これは友達の話だ。


 その日公園を横切ると季節外れの蝉が鳴いていた。ちょっと辺りを見渡したが当然その姿は見えない。

 友達は可哀想に、と思ったそうだ。息も少し白くなりかけているこの時期にもう番もいないだろう。ただ1匹、出る時期を間違えて哀れにただ1匹死んでいく。嗚呼「可哀想に」と。そうして友達はその場を後にした。

 用事を済ませ帰宅する頃になると、もうすっかり日も落ちていて、それに比例するように身体もどっと疲れているのがわかった。荷物をその辺に放り出しベッドにダイブする。

 スプリングが自分の重みに反発して身体を軽く弾ませた。

「ああああ」

 枕に押し付けて出した声がくぐもって聞こえる。そうして微睡みに沈みかけて……違和感に気付いた。

 普段は静かなはずのその空間が少しだけ煩い。耳をすませばそれが蝉の鳴き声だと気付いた。

 え、まさか家の中に入ってきてるのか?

 友達は気怠い身体を引き摺るように音の出どころを探った。ベッドの下、机の下、テレビの裏、棚の隙間、冷蔵庫の下……。何処を探しても音は変わらない。音の出処がわからない。

 なら何処にいるんだ?

 気がつけば蝉の声はいつの間にかすぐ耳元で聞こえていた。こんなに大きな声で鳴いているのに……そこまで考えてはたと気づいた。なんでこんなに近くで声が聞こえるのだろう。

 そうして理解した。

 この声は自分の中から聞こえているのだと。頭蓋を響かせ蝉はひたすら声を響かせる。

 蝉はすぐそこに居たのだ───。


 友達はそう言ってやつれた顔を私に向けた。

「何がいけなかったんだろう」

 そう力なく呟いた。

「……可哀想、なんて思ったからだろ」

「なんで」

「可哀想だとか同情すると、『こんなに同情してくれるコイツならなんとかしてくれるかも……』って憑いて来るらしいぞ」

「なんだそれ!」

 友達の声が段々大きくなっていく。無理もない。つられて私の声も大きくなる。

「知るかよ。同情心がソイツをこの世に留めちまうとかなんじゃねぇの?」

「……ざけんなよ」

 友達は悪態をついて奥歯を噛み締めた。

 苛立ちから、自業自得だろう、そう言いかけて……やめた。気のせいだろ、疲れてるんだよ、なんていうのは簡単だ。だけどいえる気がしなかった。

 ───だっているのだから。

 友達の上半身を覆い隠す程の大きな蝉が背中に張り付いている。そうして時折羽根を擦り合わせ鳴く。鳴かれると自分の声すら聞こえず自然と大きくなってしまう。

 ……幸いといっていいのか、友達には蝉の姿は見えていないようだった。あえて私からいうこともないだろう。むしろ知らない方が幸せなこともあるのかもしれない。

「……お祓いとか行けばなんとかなるかな」

 虚ろな蝉の目が、戸惑う私の姿を写していた。

「……お前の気が済むなら」

 思わず目を逸らしてしまう。

 友達は「そう、だな」とただ一言だけ呟いて眉間に皺を寄せながら歪ませた口角を上げた。不自然なその笑みに口角の端に蝉の手が入り込んでいて、ソイツが友達の笑みを作っているのだと気付くまでに時間が掛かった。まるで友達の中に入ろうとしているみたいだ。なんとなくそう思った。

 我に返ったとき、もう友達は帰ってしまった後だった。

 それから暫くして人伝に友達が入院したと聞いた。慌てて入院先に向かうと真っ白なベッドの上に上半身を起こした友達がいた。入院、と聞いて大怪我を予想していたがそんな様子はなく、顔色も悪くないようだ。ホッと胸を撫で下ろし、ゆっくりと友達に歩み寄る。

「お前。もう、びっくりしたじゃねぇか」

 そう声をかけるが反応がなく、友達は何処か明後日の方を見ている。

「……どうした?」

「ずっと、こうなんです」

 友達の代わりに後ろから声がする。友達の母親だった。母親曰く、何日か前に急に倒れた友達は意識不明で病院に運ばれた。数日前漸く意識が戻ったものの、ずっとどこか遠くを見たままこちらに反応しない。医者がいうには恐らく精神的なところからくるもので一時的なものだからこちらが話しかけていればいずれ反応を示すだろうということだった。

 私は、そうですか、としか言葉を紡げなかった。

「また、来てやってください。きっとこの子も喜ぶでしょうから」

 帰り際少しやつれた顔で母親は私に笑顔を向けた。

 もう1度友達に目を向ける。もう、蝉は何処にもいなかった。

 それから数週間たったが、友達は未だ、明後日の方を見ている。

 あの日の自分を思い返さないこともない。私のことを薄情者と嗤うか? 身勝手と嗤うか? だけど私に何が出来たというんだ。

 ───ちょっと気になって蝉について少しだけ調べてみた。蝉は中国では復活再生の象徴として祀られて、地位の高い人がなくなった際に玉蝉と呼ばれる蝉の形を模した玉器をその口に入れて復活再生を願い埋葬していたらしい。

 ───あぁ、そういうことか、と思う。

 今は、友達は一体誰なんだろう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る