成せば成るかもしれないぼくら

霧衣【低熱式端末】

Stage-ZERO

第1話

 然程豊かではない山村の農閑期は、迫る厳冬への備えに慌しく過ぎてゆく。

 男手が溢れるほど居る家ならいざ知らず、村はずれに程近い、羊小屋をひとつだけ持つこじんまりとした家は尚のこと大変だ。

 それだからこそ、威勢一杯の女の声が、安定して天気の良い高い空へと突き抜ける。


「タイラー!タイラー!!」


 見渡さなくても見通せる狭い地所。どうして無駄に声張り上げるのかと、裏庭で溜息をつく者が1人。

 タイラー。呼ばわるる当人である。

 よく日に焼けた精悍な面立ちを渋く歪め、振り被ったところの長剣を下ろした。


「俺は修行中!」


 ザッ、と砂粒蹴散らし切っ先の突き刺さった地面には、幾度も繰り返された足取りが草も生えぬほどに刻まれている。


「また飽きもせず剣術じゃないの」


 軋みの音も激しく裏戸が開いて、腕組するのは声の女。

 姉・メイヤ。

 仏頂面の弟から、チラッと視線を飛ばした傍らの木株。使い込まれたリネン布を敷き、大事そうに置かれた一冊の本。それが魔道書だと教えられただけで、メイヤに内容までは判らない。しかしそれを持ち歩いている姿は多くとも、開いてるところなど、とんと覚えのないことでもあった。


「たっく、筋肉バカはしょうがないわ。ちっとも魔法上達しないはずよね」

「大きなお世話だ。言っとくけど俺はなっ、」

「残念だけどね、魔法剣士よりも今必要なのは村の実情理解してくれる普通の魔法使い。私も村の皆も、アンタに期待してんのよ?」

「仕事はちゃんとやってんだろ。逃げたブタ探せだ、井戸掘れだとかさ!」

「わかってる。有り難いと思ってるわ。うちの村じゃあ外の人なんて雇えないもの」

「----で? 何か用あったんじゃねぇの」


 にこりともしない姉を憎らしく思うほど、タイラーは幼くも愚かでもない。

 村の現実を痛いほど理解するから、王立の魔法学院を卒業した後、見習になる為の5年間の実地訓練先を故郷に据えた。

 その後もきっと、骨埋めるまで残るのだろうと思いながら。


「アークさんとこの水車、この間の大雨で傾いたままなんだって。直して欲しいそうよ」

「俺は大工じゃねぇんだよ。絶対本職のが上手いって」

「向こうは、アンタに修理できるって思ってるの。昔、そういうハイレベルな術師に会ったんですって」

「無茶言ってんなよ」

「ともかく行きなさいよ。さもないとご飯抜くからね」

「ぐ……ッ」


 さらっと言い切り、メイヤは、返事も待たずに家の中。

 そうでなくとも体力を消耗する魔術行使に、制御を伴う細かい作業。考えるだけでもうんざりするが、そうと言って無視でもすれば、一食どころか丸一日お預けをくらいかねない。

 姉は、そういう女だ。

 騒乱で亡くした両親の代わりに、豊かではない村の中で懸命に3つ年下の弟を育て上げた。無碍に横暴だろうと、頭など上がりはしない。


「行きゃあいいんだろ。ったくよ……」


 連日借り出されるほどのこの忙しなさも、あと半月もすれば落ち着いてくる。

 それまでの辛抱。毎年の事だ。

 深々と息を吐き、タイラーは地面に刺したままの剣を引き抜いた。









 とうに陽は落ち、暗がりがすっかり足元を舐める頃。

 タイラーは、両手塞がるほどの報酬を抱えて帰途を辿っていた。

 上流のアーク家へ出向いた水車の修繕は、やはりそれだけに留まらなかったのだ。

 掛け直されたばかりという小橋に強度用の焼きを入れ、大水で途切れた湧水を呼び戻し、川縁の補強を行ない、老夫婦の長い話に付き合わされた。

 だが愛想笑い尽いたその労は、慎ましい姉弟2人の生活に十二分以上な食物になった。

 最初はあまりの量に、夫婦の生活をこそ逼迫してはと固辞した。けれど彼等は土壌の関係で食物には困らないのだとはっきりと言い、血色の良い頬に笑みを浮かべた。


「仕事の正当な代価として受け取ってくれんか。そうすればわし等もまた、アンタを呼び易い」


 まだまだ未熟な魔力で高が知れる役割を思い込み始めていただけに、老夫婦の感謝の気持ちがとても嬉しかった。

 素直に大荷物の報酬を受け、またどうぞと、慣れない営業文句も置いてきた。

 俄かに心地好い帰り道。過重労働にかなり腹は減ってはいても、危なっかしい足場が気にもならない。食事時を過ぎても戻らぬタイラーをじりじりと待っているだろうメイヤに、早く見せてやりたいなどと、思わぬ苦い笑いも浮かんでくる。


