夕焼け小焼け ~応~
バイト終わりに携帯を確認するとメッセージが1件届いていた。
あぁきっとアイツだろうとそれを開けば「買えた」と一言だけ届いていた。数日前友人に頼んだ買い出しのことだろう。だろうと思うが、もっと可愛く言えないのかよ、とか主語くらい書けないのかよと思わないでもないが、簡潔な言葉でも分かり合えて、触れてほしくない根幹に深入りしてくることもないこのくらいの距離感が心地良いので別にいいかと思う。
時間を確認しなおす。職場からは自転車で20分程度。で、そこから着替えたりなんだりで───これからの予定をざっと頭の中で書き出して『今仕事終わったから18時頃うちに来て』と送るとすぐに了解とだけ返信が来る。
「アイツ暇なのかよ」
少し苦笑ながらそう零すとバックルームに「お先上がります、お疲れさまです」と声をかけ職場の邪魔にならない端の方に置いておいたロードバイクに跨った。
帰宅して着替えも済ませ一息ついた18時少し前、ドアチャイムが鳴った。重い腰を上げ玄関に向かうとドアノブに伸ばしかけた手を一旦止め、部屋の中を一瞥する。別に部屋の散らかりなど気にするような関係でもないが、何となく確認してしまう自分に少しだけ笑ってしまう。振り返り玄関のドアをいつものように静かに開いていく。ゆっくりと開かれていく扉の隙間から待ち人の姿が少しずつ見えてくる。「よう」、そう声をかけようとして、喉の奥がヒュッと音を立て呼吸が止まる。
誰かいる。
見知らぬ年輩の男がそこにいた。友人のすぐ後ろ。1メートルもない通路で友人に重なるように男が立っていた。俯き背を丸め、ボロのような茶色がかった布切れを纏い、手元に何かダイヤルのついた木箱のようなものを抱えている。ぶつぶつと何か呟いてもいるようで気味が悪い。
「頼まれたもの持って来たよ。とりあえずあってるか確認して」
友人がそういって大きな紙袋を呑気に差し出してくる。
気味が悪い。気味が悪いのがこんなに近くにいるのにコイツ男に気がついてないのか?
「……虫、入るから早く入って」
努めて冷静に友人に声をかける。
よく分からない後ろの男を逆なでしないように、警戒しつつ素早く友人を中に入れなければいけない、と思う。
友人は少し困惑するように眉尻を下げたが小さく頷いて玄関に入ると後ろ手に扉を閉めていく。男も付いて来るのかと少し身構えたが、変わらずその場に立ち何かをぼそぼそと呟いたままでいる。少しずつ閉まっていく扉の後ろに消えていく男の姿。見えなくなるその瞬間まで一瞬たりとも目を逸らすことも出来ず、友人が後ろ手に鍵を閉めて漸くちゃんと息が出来た気がした。
解放された安堵の勢いのままひったくるように友人から紙袋を受け取ると中から頼んでいた物を取り出す。スエード生地のルームウエアに靴下、Tシャツ。
「これこれ。これほしかったんだよ。限定のコラボ服だし、人気作品とのコラボだから絶対初日で完売すると思ってたんだよ。なのにその今日仕事でさ、買えないと思ってたけどお前に頼んでよかったわ」
「確かにお昼に行ったんだけどさ、そのとき既にいくつか完売してたよ」
「マジかよ。この辺だとあの店しか取り扱ってないし人気作品だもんな。ありがと」
「買い忘れとかない?」
んーと、声を漏らしながら袋の中から全部出し確認する。
「大丈夫」
「よかった。じゃあ用も終わったし私帰るわ」
友人はそういって手をひらひらと振る。いつものように「あ、うん。じゃあな」と言いかけてハタと思う。
アレはまだいるのだろうか。
どう考えてもおかしい、気味の悪いアレが。ぞくりと寒気を感じて「え、もう帰るの?」と思わず言葉が漏れる。
「え、あ、じゃあ……お邪魔します……」
意表を突かれたように呆気に取られながら、戸惑いながらも友人は靴を脱いで部屋に上がった。───戸惑うのは俺だって同じだ。アレがまだいるのかもしれない閉まったままの玄関の扉を見つめる。覗き穴で確認する勇気はなかった。
「……時間が経てば消えてくれるよな」
そう聞こえないように呟いて友人に続くように部屋に戻った。
