夕焼け小焼け



「この日仕事?」

 そう連絡が来たのは2日前で、休みなら頼まれてよ、と私は友人に頼まれた買い物を済ませると帰路に着いた。帰宅してふと時計を見ると17時。そろそろだろうかと携帯に目を向けると丁度友人からメッセージが届いた。

『今仕事終わったから18時頃うちに来て』

 了解、そう一言返信すると携帯をベッドにほっぽりだし自分もベッドに倒れ込む。友人の家までは歩いて20分。時間まで少しだけ休憩して向かうことにしよう。ぐだぐだと適当に時間を潰して時間が来ると大きな紙袋を片手に友人宅へ向かった。陽もすっかり落ち、まばらな電灯の灯りだけが何処か寂しく辺りを照らしている。すっかり通いなれた道のりを経て友人宅に着くとチャイムを鳴らす。ピンポンと部屋の中でチャイムが反芻して、不意に扉の向こうに人の気配を感じる。ゆっくりと開かれた扉の向こうから友人がひょっこりと顔を出して私を見ると少し驚いたように目を見開いた。

「頼まれたもの持って来たよ。とりあえずあってるか確認して」

 そういって大きな紙袋を差し出すと、「虫入るから早く入って」と冷たく返って来て、あ、ごめんと私は促されるまま部屋に入り後ろ手に扉を閉めた。そのままいつもの遊びに来たときの癖で鍵をかけたのを見届けると友人は紙袋から頼んでいた洋服を取り出して確認する。

「これこれ。これほしかったんだよ。限定のコラボ服だし、人気作品とのコラボだから絶対初日で完売すると思ってたんだよ。なのにその今日仕事でさ、買えないと思ってたけどお前に頼んでよかったわ」

「買い忘れとかない?」

「大丈夫」

 んじゃ用も終わったし私は帰るわ、そう声を掛ければいつもなら「わかった、じゃあな」と返ってくるはずだった返事が何故か違った。

「え、もう帰るの?」

 いつもと違う言葉に意表を突かれて

「え、あ、じゃあ……お邪魔します……」

 そういって私は戸惑いながら靴を脱いだ。

 家に上がったからといって特に何かするわけでもなく、友人は自分のベッドに寝ころび携帯を弄っていて、誰も見ていないテレビが静かに流れている。本屋のような友人宅の本棚から本を適当に取ると私は部屋の一角を陣取り静かに読みふける。

 時折適当に会話を投げかけ合いながら、何冊目かの本に手を伸ばした時、遠くの方で何か音が聞こえた。くぐもったようなその音は聞いたことのあるメロディを奏でており、私は無意識にその歌を口ずさんだ。「───こやけで、日が暮れて……」

 あぁ、これ夕焼け小焼けだ。夕方防災の放送で良く流してるやつだわ。でも、今はもうそんな時間はとっくに過ぎている。じゃあテレビか友人の携帯音?

 一応辺りを見回してから

「ねぇ、何処かで夕焼け小焼け流れてる?」

 そう友人に声を掛ければ「は? そんなの流れてないけど」と返って来て、私は小首を傾げた。あれ気のせいだったのだろうか。

 もう一度耳を澄ました時にはもうそんな音は何処にもなっていなくて、思い過ごしだったのだろうかと思う。ふと時計を見ると、もう23時を過ぎていて、もしかするとさっきのメロディは夜も遅いし早く帰れという虫の知らせ的なものだったのかもしれないと思うことにした。

「そろそろ帰るよ」

と声を掛ければ「ん」と友人は生返事のような声を出しながら重そうな腰を上げた。帰り支度をしている私の横をすり抜け玄関まで先に行きドアを開けてくれる。普段はそんなことしないのに、とぼんやり考えていると

「気を付けて帰れよ」

と、声をかけられついきょとんとしてしまう。だっていつもは、じゃあなと声をかけられておしまいなのになんなんだ?

 いつもと何処か様子が違う友人を不審に思いながらじっと見つめていると「なに?」と少し不機嫌な声が飛んでくる。

「別に、何でもない」

「あ、そう。……じゃあ」

 玄関を出て扉から少し距離をとったのを確認すると友人はゆっくり玄関の扉を閉めた。

「……ばいばい」

 閉まっていく扉の向こうの友人を見つめながら声を掛ければ、友人の目が僅かに揺れた気がした。それから小さく頷きが返って来て扉がかちゃりと音を立てて閉まった。

 一呼吸おいて、私はその場を離れた。後ろで、かちゃんと鍵を閉める音が聞こえた。

 すっかり真っ暗になった街中。辺りはすっかり静まり返っていて、何処の家も一様にして明かりが消えていて、時折すれ違う車のエンジン音だけがやけに耳に響く。

 きっといつもと同じ夜なのに、なんだか無性に寂しくなってきて。吐く息に何となく音を乗せてみる。

 ゆうやけこやけで───。

 耳の奥でまた聞こえている気かするその旋律に合わせて、歩みを進める。

 帰りたいような、帰りたくないような。何となく胸がざわつく。

 ───でも、何処に帰ればいいんだろう。

 深くなる闇を前に、波に揺蕩う葉っぱのように静かに私が揺れた気がした。

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