うつくしいおとことのくらし

桐嶋遠子

わたしはかがみ

わたしと今現在いっしょにいる男は、とてもうつくしい男だ。

街を歩けば通りすがった女全員が振り返り、時には男すらも振り返り、モデルや俳優のスカウトなども毎日のように受け、それらを受け流すのが日課のようになっている、そんな男。

そんな男と、わたしは一緒に住んでいる。付き合っては、いない。キスもセックスもわたしたちの間にはなくて、でもそれが楽だから、お互い一緒にいる。

いや、正確には―彼の方にはいろいろと理由があるのだろうけれど、わたしはそれを、見なかったことにしている。一緒に住んでいると言えども、プライバシーは大事だ。彼がわたしを選んだことには『とても大事で何ひとつ代えられないたったひとつの理由』があるのだけれど、それを以外の色々を差し引いても一緒にいる、ということは、たぶん、そういった価値観が一致していることもあるのだろう。

べたべたするのが嫌い。食事は出来れば一人で摂りたい。外はなるべく出歩きたくない。人との付き合いが面倒くさい。

そういった、わたしの人生では足を引っ張ってきたそれらが、たぶん、このひととの生活の基盤になっている、ような気がする。

要するに、わたしとこのひとは、似たもの同士なのだ。きょうだい、といってもいいのかも知れないくらい、近いところに、魂がある。一緒に暮らし始めて一年経って分かったことのひとつがそれだ。あと、分かったことはと言えば、わたしに執着する理由とか、それでも手は触れてこないわけとか、生々しいところもたくさんあるけれど、そういうことはむやみやたらと人に話していいものではないから、友達や家族にも、言ったことがない。

というより、わたしは、このひととの生活を、誰にも言っていない。そもそも友達がいないので、言う相手もいないのだけれど―まぁ噂にはなるもので、どこかのスーパーで一緒に買い物してたとか、どこかの居酒屋で一緒に飲んでたとか、びっくりするものでは、ドラッグストアでコンドームを選んでいたというものまであった。わたしと彼の住む家で一番必要のないものですが。そのあたりは無視でしょうか。と、言いたい気持ちを抑え、根掘り葉掘り聞こうとする彼や彼女らを、ぎこちない笑顔ですり抜ける。付き合ってるの?と聞かれたら、とりあえず、イエス、ということにしている。彼がそう言っていいよと言ったから、それに従っているだけだ。それに、付き合ってないのに一緒に住んでるとか、不自然でしょ。とは、付き合ってもない女と一緒に住んでいる男の台詞である。

ともかく、まぁ、何だかんだと、わたしと、彼の日常は、過ぎていく。噂などは根深いが、わたしも彼もだんまりを決め込んでいるおかげか、一年も経てばさすがに好奇心も薄れてきたらしく、わたしたちを普通のカップルとして扱うようになった。

ところで、そこまで彼や彼女らの好奇心を燃え上がらせた理由はと言えば、わたしがうつくしいおとこに不似合いな、何とも凡庸な顔立ちをしているからだ。顔立ちだけでなく、薄っぺらな体には女という主張などほとんどなく、ささやかな胸と小ぶりなお尻くらいで、後はもう鍛えているわけでもないのにやたらと逞しいままの太ももが鎮座ましましている。唯一ひとと違うところはと言えば、やたらと背が高いことだ。二十一歳、女、175cm。そうそうないプロフィールだと思うが、見目が麗しい訳ではないのでモデルになれるわけでもなく、ただ単に『でかい女』としての地位を得るだけで終わっている。

ただ、あのひとの―一緒に住んでいるうつくしい男の、何らかは、わたしの背に向いている。正確に言えば、執着の影が。だから、この背でよかったなぁという気もするし、この背じゃなかったらどうなんだろうという気もする。それ以外にも彼曰くの『類似点』はとてもたくさんあるらしいので、大した問題でもないのかも知れない。

彼が帰宅した音がしたので、ソファに座ったまま、「レタスチャーハンがあるよ。食べる?」と訊ねると、少し悩んだあとに、小さく、うん、と返事があった。彼は勝手にラップでくるまれた皿をレンジへ入れる。文学部の三年生であるわたしとは違い、理学部の二年生である彼は、実験やらなんやらで、いつもとても帰りが遅い。大変そうだなぁ、とは思う。だけど、わたしが労っても良いものか。逡巡の後、ひっそりたずねた。

「最近、帰り遅いね」

「……実験が、続いてて。……迷惑、掛けてる?」

「いや、それはないけど。気になっただけ」

「……そう。ありがとう」

ピー、という電子音が、あたためが終わったことを知らせる。彼は皿を取り出して、ラップを剥いてゴミ袋に入れ、わたしの座るソファからは離れたダイニングテーブルに着いた。これがわたしとこの男の距離感だ。たまにソファに座った片方とソファに背をもたれさせた片方で映画を見たりすることもあるけど、稀だ。

彼は、一口、食べては、わたしを見る。膝を抱えてテレビを見るわたしを見て、何を考えて、いるのやら。レタスとたまごの春っぽい色彩が花みたいに開いた唇に吸い込まれていく。その間もわたしからは目を離さない。執着、を、感じる。執着の、影、を。

わたしが彼に、このうつくしいおとこと一緒に暮らしていることには様々な理由が付随するが、中でも一番大きなものが、このひとの『執着』だ。

執着、といっても、わたしへの執着では、ない。わたしの向こうに見た誰かへの、執着だ。

はじめ、彼は、わたしを見たとき、あまりにも驚いたような顔で、茫然とした。わたしはと言えばその理由が分からず、やたらときれいな顔をしたひとだったので、ありていに言えば見とれていた。その間に彼は、わたしに近付き、名前やら年齢やら出身地やらを聞いた。彼を取り巻いていた女子の目線が痛かったことを覚えている。名前と、年齢と、出身地と、身長を答え終えた時点で、彼はわたしに、話があります、と言った。わたしのほうが一歳上だったから、敬語を遣ったのだろう、と、その時は考えていた。

「僕と、付き合って欲しいんです。でも、ひとつだけ、お願いが」

「何ですか」

いわゆる『コミュ障』に属するわたしは、年下相手でも敬語を遣ってしまう。それに彼は眉根を顰めたが、構わず、続けた。

「付き合う、と言っても、僕はあなたに一切触れません。キスも、セックスも、僕らの間にはないと思ってください」

「…はぁ」

このひとは何を言ってるんだろう、というのが、正直なところだった。だって、まだ、付き合うなんて一言も言ってないのに、それに、このひとから付き合おうと言ってきたのに。うつくしい男は、頭の上でクエスチョンマークを飛ばすわたしを見ているようで、見ていなかった。その時は知らなかったけれど、もう既に、執着の影を見つけていたのだ。執着の影。鏡。わたしは誰かの鏡だった。

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