夢日飢
夢と現実の違いについてここで皆に問うてみる。
【夢】とは。
現実とかけはなれた考え。実現の可能性のない空想。心の迷い。迷夢。
現実を離れた甘美な状態。はかない物事。不確かな事。
【現実】とは。
想像・虚構や可能性ではなく、現に成り立っている状態。実際の存在。
理想に対してその素材や障害となる日常的・物質的なもの。
辞書を引けばそんな言葉が並んでいる。そんな言葉をいくら並べられても正直、正しい意味はよくわからない。でもあえて、言葉にするなら私は、夢は希望であり、現実は絶望であると思う。
だから今、こうして彼女が「みっちゃん」といって私の名を甘えたように紡ぎ、潤んだ眼で彼女の背よりも幾ばくか高い私の腕にその細い腕を絡めて見上げてくるのも、何か言いたげに薄く開いたその唇も。匂いや温もり、触感、それらがいくら現実味を帯びていようとも全て夢なのである。現に、彼女の唇が私の顔に近づいたところでいつだって目が覚めるのだ。そうして私はあぁまたか、と残酷にも現実と云う絶望なる世界に引きずり落とされる。
繰り返されるそんなサイクルに夢と現実の境がわからなくなってくる、なんていう話を聞くが、私からしたら分かりやすいことこの上ない。毎晩同じ夢に苛まれようが、所詮夢は希望であり、現実は絶望なのだ。
彼女と私の関係はどこにでもあるような、ありふれたものだ。家がお隣同士という、所謂幼馴染みである。そんなどこにでもいそうな私達は、何処にいこうが、どんなときだろうがいつもそばにいた。私の隣には彼女がいて、彼女の隣には私がいた。同じ小学校、同じ中学校、同じ高校、同じ大学……これまで一度たりとも離れたことなどなかった。食べ物の好み、洋服の趣味、好きな音楽、嘘をつくときの癖、好きな異性のタイプ……彼女のことならなんだって知っている。それと同時にこの想いが報われないことも私は知っていた。彼女の心が決して私に向かないことを知っていた。
思い返せば物心つく前から私は彼女のことを好きだったのかもしれない。いつも、どんなときも私の隣にいた、当たり前の存在。屈託ないその笑顔に、汚れを知らないその優しさに、私はずっと心奪われ、いつも彼女の姿を見つめてきた。
夢の中でくらい彼女との報われない現実など忘れさせてくれてもいいじゃないか。彼女の夢を見始めた頃、私はそう切に願っていた。現実では願うことを許されないこの願いが夢の中だけでは許されるのだ。現実ではあり得ない彼女との関係が、この世界では赦されるのだ。だから私は目隠しをしてそれに気づかない振りをしていたのかもしれない。
だから、これはその報いなのだ。
彼女から好きな人ができたと告げられた。そんなこと告げられなくてもわかっていたことなのに、彼女の口から紡がれたその現実は酷く、そして簡単に私の心を抉った。
「オツキアイヲスルコトニナッタノ」
そう言葉を続け楽しそうに笑う彼女の顔が何故か歪んだように見えた。
そこからは正直よく覚えていない。
私の名を何度も呼ぶ彼女の泣きじゃくる声や「止めて、どうして」という怯えを含む叫び声がどこか遠くの方で聞こえた気がした。抵抗する彼女の爪や腕、脚が何度も私を傷つけたが痛みなど一切感じることはなかった。ただ、欲望のままに、切望のままに。私は夢の中で描いた幸福を曝し続けた。
そうして気がつけば、眼下にいたのはいつもの屈託のない笑顔を私に向ける彼女ではなく、可愛いフリルのスカートを履きくるりと回って自慢する彼女ではなく、甘いケーキに頬を緩める彼女ではなく、好きなものに夢中になる真剣な面持ちの彼女ではなく、彼女に甘い私を叱咤する彼女ではなく、空を見上げ想いを馳せる彼女ではなく、困っている人に手を差し伸べる彼女ではなく、雨上がりの虹に目を輝かせる彼女ではなく、ボロ切れを纏い傷だらけで横たわる彼女だった。
頬を伝う何かがあった。彼女の名を呼ぶ声があった。「どうして」と掠れた音で何度も呟く声があった。そして叫びだしたい誰かがいた。
いくら覗き込んでも虚ろな彼女の瞳には私の姿は映らない。修繕という言葉など存在せず、今後何があろうとも彼女が「私」の姿を映すことはないのだと、悟る。
嗚呼、私は思う。
やはり現実は絶望であると。
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