「タイラー」


 名を呼ばれた気がしたのは、山裾を漸く抜けた時だった。

 村中と言えど、決して治安の良い土地柄ではない。まだ上手に周囲の気配を読めないながら、少し油断が過ぎたかと足を止めた。


「これ、タイラー」


 梟の鳴き声が近く、遠くに響き渡る中、はっきりと耳に届いた。

 気のせいではない。そしてタイラーにはその物言いに覚えがあった。


「せ……先生っ!?」

「ようやっと気づきおったか、忘恩の輩め」


 間違いない。

 1年前に卒業した魔法学院で、4年間ずっとタイラーの担当だった老齢な魔法使い。だが、星の瞬く明るい夜空の下、どこを見回せど、長い顎鬚を探し出せない。声の距離からも、直ぐ傍に居るはずなのだが。


「どこッスか?」

「相も変わらず鈍い奴よな。ここじゃ、ここ」


 まるでその声に合わせるかのように、背後でバサッと羽音が聞こえ、釣られて振り向き眼が点になった。

 真っ白い梟が一羽、鼻先の中空で起用なホバリングをしていたのだ。重そうな体をいとも軽く扱う、優雅な動き。


「せ、ん……せい?」

「ふむ。ご明察とはいかなんだか」


 呆然とするタイラーを写す金色の目をくるりと回して、短い嘴が、人の言葉を紡ぐ。

 タイラーは、咄嗟のことで取り落としかけた荷物を必死で抱え直した。


「先生! いきなりフクロウはないでしょうが」

「何の何の。毎度同じ手では芸もなかろう」

「新手の使い魔の披露なら、ちゃんとした時間選んでくださいって」

「ホホホ、修行が足りん証拠じゃ」


 小憎らしく先生の言葉を伝達する梟は、断りもなしにタイラーの肩へと舞い降りた。


「重いッス」

「ふむ。食料調達にでも出ておったか」

「仕事の報酬ってとこです」

「それは重畳。しっかり励んではおるらしいの」

「ま、そこそこには」

「宜しい。ならばこそ、飛んできた甲斐もあろうて」

「大丈夫ッスよ、慣れた土地だし」


 見知る人間が多いだけ、難しいこともあるのだが。

 偶々のこの卒業生監理に良い傾向を見せれたのなら、干渉の心配もないはずだと、殊更に両腕の成果を示してみせた。


「相当貰ったんでちょっとつまんで行きますか?」

「おお、好意は有り難くお受けしようがな。タイラー、今日は届け物に来たわけじゃ。ほれ、受け取れ」


 と、何処から出してきたものか。顔を覗き込むように首を曲げてきた梟の嘴には、書状がひとつ咥えられていた。


「……持てないッス」


 金糸だろう止め具を横目にするタイラーの憮然に、梟は飄々と舞い上がる。


「やや、これは失敬。しからば、お主の家にお邪魔するとしようかな」

「ここで言ってもらって構わないッスけど。どうせ内容はご存知なんでしょ?」

「見ておらんが、用件は知っておるとも。だからこそ、お主自身で開けねばならん」

「何スか。ヤバいものじゃないでしょうね。前みたく、巻紙開けたら大洪水とか勘弁してくださいよ。姉ちゃんに殺される」

「まぁ何だ、姉様の癇に触るようなことは無かろうて」

「先生、」

「急いてはいかん。家へ戻ろうぞ」


 羊皮紙の書状咥えたまま、器用にタイラーを促して、勝手知ったる梟は闇の彼方へ飛び進む。

 在学中も散々その茶目っ気に振り回されただけに、タイラーは踏み出す一歩に限りない不安を抱くのだ。降ろした足裏が踏むのは果たして硬い地面のままなのか、どうかと。

 それがまさかの報せに化けたのは、待ち構えていたメイヤに大量の手土産引渡して小言を制してすぐのことだった。


「せんせい……これは、その……」


 巻き開いた羊皮紙を潰さんばかりに握り締め、タイラーは何度も何度も記載の内容を確かめた。

 魔法文字の解読を苦手にはしないが、この流麗達筆ぶりに惑わされてはいないだろうか。


「お得意の冗談ってわけじゃあ……」

「わしの字は汚いわ、戯けが。それはほれ、直筆じゃというぞ」

「……マジなんスか」

「大マジじゃ」

「俺が?」

「わしの自慢の生徒というわけだ」


 テーブルの上で羽を休める梟は、とぼけた素振りもなく至って真面目。困った悪戯ばかりが印象に強い先生だが、さすがに人の心弄ぶあくどさはないらしい。

 だが、どうにも信じ難いものを前に、タイラーはもう一度ランプを手元に引き寄せた。

 在り来たりのサイズの羊皮紙には、書き手の知性垣間見える美筆でこう認めてあった。


『 タイラーの滞在修養を認める       アルシア 』


 材質不明な半蛍光の花押のある、その署名。

 聞き覚えは十二分に過ぎる。

 星の数程居るという法術士の頂点に立つ、たった5人のGMグランドマスターの1人。

 アルシア----史上最年少にてGMの称号を受けた、希代の天才。基礎探求の終了宣言がなされ、応用を繰り返すことで進化してきた4大魔法。そこに源泉だという邪法を加えた絶対5種の公法しか存在しないと思われた世界に、「光」の自然力もまた法術のひとつだと知らしめさせた。

