二ヶ月契約財閥彼女

甘夢果実

契約彼女

 朗らかな日差しが差しこみ、教室を長閑のどかで暖かな空気が包み込む。


「そんな昼寝に最高の日に、うるさいのが来ました……っと」


 僕の視線の先にいるのは、同学年で同じクラスの山ノ瀬 桃花。間違いなくこの学園で5本の指に入る美少女。

 そして、この学園で最も金持ちな御令嬢だ。そして、学園で最も高飛車な女。


「喜びなさい! 今日も私が来てやったわよ!」


 そいつは、いつものように僕の隣に座る。なぜだ、なぜこいつの隣にされたんだ僕は。解せぬ。

 そんな僕に対して向けられるのは羨望の眼差し。よく考えてみろお前ら、こんなうるさいのが隣にいるんだぞ?


 僕はそんな言葉を飲み込んで、机に全体重を預ける。あー……あったかいなぁ……。

 そんな風に思っていると、いつものように隣でうるさい喋りが始まった。


「聞きなさい、ゆーた。今朝ね、リムジンで来たんだけど……」


 こいつが話すのは、大体同じ話だ。今日はリムジンから誰を見た、リムジンで見たどんな物が綺麗だった、今日のお前はキモい。その三パターンのどれかだ。


 仮にも美少女、3分の1の確率でお前がキモいと言われると、聞き流していてもそこそこ傷つく。

 そしてなぜお前は傷ついた僕を見て喜ぶんだ、ドSめ。


 別に気にならないが、キモいなんて言われるのは癪なのでちょっとは努力してるんだぜ? あくまでちょっとだけど。そんなことより重要なのは、僕の恋心ハートを射止めたあの人だ。


 この学園で最も金持ち、最も高飛車なのは間違いなく隣のこいつだ。

 だが、この学園で最も優しく、また隣のこいつ同様五本の指に入る美少女が隣のクラスにいる。その名は、工藤 沙耶香。


 一部を除いて、ほとんどの人がこいつと工藤沙耶香なら工藤沙耶香を選ぶだろう。こいつを選ぶような変態には近寄りたくない。


 廊下をあるく工藤沙耶香。

 周りをキョロキョロと見渡してからトイレに入る工藤沙耶香。

 校庭で走る工藤沙耶香。そのどの工藤沙耶香も、文句なしに美しく、可愛らしい。


 ストーカーとか変態とか、そんな声が聞こえるが……それは無視して話を進めよう。


「あ、そうそう。あんたに命令があるのよ」


「は?」


 命令、とな。珍しいじゃないか、他人に頼るなんて。こいつは高飛車だがそれに見合う実力を持っている。


 料理洗濯掃除はプロ級、勉強は学年1位、運動は抜群、家柄はトップ。性格だけが難点なこいつは、人に頼る必要性を持たない。

 逆に工藤沙耶香は人情味溢れるというか、良くも悪くも人間らしいが……それは今はいいや。


 要はこいつが人に頼るなんて珍しいということだ。


「二ヶ月間、彼氏のフリを……いいえ交際契約を結びなさい!」


「は? 断る」


「コレはお願いじゃないわ、命令よ。あなたに拒否権はない。常任理事国じゃないもの」


 それは国連のことを言ってるのか? ややこしい奴め。


「それとも何かしら。この学校を退学したい? 亡くなったあんたの両親も悲しむでしょうねぇ」


「てめぇ……!」


 くっそ! 思いっきりぶん殴りてぇ! ……チッ。当然の如く、家柄が強いこいつは学校への影響力も強い。

 ちょっと自分で痣をつくって親に「鬼道裕太にやられた」って報告すれば、すぐにでも僕は退学モノだ。


「わーったよ。何すりゃいい?」

「いつもどーりにしてればいいわよ。あ、でも用事には付き合ってもらうわ」


 そう言って、こいつはニヤリと口角を吊り上げて意地悪な笑みを浮かべた。


◇◆◇◆◇


 あの契約の日から、一週間が経過した。未だに用事なんて話が音沙汰なく、少し安心していた所でミサイルが落ちてきた。

 周囲に聞いたら、みんな知ってると言っていた。井の中の蛙に向かって原爆落としているようなもんだろう。少しは容赦してくれ。


 さて。大変なのはその用事とやらだ。曰く「パーティの時に同席して、男たちが言い寄ってくる状況を止めて欲しい」だとか。


 なんでそんなめんどくさいことを僕が……って聞いたら僕が契約上彼氏だからとか。嫌だ、めんどくさい。そういうのは違うやつに頼めよ……。

 そうは思いつつも、また脅迫されるのはもっと嫌だから渋々こいつの要求に頷いた。


 パーティというのは、いくつかの企業が合同で開催しているらしく、それぞれの企業の懇親会のようなものらしい。

 そんなの、俺なんて場違い感が半端ないだろうと思っていたら、この学園の生徒も参加OKらしい。

 というのも、この学園を運営する学園法人が主催して、会場設営なんかもほとんど取り仕切るんだとか。ただの懇親会ではなく、出資者の方々へのお礼という意味も込めてるんだろう。


 パーティ当日。僕は制服を着て、最寄駅前で山ノ瀬を待っていた。到着してしばらくすると、黒くて大きな車……リムジンだったか? が僕の前で停車した。

 誰か出てくるのかと思って道を開けると、窓からそいつは身を乗り出してきた。誰かなんて言うまでもない。山ノ瀬桃花だ。


 山ノ瀬のリムジンは僕を乗せて、パーティ会場まで走っていく。それにしても……金をかけすぎじゃないか?