家に上げたからといって特に何かするわけでもなく、友人は定位置になった部屋の入り口前を陣取って本を読み耽り、俺は自分のベッドに寝ころび携帯を弄る。碌に会話もないままそうして誰も見ていないテレビだけが静かに流れている。時折適当に言葉を交わし合いながら各々の世界を満喫している時だった。
不意に友人が歌を口ずさんだ。「ゆうやけこやけで……」そう口ずさんで小首を傾げている。そうして何かを探すように辺りを見回してから
「ねぇ、何処かで夕焼け小焼け流れてる?」
そう尋ねて来た。
は? なにいい出してんだコイツ。
一応耳を澄ませてみるがそんな音は何処からも聞こえてこない。何も聞こえねぇよ、と口を開きかけて「あれ?」と思う。頭に、あの男の持っていた箱のことが浮かんだ。あれ、ラジオなんじゃないか? 何故かはわからないがあの箱が古いラジオのような気がして、そう、例えば戦時中とかに使われていたような歴史で習うような昔のモノのような気がして。そこから音が、その曲が流れているような気がして仕方がなくなってきた。そんな自分の可笑しな考えを否定するように「そんなの流れてないけど」と震える喉の奥を我慢し返せば友人は尚腑に落ちない様子で小首を傾げた。んーと小さく唸ったあと、あ、と声を漏らした。
「そろそろ帰るよ」
その言葉に携帯のディスプレイで時間を確認すればもう23時を過ぎている。いつの間にそんなに時間が経っていたのだろう。
───アレはまだいるんだろうか。
玄関開けたらまだいるとかないよな? いやいや、あれから何時間経ったと思ってるんだ。
それでも不安は拭い去れなくて、帰り支度をしている友人の横をすり抜け玄関まで向かう。なんだか息が詰まる。何かを吹き飛ばすように強く息を吐きドアスコープから外を覗き見る。───……なにもいない。
それでも安心はできなくて鍵を開け、短く呼吸を整えると意を決してドアを開ける。
───……なにも、いない。
はっ、と安堵の息が漏れる。
振り返れば友人がもうそこまで来ていた。
「気を付けて帰れよ」
そういって体をずらし道を開く。友人は一瞬キョトンとして、靴を履きながらこちらをちらちらと伺い見たり、履き終わってからもこちらを訝しむように見つめてくる。
「……なに?」
苛立ちを言葉に乗せると「あ、いや、別に、何でもない」と気圧されたように短く言葉を返す。
「あ、そう」
そう呟くと友人はきまり悪そうに力弱く笑った。
なんかこれ、俺が悪いみたいじゃん。
ちょっと気まずくなって「……じゃあ」と声をかける。なんだか拗ねたみたいな言い方になって余計バツが悪くなる。
小さく苦笑する友人が外へ出て扉から少し距離をとったのを確認すると俺はゆっくり玄関の扉を閉めた。
「……ばいばい」
閉まっていく扉の向こうの友人が小さく手を振りながらそう告げる。その姿に急に不安が込み上げてくる。
バイバイとか、ちょっとなんかこれが最後みたいな言い方すんなよ。
またな。そんな想いを込めて小さく頷く。友人が少しだけ口角を上げたのが扉の隙間から見えて、扉はかちゃりと音を立てて閉まった。
少しして、コツコツと離れていく足音が聞こえた。
ふぅ、と息を吐いて俺は客人のいなくなった一人の部屋の中に戻った。
申し訳程度に流していたテレビを消し、ベッドに倒れ込む。
アイツはちゃんと家に帰れているだろうか。
放り出していた携帯を手に取り、メッセージアプリを起動する。友人との会話ページを開いて、手が止まる。
───はっ。なにしようとしてんだ俺。
夜道気を付けろよ、ちゃんと帰れたか、なんていつもなら絶対に送らない。玄関で別れてはいどうも、だ。それでも何故か拭えない不安を、どうにかしたくて。ただ一言。
『今日はありがとう』
それだけ送ると、微かに震えている両手で携帯を握った。
いつもみたいにすぐ既読がついてあの単語のような短い返信がくることをただただ祈って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます