第3話 天職を経験すると・・・
日本のW杯初出場に貢献し、数々の記憶と記録に携わってきた中田英寿は、こんな言葉を残している。
「すべての出来事は未来への糧になる」
スポーツ紙の編集補助や記者、スポーツ媒体の編集と営業、インターネットの広告代理店での営業と数々の仕事を経験し、38歳の時に衝撃的なニュースが耳に入った。
「Jリーグを目指すサッカークラブのオーナーになります」
8月の社員総会。前年度の業績や次年度の展望、計画、表彰など、いつものように行われていたのだが、次年度の計画で仰天発表が行われた。それは極秘計画で地方にあるサッカークラブのオーナーになるべく交渉が行われていたのだ。交渉に動いていた人物とは同じ時期に会社へ入った関係で15歳は離れていた人事担当の大先輩だったが、いつも喫煙所で悩みや愚痴を聞いてもらい、時には私の意見も求めてくる間柄だった。
ブラジルでW杯が開催れた年で、サッカー業界への転職を考えていた38歳の私にとっては、こんな身近なところでサッカーにどっぷりと関われる仕事が半年後には訪れるなら辞める必要はない。このまま続けよう。
そうして半年間、結果だけを出すために媒体の広告営業、インターネット広告の営業で精力的に働いた。未来に希望がある。それだけで多少のストレスも全く苦にならず、むしろ好調に働けた。
そして年末。その年の仕事が納まり、新年に向けて年末年始を過ごしていると、人事担当の大先輩から電話がかかってきた。
「決まったよ。2月から担当になるから。やったね」
最高の新年を迎えられる。未経験だがサッカークラブの運営業務を担当できる。会社でプロチームの運営を知っている者は自分しかいなかった。仕事のインタビューなどでプロチームの広報や社長、GMといった人との交流があり、キャンペーン企画などでもプロチームとのコラボ企画を実施したりとチーム運営に精通しているのが自分だけだった。そして雑誌や本でドイツのボルシア・ドルトムントの超赤字の消滅危機から黒字へ転換した運営に興味を持っていたのも知識としては大きかった。
そして2月。念願が叶い、サッカー事業本部を兼務で担当が決定。早速、M県へ人事担当者の大先輩と向かい、自分の運営スタッフ人生が始まった。
初日からスポンサーへの挨拶周り、クラブスタッフとの打ち合わせ、と1日目が終わるのだが、埋まっていた地雷が次々に爆発し、処理に追われるのだが、それは後々・・・。
東京とM県を行ったり、来たりの生活は体を壊すほど大変だったが、これまで経験してきた、どの仕事よりもワクワクが止まらず、アイデアが次々に湧いてくる仕事は、この運営スタッフが初めてだった。心から楽しめる。充実感しかない。
これが天職という感覚なのか。
しかし、その感覚のせいで前に進めなくなった。色々なことに興味が出て転職をしてきたが、この感覚が残ってしまったせいで興味の幅が狭くなってしまった。再チャレンジするための近道を探したり、方法ばかりに目がいってしまうという迷走状態になってしまった。
これが天職に就いた感覚なのか分からないが、少なくとも最高の日々だった。
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