バレンタインまであと少し

にけ❤️nilce

第1話 可愛い女の子

 バレンタイン。バレンタイン。バレンタイン。


 1月のカレンダーを捲ると、学校での話題はバレンタイン一色だ。

 女子だけになるトイレでは、特に話に花が咲く。

 誰にあげる? どんなの作る? どうやって渡そう?

 艷やかな髪をいじりながら鏡の前を占拠して、誰も彼もがきゃあきゃあ大騒ぎする。


「手。洗いたいんだけど」

「あ、ごめーん」


 トイレから出てため息混じりに主張すると、鏡の前の彼女たちは両手を挙げて大げさに避けてみせた。

 待ってんの、知ってて占拠してたくせに。

 その証拠に、あたしより先に空くのを待っていた女子が、圧倒されて縮こまってる。

 

「あんたも、早く洗いなよ」

「す、すみません」


 同級生相手に、ペコペコ頭を下げる女子にも苛立った。

 手を洗いたかったんじゃないのか。

 おどおどするなよ。どいつもこいつもムカつく。

 あたしは、わざと聞こえるような声で言った。


「黙ってないで、邪魔なら邪魔って言えばいいのよ」


 あたしの言葉に空気がすうっと凍りつく。

 洗面台に置かれたコスメを一瞥し、ハンカチで手を拭きながらさっさとトイレを後にした。


「……何あれ。感じ悪」


 わかってる。八つ当たりだよ。別に、華やぐあの子たちは悪くない。

 

 男子はみんな、ああいうキラキラした女の子が好きだ。

 手も洗えずにおどおどしていた地味子や、あたしみたいなデカ女は見た目だけでアウト。

 そして奴らは女としてカウントしない私らには、何を言ってもいいと思ってる。


 あたしが憎いのは、浮かれてる彼女たちじゃなくて、無神経な男子の方。男子なんか、嫌い。

 バレンタインなんか。



***

 


 教室に戻ると、陽に色素の薄い髪を光らせて由美子ゆみこが座席で大判の本を広げているのが見えた。

 本は背表紙のラミネートフィルムがめくれ、黄色く日焼けしている。


「『大切な人へ贈る、手作りチョコレートの本』だって。何このどストレートすぎてはずかしいタイトル」

「もう、やめてよ。かなえちゃん」

「今どき古いレシピ本なんか借りなくても、スマホで調べれば一発なのに。……今年も作るの? チョコレート」


 あたしたち――あたしと由美子、凛花と杏の四人は、幼稚園の頃からバレンタインにチョコ作りを楽しんできた。

 由美子んちでのチョコ作りはあたしたちにとって毎年の恒例行事だったんだ。


「一緒に作るでしょ?」


 由美子は赤いメガネの奥の目を細め、私の顔を覗き込む。


「別にいいけど。で、今年こそは渡すの? まさか今更、本命はお父さんなんて言わないよね?」

「もう。からかわないで。でも、作るとしても、今年は二人だけになるのかなぁ」

「凛花も杏も連絡つかないもんね」


 中学で学校が別になって、杏たちとはすっかり疎遠だ。

 あたしも由美子も、スマホを持たせてもらったのは小学校を卒業した後で、杏たちとは連絡先も交換できていない。

 学年が上がるにつれ遊ぶグループは別になっていたけど、バレンタインだけは一緒だった。

 マセガキだった凛花や杏はいつだって本命がいて、あたしや由美子にまで無理矢理にでも好きな人を作らせようとするのが面倒だったけど、楽しかったな。


「ちょっとでもいいなって思う人がいたら、それが好きってことなんだって」

「絶対いる。いなきゃおかしいよ。誰なの?」


 どこからそんな情熱が湧いてくるのか、毎年毎年、呆れるほど二人の追求は激しかった。

 由美子はベタな返しで二人をかわした。


「じゃあ、私の本命はお父さんだ」

「あ、私もパパ。パパにする」


 あたしも決まって便乗する。

 男子なんてバカばっかで、あげたい人なんて、できるわけがないんだもの。

 

「そもそも、好きな人がいなきゃおかしいって、なんでよ。チョコ作りを楽しむだけじゃダメ?」

「えーっ、あげるためじゃないなら、わざわざつくんないよ」

「あげるから楽しいの」


 あたしがムキになって反論すると、二人はこう返した。

 あげないなら意味がない。

 そういえば、二人はチョコを作るよりもラッピングやお手紙を書くのに夢中だったっけ。

 ……杏も、凛花もどうしてるだろう。



「今年は、ガトーショコラなんてどう?」


 由美子がレシピのページをこちらに向ける。あたしは過去の思い出を振り払い、本を覗き込んだ。ガトーショコラがどんなものか初めて知る。


「私たちだけじゃ難しいんじゃないかな。もう、いつものトリュフでよくない? あれならうまくいくし」

「ええっ。うまくいったかな?」

「あはは。凛花だっけ。生クリーム量らずに全部入れたことがあったねー。全然固まらなくて大変だった」

「そうそう。チョコフォンデュに切り替えてみんな食べちゃったんだよ。……楽しかったよね」


 結局バレンタインといえば、凛花と杏と過ごした思い出話になってしまう。

 水を向けられるとめんどくさいけど、二人の華やいだやりとりを聞くのは楽しかった。

 恋とは無縁なデカ女のあたしと奥手の由美子じゃ、そんな話も続かない。


「由美ちゃん、今年はあげなよ。大葉南朋おおばなおに。いつまでも引っ込み思案じゃ勿体無い。由美ちゃんはあたしなんかとちがって可愛いんだから」


 発破はっぱをかけるつもりで、由美子の意中の人の名を口にする。

 頬を染めた由美子は、女のあたしからみてもドキッとするくらい可愛い。

 こんな素敵な女の子からチョコレートを差し出されたら、意識しない男子なんていないと思う。

 絶対、絶対好きになるよ。

 あたしが由美子みたいに可憐だったら、迷うことなくアピールするのに。 

 なのに、由美子は静かに首を振り、真剣な顔でお世辞を言った。


「あたしなんかって、どうして? かなえちゃんは可愛いよ」

「いや、あたしのことは、どーでもいいよ」


 あたしなんかなんて、ひがんだことを言うから、気を使わせてしまった。

 でも百人いたら百人が当然、あたしより由美子を選ぶはず。

 それが現実。

 あたしは自分をわかってる。

 曖昧に笑って、由美子の視線から目をそらす。


「かなえちゃんは誰かに渡すの?」

「だからぁ、チョコを渡したいやつなんていないって。男子なんて、バカばっかなんだもん」


 お決まりのフレーズを返すと、始業のチャイムが鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る