 通称「光の導師」

 華々しい経歴のわりに公の登場は極端に少ない。この謎多きGMは、修業生の受け入れを拒み続けているとも噂されているのだが。

 そんな存在の直筆署名を、まさかの弟子入り許可書として拝むはめになろうとは。

 タイラーは半年前、先生が寄越した伝書鳩に駄目もとの志願書類を託していた。

 学院での専攻全課程を修了後5年以内の卒業生の中でも、特に教授に選抜された者にしか伝送されてこない志願書。それは更に狭き超難門である、GMに師事できる千載一遇のチャンスの、ほんの微かな一端を得たことを意味していた。だからとて大それた野望抱いたわけでもなく、審査基準に乗っていたことだけで十分に満足だった。書類を出したのも、合格の自信あっての行動ではない。4年間世話になった先生が、始めての選考者だと言ってくれたことで、恩返しなどをしてみたい気にもなった。

 ただ、それだけだった。

 長い目で見れば5年に一度、だが本当のチャンスは生涯たった一回きりの最高の機会。それが今、タイラーの手が握る羊皮紙によって現実のものとなっていた。


「光の導師……」


 及びもつかないその魔力に触れる機会は、今を逃せば、田舎に引っ込むしがない魔法使いには最早二度と巡っては来ないだろう。


「彼の手をおいて未だ操り得る者はいないそうじゃ」


 吉報の真偽にケリがついたと見たか、梟の姿を借る先生は、やんわりした口調でタイラーの意識を引き戻した。


「それこそ冗談じゃないッスよ……」

「んん? 肝の小さいことではいかんぞ」


 梟はおもむろに片方の翼を広げた。

 橙の光を眩しく反射しつつ、煤けた木のテーブルに澄んだ音立てて転がり出たのは2枚の共通金貨。タイラーの眼が見開かれ、すぐ梟に注がれた。


「お主が、光の担い手の第一号となってみるか」

「これ。何スか先生」

「一枚はGMの指定する待機処までの旅費」

「ちょ……と、待ってください、」

「もう一枚は----メイヤ殿。これは慣習故、何も言わず受け取ってくださらんか」

「身売りみたいですね」


 平坦な声にはっとする。

 視線を上げれば、メイヤが、滅多にどころか両親を亡くしてからお目にかかった記憶すらない黄金色の貨幣をつまんでいた。太くがさついた指の間で場違いな輝きを放っている。


「出してたのね、志願書」

「受かるなんて思ってなくてよ……」

「馬鹿でしょアンタ」


 露骨に吐かれた溜め息に反発できない。

 志願書を受け取った日の夕食で話題になった。力仕事に借り出されていたタイラーの代わりに受け取ったメイヤが、何だったのかと訊ねてきたのだ。珍しいと思い、ああ、と納得した。

 だから笑い飛ばした。人選ミスだ、と。

 それなのにこの顛末。見下ろして来る無表情な眼に、黙って耐えるしかなかった。

 行きたいと、今更どうして我侭を言えるだろうか。

 先生もまた気拙そうに首を揺らし、事の成り行きを見守るばかり。


「アンタほんとに馬鹿よね」


 同じ科白で同じ溜め息。

 同じ言い訳をもう一度口にしかけ、呑み込んだ。


「うちが一年余裕で食べていけるお金をぽんっとくれちゃう価値、本当にアンタにあるのかしら」


 背中丸める弟と金貨を交互に見遣り、メイヤは肩を竦めてまた息を吐いた。


「一年後に返せって言われたりしないでしょうね」

「そ……そんときゃ昼も夜も働く」

「今度こそ、でしょ」

「おう」

「だったらしゃっきとするッ」


 そう言い様、容赦なく背中をぶたれた。

 5年前と同じように。

 あの頃よりまた一段と逞しくなった一振りの、ジンとした痛みはけれど、とても温かい気がした。


「悪い」

「戻った時に聞いたげる。----そいうわけで先生。カッコつけても入り用になるのは確かだし、これは有難くいただきます」

「ご理解賜われたこと、感謝致しまするぞ」


 無いに等しい首で重々しく頷いたらしい白い梟に、メイヤは苦い笑いを零した。





 間近に迫った冬が早くも灰色の陽射しに見える明くる早朝。古びた剣と魔道書と少しの身の回り品だけを提げ、タイラーは農閑期の村を出た。

 その背中に無言の一撃をもらって。




目指すは『コシカ』

大陸南部にあるという豊かな港街

そこで待っているのだ

GMという名の未知の知恵が----


胸躍る

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