頃もセルリアンを仕留めるのに使っていたのはナイフだ。弓矢の方は、遠距離からセルリアンを牽制しあわよくば追い払えるという程度のもの。

 私は再び山へと入り、アフリカオオコノハズク博士が「ハクブツカン」と呼ぶ大きな箱へと辿り着いた。「巡回展」「幻のニホンオオカミ」「きちょうなはくせいがジャパリパークにやってくる!」と、箱の壁面にはどんなフレンズの毛皮にも見られないほどの複雑な模様がある。以前、一緒に来たアフリカオオコノハズク博士はこれを眺めながら、何やら勿体ぶって意味ありげな表情をして頷いていたが、私には意地悪して何も教えてはくれなかった。いや、「セルリアンと戦うのはもうやめた方がいいのです」と彼女が初めて言ってくれたのがその時だったか。もっとも私にはフレンズ化した後の一番古い記憶がここの風景だった以外の思い入れなど、この場所にはない。けものだった頃の記憶も無いから、ここが自分の塒だったのかも分からない。アフリカオオコノハズク博士は、彼女自身の話によればそう確信しているようだが。

 この大箱はもう一つの大箱と中で繋がっている。そちらがカイチョーの巣だ。何人ものフレンズがこいつに掠われ、食われてしまったとの噂が森林地方で流れている。最悪の場合、箱の中を移動してここで我々の目の前に現われるかも知れない。オイナリサマを心配するわけではないが、セルリアンに見つかる前に山を下りさせねば。


「おや、大神おおかみさん、こんなところで何を?」

 オイナリサマは「ハクブツカン」であっさり見つかった。けろっとした表情で、他人に心配をかけたとは露ほどにも考えていないかのようだ。しかも、ジャパリまんを持ってきましたかもうお腹が空いちゃってなどとすっとぼけたことを言うものだから、念のため懐に入れておいたジャパリまんを半分食わせて黙らせた。

 そのとき頭上から甲高い鳴き声が聞こえ、黒く大きな影が空を素早く通り過ぎた。カイチョーだ。形こそはフレンズ化する前の鳥に似ているが全身が黒い固まりのようで顔に一つ目がギョロリとしてる異形のこいつに我々が見つかったわけではないようなので、慌てて動くよりも草木に身を潜めていた方が安全だが、オイナリサマが「脚にフレンズが摑まれてた」と言いだした。オイナリサマは動きが素早いだけでなく目も良いので、見間違いではないだろう。

大神おおかみさん、助けましょう」

「それは無謀だ。武器はナイフと弓矢しか持ってきていない。これではあいつを倒せないぞ」

「倒さなくていいんです。フレンズを落とすよう仕向けられれば」

「しかし‥‥今までにも多くのフレンズが掠われいて、ここでたった一人助けただけでは何も変わらない」

「いいですか。私は現にあの子を見てしまったんです。このまま見殺しにしては夢見が悪い」

「‥‥セルリアンを呼び戻したら、我々も危ないぞ」

「その時はその時」

 私たちはしばらく言い合いになったが、結局はオイナリサマの強い訴えに私が折れた。


 巣へと下りる前にこの辺りを周回しているカイチョーを私が矢で攻撃しフレンズを落とさせオイナリサマが受け止める、と必要最小限の打合せをしたあと、箱の天井を突き破って伸びた木を私は登り始めた。屋根の辺りまで上り「▼▼山の大怪鳥伝説展」と模様の入った板をも足場に利用しながら木のてっぺんまで到達した。

 私は一声吠えた。こんな大きな声を出すのは久しぶりだ。自分の身体に野生が戻ってくるのを感じた。私の遠吠えに反応したかのように、カイチョーの甲高い声が聞こえてきた。やつはきっと戻ってくる。来い来い、おまえの好物のフレンズがここにもいるぞ。

 弓を構え、矢をつがえる。ところが思いがけずカイチョーは森の中から、目の前でゆっくりと飛び上がってきた。しまった、もう巣に戻っていたのか。「カイチョー」の脚を見ると、もうフレンズは放した後だった。これでは、オイナリサマは巣に潜入しなければ先のフレンズを助けられないではないか。

 飛び立った直後なのでスピードには乗れずカイチョーはふらふらと飛んで向かって来る。こいつを巣に帰さないためにどう時間稼ぎをすべきか考えねばならない。私は素早く矢を放つと、矢筒の中からまた新しい矢を取り出す。カイチョーがこちらを掠めて通り過ぎるときには、木を下りて枝葉に身を潜める。しかし万一この木にカイチョーがとまり、あの嘴で集中的につつかれでもしたら逃げのびられる自信が私には無いぞ。それでも巣に行かせてオイナリサマを見殺しにするよりはましかも知れないが‥‥。

 矢を放っては身を潜め、また放っては潜む。手持ちの矢が無くなるまで何とかそれを繰り返して、半分ほどをカイチョーに命中させることができた。しかしオイナリサマは無事だろうか。最後にはカイチョーが巣のあたりに戻っていってしまい不安が一瞬よぎったが、私は木を下りてハクブツカンを出た。

「あんなのと本格的にやりあおうと思ったら、一人では無理だな‥‥」

 思わず声が出た。


 ハクブツカンの外で、オイナリサマが駆け寄ってきた。彼女のすばしっこさは伊達ではなかったようだ。カイチョーの巣からフレンズを抱きかかえてきたのだ。力も相当なものらしい。

大神おおかみさん‥‥これ何のフレンズでしょう?」

「今まで見たことのない形だな‥‥」

 フレンズにはたいてい頭の上に「けもの耳」「羽根」「フード」のいずれかが付いてるものなのだが、青と緑の中間のような色のふさふさした毛が頭を覆っているだけで、そのうちのどれも持たない。よく見ると尻尾もない。

 フレンズを抱えたオイナリサマは、またジャパリパークに謎が生まれたと目を輝かせて喜んでいる。こちらとしては、さっきのカイチョーがそいつをいつ奪い返しに来るか気が気ではないのだが。

「へへ‥‥これで念願の大神おおかみさんの家に行けますね」

 オイナリサマは緊張感のない声で言った、ようにこの時の私には聞こえた。厄介ごとはいつも外からやってくる、なんてことすらオイナリサマには考えていたのだ。

 ところが、実際にはオイナリサマは巣の中で「地獄」を見ていた。当時の彼女は私が何度尋ねてもカイチョーの巣の様子を詳しくは教えようとしなかったのだが、後年彼女が話してくれたことには、助け出せたフレンズの他にもカイチョーの巣の中で輝く球となって転がっていたのが何人分もあったそうだ。中には小型セルリアンが食らいついて「食事」の真っ最中だったものもあった。フレンズを一人抱えセルリアンに襲われるかも知れないギリギリのところで脱出しようとしていたオイナリサマは「助けられなくて申し訳ない」「見殺しにしてすまない」と心の中で繰り返しながら巣を出たらしい。以来ずっと、それらを助けられなかったのが悔やまれてならないという。


 さて、助け出せた方の見慣れぬフレンズは呼吸が荒くなっていた。怪我をしているのかも知れない。アフリカオオコノハズク博士に何のフレンズか鑑定してもらう前に、治療をしてやらないとならない。うちの小屋に繋いである、治療用の小型セルリアンはどれほど残ってただろうか‥‥先日ワシミミズク助手が土産ものとして渡してくれた分で足りるといいのだが。私がハンターをやめた後で、セルリアンを治療目的に使えないか畑仕事のかたわら実験してきた理由が、もしかしたらこのフレンズを助けるためだったのではと柄にもなく思えてきた。こんな運命論、アフリカオオコノハズク博士に聞かせたら笑い飛ばされるか。

 私はこのフレンズを運ぶのをオイナリサマに任せ、またセルリアンに襲われるかもしれないと、ナイフを手に握りしめ周りを警戒しながら共に家路についた。万が一カイチョーが再び現われでもしたら、自分が飛びついてナイフを突き立ててでも二人を助けてやると強く決心していた。しかし山を下りてあっさり私の家に着くまで、そう長くは時間がかからなかった。

 私はこのオイナリサマに対して信頼感のようなものを抱き始めていたのかも知れない。今晩くらいはオイナリサマを家に泊めてやろう。何ならフレンズの治療の試みを見せてやってもいい。


 これは「仲間」としての敬意なのか。私はセルリアンハンターをしていた頃に持っていた懐かしい感情を思い出していた。

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