第1話 空飛ぶ馬と旅の娘

 イフ・ドール・ラ・ドーレストが、生まれ育った"冬の王宮"の離れ、細工物のキャビネットにも似たきらびやかな尖塔の頂上の屋根裏部屋からまさに飛翔しようとしていたとき、城の真正面にある巨大な天文時計の針は、十三本ともちょうど天を指そうとする頃合いだった。

 子ども用の回転木馬――美しい装飾の施された陶器ではあるのだが――に、大小さまざまな歯車と発条と機械の組み合わさった、オブジェのような新しい発明のような不思議なそれにまたがり、今年十四歳になるノルニシュカ皇国の第十二皇子は、思いっきり取り付けたペダルを踏み込んだ。途端、はじけるような音と共に、たたまれていた帆のような白い巨大な翼が羽ばたき、頭上に傘のように広がった水晶やガラスで出来た回転翼が勢いよく回りだした。人力飛行機は風をはらんでいっきに軽くなり、その陶器の蹄が床から浮きそうになった、 その瞬間、突然に回転翼が止まり、全体に帯びていた無重力感がひといきに消えて、かたんと堅い音を立てて、飛行機ぜんたいが床に落っこちた。屋根裏がいっきに静まり返る。

「ぜんまいの巻きが足りなかったかな」

 十四歳になってもまだ寝所のからくりナイチンゲールのような声だと、兄らから揶揄される声で冷静につぶやくと、陶器の馬からおりて脇にかがみ、機械の部分を確認しはじめた。

 屋根裏部屋は、"冬の王国"ことノルニシュカ皇国の都にある城の最東端、塔がたくさん突き立つ棟のさらにはじっこにある、一番細くて、一番高い塔の天辺にあった。

 開いた窓からは、円形の城下街がいっぺんに見渡せる。城を中央に据え、雪の結晶のように道を放射状にのばした首都の中心部を、ぐるりと城壁が囲っている。北方の宝石と呼ばれる祖国の街並みは中世のそのまた昔から変わらず、長い冬のヴェールを白く際立たせる色鮮やかな可憐さを保っている。桃色や黄色の壁、オレンジや青の屋根をとろりとした釉薬をかけた陶器で飾り、宝石のように磨きあげるのは、この美しい城下街にすんでいる人々の誇りだ。

 けれど、イフをより惹きつけてやまないのは、その美々しさではなく、街全体の精密なからくり仕掛けである。

 地下を走り、家々に井戸から水を運ぶ無数のパイプは銀の蔦を絡みつけ、水路は蒸留水をながす。街中の橡の実型のガラスは、太陽のさいごの輝きが西の地平線に消える瞬間、淡い桃色や黄金の元素の火をともす。通りにはランプをさげた白銀樹の木立と、真鍮の元素灯が林立する。街中を動かすための機械部の歯車は、危険だけど、子どもたちの遊び場であるし、秘密基地でもある。地下にある巨大な装置が、魔術と科学のふたつの力を根源に、街全体の機械を動かしているのだといわれていた。

 これだけの機械化が成されるには、苦労も多くあった。伝統的な魔術による文化を望む者はおおく、今もあまりに大がかりな首都のからくり仕掛けには批判がある。動力の半分は未だに魔力に頼ってこそいるものの、様々な国から技術者を呼んで、先々代の皇帝が戦災から再建させたこの街は、今や魔術と科学の結婚といっていい状況にあった。

 父と、次に即位するはずの長兄がこの機械化に批判的なのを知っているイフは、今だけはなんともいえない気持ちで、その円形の街並みを見つめていた。

 そうこうしているうちに、城壁の外の森から風が吹いてきた。ちょうど、飛び立とうとしている方向には追い風となる。

 イフは、厨房からちょろまかしてきた赤砂糖をふりかけたケーキを齧る。三口で食べ終わってしまうそれを、二口で押し込み、近くのぼろ布で手を拭いた。それでから手袋をつけ直し、もう一度木馬にまたがる。木馬のこめかみあたりについた取っ手を改造した操縦幹をいじくると、木馬の頭上に掲げられた元素灯に、淡い桃色と金色の火がともった。羽音が耳の奥から響きだし、また、今度はさっきよりももっと大きく、人力飛行機は浮き上がる。ぱちぱちと紅、金、翠の小さな火花が飛び、だんだん、雪の結晶のような銀色の火花が散り始めた。それを見て、イフは満足そうにうなずいた。

「よおし、お前の名前はジルだ。ジル、飛べ。街の城壁をこえるんだ!」





 花々のような都だと、ユリユールはいつも想像する――枯れない花畑。数えきれない屋根がきらきら金色の日差しにかがやいて、春のひなげし、夏の菩提樹、秋のポプラ、冬の三色すみれ、そのまま束ねて贈りものにできそうだ。もっとも、こんな素晴らしい花束を贈られるに値するものが、この世界にいるのかはしらない。

 街の中央の鐘楼から見渡すこのノルニシュカ皇国に来たのは、二週間前だ。そのとき以来、昼になると毎日この塔にのぼって眺める習慣がついている。どれだけ見ても飽きない、見るたびに違った姿を見せる、万華鏡のような、宝石の国。時計職人である父について旅をしてきた十四年間のあいだで、たぶん、一番素敵な国。

 鐘の番をしている老人は、ユリユールの顔をみると微笑んで声をかける。すっかり顔なじみになった老人に微笑み返して、ユリユールは、午後の予定を頭の中で組み立てる。城壁の外の森に木苺を摘みに行って、できることなら薬草もみつけて、それから街に戻って、お父さんになにか素敵なプレゼントを買おう。お父さんは、今日、なんと言ったって、皇帝陛下と逢うんだから!

