狐の嫁入り



 縁側で何かしている祖母の後ろ姿を見かけて私は声をかけた。

「祖母ちゃん、何してんの?」

 振り向いた祖母はふわりと笑って、

「アルバム、見とったんよ」

と私にそれが見えるように身体を捻った。

 へー、と気の抜けた返事をしながら祖母の隣に座って一緒にアルバムを見る。台紙自体、大分傷みのあるアルバムに、色褪せ、セピア色に染まる写真がいくつか貼られている。それらを愛おしそうに皺くちゃな祖母の指が撫でていく。

 まだ幼さの残る、しかし、何処か自分とも似た雰囲気のある女の子が背筋を伸ばしてそこに立っていた。

「この女の子って祖母ちゃん?」

 そう問えば、

「ほうよ。私が14、5の頃かねぇ」

 そう言って、祖母は次のページを捲る。

 次のページにもその女の子は背筋をピンと伸ばし立っていた。ただ、その横にはその女の子よりも頭1つ大きな軍服を着た男の子が立っていた。

「祖母ちゃんの横にいるのは祖父ちゃん?」

 そう問うと、祖母は少し悲しそうな顔をして小さく首を振った。

「これはね、お隣に住んどっちゃった秀兄ちゃん」

 そして呟くように「……私の初恋の人なんよ」そう続けた。

 皺くちゃの祖母の指が何度も男の子の頬を撫でる。

「その秀兄ちゃんって、……今は?」

 祖母の瞳が揺れた気がして、私は即座に自分の愚かさを呪った。

「この頃は戦争じゃったけぇね、兵隊さんの殆どは戻ってこんかった」

 そう言って遠くの空を見つめる祖母の手に自分の手を重ねて強く握った。そうしないと今にも祖母が何処かへ行ってしまいそうな気がしたから。

 祖母は重ねられた手を見つめ、ゆっくりと私の方を見た。

 柔らかく微笑みながらも、何処か悲し気な瞳の奥。それでも、芯のある眼差しで私を見つめる。

「お祖父さんとはね、お見合いじゃったん。本当に優しゅうて、とても良え人で、何の文句も付けようのない、私にゃあ勿体ない人じゃった。アンタのお母さんも産まれて、アンタにも出逢えて。お祖父さんと過ごしたこれまでは本当に幸せじゃった」

 そこまで言って、ぽつりと「じゃけど、やっぱり1番好きだった人と一緒になってみたかったね」そう俯き、零す祖母の瞳から、涙が零れ落ちるのではないかと思った。

 祖母ちゃん……、そう呟き祖母に手を伸ばした途端、雫が落ちた。

 祖母からではなく、その奥。外。

 真っ青な空から、雨が落ちてくる。

「あぁ、狐の嫁入り……」

 いつの間にか空を見上げている祖母が、そう嬉しそうに呟いた。

「狐の嫁入り?」

「こういうお天道様なのに雨が降ることを言うんよ。天気雨。狐さんがの、行列作って、白無垢着て、お嫁に行くんよ」

 まるでお伽噺を語るように、遠くを見つめた祖母が目を細めた。その視線の先を辿ってみる。その先で、向こうの通りを、何かの行列が進んでいくような気がした。

「1番好きな人のところに行けると良えね」

 そう言って私の方を向き、祖母は私の頭へ手を伸ばし、優しく撫でた。

「アンタは一番好きな人んとこへ行きんさいね」

 祈るように、願う様に。

 初恋はいつだって叶いはしないのだと、誰かに重ねられた想いは、私のどこか深くへ落ちていく。

 私を見つめ目を細める祖母が、こんなに近くにいるのに何故か遠い気がした。

 数日後。

 祖母が亡くなった。それは、眠るような最期だった。

 空は雲一つない快晴で、あの日のように縁側で祖母の代わりに、俯く私の代わりに空から雫が落ちてくる。

 ―――天気雨。

 あの日のように、向けた視線。

 向こうの通りに、行列が見えた。

 白無垢姿のあの日の女の子がいた気がした。その隣に立つ、頭1つ大きな姿。

「……良かったね」

 誰に届くでもないその言葉は、うっすら浮かぶ虹色に吸い込まれて消えていった。


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