今日、世界が終わるとしたら
―――最期の瞬間、人はなにを思うんだろう。
今日、世界が終わるとしたら、私はなにをするんだろう。
数年後の自分の姿を想像しても、なにも思い付かなかった。なら、今日ならなにをするんだろう。それを考えてみたけど、やっぱりなにも思い付かなかった。
多分、私はなにがあったってきっとなにも変わらないのかもしれない。いや、それはなにもしないというだけなのかもしれないけれど。不変であること。別にそれでもいいやと思っていた。
そんな1週間前、変な夢を見た。
私は自分のベッドに俯せで横になっていて、掛け布団の温もりを感じながら、「このまま寝ていたい」「でも、もう起きなきゃいけない」、そんな緩やかな葛藤を頭の片隅で繰り広げていた。いつもの日常の風景だった。
そんな微睡みの中、急に身体が動かなくなった。頭も、手も、指先も、足も、力を入れているのにどこも動きそうにない。金縛りというものを経験したことはないけど、きっとこんな感じなんだろう、と思う。不思議と怖くはなかった。……足元に重みを感じるまでは。
身体は動かない。だから、見えてもいないのに足の方から黒い、なにか良くないものがゆっくりと顔の方へ登ってくるのを感じた。それは人のような気もするし、そうじゃない気もする。ただ、登り切られたら多分良くないことが起こる気がする、それだけは確信を持てた。ゆっくり足元から近づいて来るソレの重みを感じながら、そう思うのに、どうしたらいいのかわからなくて私は動かない身体でただオドオドするばかりだった。
―――もうだめだ。
そう思った瞬間、左耳に「南無阿弥陀仏」と唱える女の人の声が届いた。
そうだ、それだ。
それからは必死だった。知っているお経やマントラをひたすら唱えた。いつの間にか少し動くようになっていた指先で十字を切ったりもした。
どれくらい経ったのか。ふっと、身体が軽くなった気がした。足元の重みも何処かへ消えていた。
それに安堵して、私はまた眠りについた。
次に目覚めると、そこはいつもの私の部屋だった。変な夢だったと、俯せに寝ていた身体を起こしてふと左の方に目をやった。ベッドの左側は壁際に付けられていて、誰かが入れる隙間なんてない。あの女の人が誰なのか分からないけど、少なくとも彼女は私を助けてくれたのだと思う。良い人、だと思う。
まぁ、所詮は夢でしかないのだけど。
変な夢だったと、何処か引っ掛かるものを感じつつもその日はそのまま仕事に向かった。
それから数日たった3日前。家賃を払うため、大家の住む家へ行った。
玄関先で私の渡した家賃を数えながら「そう言えば」と大家が口を開いた。
「壁、大丈夫?」と。
続けられた言葉を要約すると、私が入居する前、各部屋を軽くリフォームしていたところ何処かの部屋の壁を触ると揺れたらしく、修理しなくてはと思いながらももう何年も経ってしまったのだという。
「確か道路側の角部屋だったと思うんだよ。君のとこ、道路側の角部屋でしょ。ちょっと確認してもらってもいい?」
仮に修理するとなったら、君には一旦出てってもらわないといけないな。ひと月くらいかかるかもしれないな。あぁ、修理費もかなりかかるだろうし。
そう愚痴る大家を横目に「分かりました。確認したらまた来ます」と踵を返した。
地面を踏みしめる脚に力が入る。
なんでこのタイミングでそんなこと言ってくるんだろう。入居してからもう何年経ってると思ってるの。工事しなきゃと思ったなら私が入居する前にするのが当然でしょ。もしこれで壁が壊れるなんてことあったら、その時通りを通ってる人が壁に潰されて……なこともあるかもしれないじゃん。壁が崩れたら必然的に天井も落ちてくるだろうし、そうなれば想像しているよりも被害は甚大かもしれない。
―――これでもし私が死んだらどう責任取るつもりなんだろう。
そう考えてふと、あの夢を思い出した。
黒いなにかがやってきた方向。あれは確か、道路側の壁だった。
こじつけるのはおかしいかもしれないけど、なんだかその事実が、すとんと胸の中に落ちた。
そう、あれは、警告だったんじゃないだろうか。壁際に良くないものがあると。
このままだと私、死ぬのかな。
……そのとき、私はなにを思うんだろう。考えても、なにも、思い付かなかった。
私はいつだって今日をただ生きてる。だって明日は当たり前のようにいつもやって来るから。明日のことなんてよく考えたことなかったかもしれない。
だから、最期なんてきっと……なんてことない。
だって、ほら。
―――……あぁ、今日が終わるんだ。
落ちてくる天井を見つめながら、ただ純粋に、そう思った。
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