 一月ほど後に控えた戴冠式の祭典準備のために招かれたユリユールの父は、腕のいい時計職人だった。宝石や彫刻の装飾魔術を専門にし、また時計を作る技術も持っている。国から国へ幌馬車で旅をし、先々でいろいろな時計を直し、つくって回るのだ。皇国の城には大きな大きな天文時計があって、それは城の外側に掲げられているけれど、その内側にもたくさんの機械や時計があるらしい。父は、訪れる村ごとに近隣で評判になったその腕を買われて、病で政から退くというこの冬の国の皇帝から、桃色と黄緑の羽根をもつ、春鳥の形をした正式な依頼状が届いたのだ。――もうすぐ戴冠する皇子のために、皇宮の天文時計に新たに手をくわえて素晴らしいものにしてほしい、と。

 父のつくる時計は植物の種子のように仕掛けが秘められていて、時を経て、作動したとたんに一息に芽がでて、花が開く。彫金の魔術に優れた父は、金の薔薇と銀の百合を咲かせるのがいちばん上手かった。しかも、王宮の時計はあんなに大きいのだ。きっと、見たこともないほど美しい作品になるだろう。

 それを、戴冠式のために誂えてもらえるだなんて、皇子さまが羨ましいなんて思ったユリユールは、ふと思い立って鐘守りの老人に顔を向けた。

「こんど戴冠なさる皇子さまは、どんなお方なの?」

 ユリユールが訊くと、彼は灰色の髭をなぜながら唸った。

「それはそれはまじめな方だよ。十一人も弟がいるからか、しっかりしていて……」

「へえ、十一人も?」

「そうさ、ドーレスト一族は代々子どもが多いんだよ」老人は身をのりだし、鐘を十一回つく真似をする。「まあ、第二皇子と第三皇子は生まれてすぐに、第八皇子のアリアデ様と第十一皇子のミシェ様は、三年前の薔薇風邪の流行でお隠れになってしまったがね……」

 ユリユールはどこか痛みをこらえるような顔をして、それを聞いていた。老人は俯いていたが、やがて顔をあげて、きらきらと白く輝く城を振り仰いだ。

「伝統と魔術を大切にする、思慮深いお方だよ、第一皇子のエトリカ様は。軍事や機械には疎いが、それは第四皇子のキアラン様や第五皇子のムムリク様が補佐するだろう。この国もきっと安泰さね」

 老人は、城壁の遠くを見つめながらそう言った。森や平原、そこを突っ切る街道や畑が見える、広い景色を眺めながら、ユリユールは彼の口ぶりに言葉とは裏腹の微かな不安を感じ取った。それは、いつもこの鐘楼から見つめている世界の広さ、やってくる旅人の多彩さが伝える時代の変化を、彼が本当は察しているからではないかと、ユリユールはそっと横目で老人を見た。

 ユリユールは、父と旅をしてきた大陸のあちこちで、様々な文化を目にしてきた。

 先祖代々、旅の職人を続けているというユリユールの家系は、"旅人の魔術"という、独自の魔術を知っていた。魔導書にのっているような本格的なものや、都で研究されている最先端のものとは違い、一族や旅の仲間に口伝される、原始的だが実用的で、どこか不思議な力だった。

 あたしたちはどうして旅をしているの、と、父親が"旅人の魔術"で雲越しの星を読んでいる背に、問いかけたことがある。幼い頃だった。父親は振り返り、小さな娘を抱き上げた。

「俺たち旅人は、時の呪いを受けている」ユリユールの父親は、幌馬車の中に戻るとそう語った。

「旅人は、流れる時と一緒に絶えず土地を移動することで、時の流れに存在することを許される。どこかに定住したら、遠からずその地には災厄が訪れる」

 だから、お前も、死ぬまで歩みを止めてはいけないよ、と父はユリユールの頭を撫でた。父と揃いの赤毛。かつて南の地で病没した母も、おなじ炎の色をした髪を持っていた。

 ユリユールの生活には、流動と太古が共に息づいていた。

 呪われた土地を抜け、あやかしのいるという森で夜を越し、父親に教えてもらった簡単な魔術や、近くの村のまじない師にもらったお守りで難を逃れたこともある。しかし、都市部では、もっと機械化や脱魔術化が進んでいるところすらあった。この冬の王国――ノルニシュカ皇国の都も、実をいうとそのひとつだった。

 ノルニシュカの皇帝は、"冬の王"との異名をもち、受け継がれる力と叡智で、冬は氷と雪に閉ざされる土地を長らく治めている。それゆえに、皇国は"冬の王国"との名で呼ばれるのだ。冬を司るその力は、自然に直接作用することができる数少ない太古の魔術のなかでも、比類なき強大さを持つと噂されている。

 春がそこかしこから湧きだしているような光景からは、とても想像のつかない名前だ。ユリユールは頬杖をついて、試しに火花を散らす呪文を唱えてみた。あたりに咲く花とよく似た薄紅と金の、一瞬しか輝けない火花が舞う。

「お嬢さん、午後はどうするんだね」

 皇宮の巨大な天文時計を指差しながら、鐘守りの老人は訊いた。そこで仕事をしているはずの父親は、日が暮れるまで馬車に戻ってこないだろう。ユリユールはにっこりと微笑んだ。

「森で、お父さんに苺をとってくる」

 ユリユールはかろやかに螺旋階段を駆けおりた。下から風が吹き、ふわりと体が舞い上がってしまいそうになる。紫や黄色の花びらが頬をいたずらになで、ユリユールはくすぐったさに目を細める。最後の数段を跳んで、城壁の門番に旅人の証明書を見せると、彼らは快くユリユールを壁の外へ送り出してくれた。

 ユリユールが街の外へ足を踏み出したとき、正午の鐘が鳴りひびいた。

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