 リムジンの中は普通の車と違って、長いソファのようなリング状の椅子になっていた。その中央には長机がある。


「とりあえず飲みなさい」


 そう言って、山ノ瀬はシャンパンの瓶を僕に押し付け、グラスを自分で持つ。


「注ぎなさい」

「は? やだよ」

「そう。じゃ、しょうがないわねぇ……」


 そう言って、山ノ瀬は携帯を耳に当てる。

 そして、今にも泣き出しそうな声で通話を始める。


「もしもし、パパ? 実はね、いじ」

「悪かった! 注ぐから! 注ぐからやめろ!」


 僕がそう言って謝ると、こいつはニヤリと笑って携帯の画面を見せつける。画面は真っ暗……騙されたのかよ!?


「ふっ……」

「チッ……」


 くそっ……なんでこんな目に……。

 僕は怒りを堪えて、グラスにシャンパンを注ぐ。


「そう、いい子ね」

「僕は幼稚園児か!」


 そうつっこむと、こいつはクスクスと笑い始める。なんなんだよ、ったく……。


 やがて僕たちはパーティ会場に到着した。中に入ると既に料理などが並べられていて、それをとっている若者もいれば、飲み物片手に談笑しているダンディズム溢れるおっさんもいる。


「何か料理を持って来てちょうだい」


 そしていつの間にか席を確保した高飛車なこいつは相変わらずだ。他の男に言い寄られたくないから僕を連れてきたんじゃなかったのか。


 僕はそう思いつつも、言いなりになって適当な料理に目星をつけて皿に盛り付けていく。


 やがて料理を取り終えて戻ると、既にこいつは多くの男に取り囲まれていた。一応契約上、彼氏は僕だぞ。……あれ? なんで僕、こんなにモヤモヤしてんの。


「あ! ゆーた、遅いわよ!」


 山ノ瀬はそう言って、こちらに手を振る。僕は後ろを振り返って誰かがいるのかを確認すると、山ノ瀬は笑い出した。

 そんな僕らを見て分が悪いと悟ったのか、囲んでいた男たちは離れていく。まあ、何人か残ってはいるんだが。


「ありがと。……なにこれ?」

「何って、人参のマリネだけど?」

「それは私が人参嫌いだと知っての行いかしら!?」

「まあいいから、一旦食ってみろ」


 僕はそう言って、うるさい口の中にマリネを押し込む。

 山ノ瀬はそれを受け入れ、そして、意外そうな顔をした。


「……悪くないわね」

「だろ?」

「続けなさい」

「何をだ」

「食べさせるのをよ!」


 何言ってんだコイツ。頭沸騰したか。……いいや、元々だったか。


「はぁ……しょうがねぇなあ」


 僕はそう言いながら、料理を口に放り込んでいく。飲み込んだのを確認して、次の料理を取っていく。

 そんな風にしていると、時間がかかるためか山ノ瀬に声をかけるやつが現れた。


「あははっ。お熱いことですね」

「僕の心は冷え切ってますけど。今こちらのアホお嬢様は食べるのに必死なので喋れませんよ」

「アホって何よアホって! 文句あんの!?」

「はいはい」


 僕が山ノ瀬の言葉をスルーすると、相変わらずの胡散臭い笑いを男が浮かべた。この男は東郷秀典。山ノ瀬と同じく、財閥のボンボンだ。


「ところで桃花様。もうすぐダンスの時間ですが……僕と一緒に踊りませんか?」

「あら、ごめんあそばせ。私、最初はこちらの殿方と最初に踊ると決めておりますの」

「そうですか。では、その次にでも」

「随分とご執着なさるのですね」


 そう僕が嫌味を言うと、東郷は少しムッとした顔でこちらを向いて反抗心を露わにする。


「おや、没落した財閥の御曹司様がこんな所にいらっしゃるとは。今は山ノ瀬財閥の奴隷ですかな?」


 コイツ……!! ふざけんなよ!!


 僕が怒りのままに立ち上がろうとすると、僕に対して怯える山ノ瀬が目に入った。そんな顔すんなよ……チッ。


「……あら。御子息がお家のことを仰って人のことを馬鹿にするなんて、東郷財閥様は随分とご立派な教育をしていらっしゃるのね。あーやだやだ」

「くっ……!」


 山ノ瀬が嫌味を言うと、東郷は忌々しげな顔をして立ち去っていった。


「……山ノ瀬」

「今は何も話さないで」


 気まずい沈黙が場を支配する。外に出て空気を吸いたいなー、と思ったところで、僕の手を山ノ瀬が握った。


「もうダンスの時間ですわ。さあ、踊りましょ」


 そう言われて腕を引かれるままに、僕らは会場の中心で円舞曲ワルツを踊る。

 視界に、悔しそうな顔をする東郷が目に入った。ざまぁ。


 目の前では、山ノ瀬が楽しそうに笑っている。


「楽しいわ! とっても楽しい!」

「そうかい、そりゃよかった」


 ……なんだよ、コレ。中々悪くないじゃないか。今だけは、この空気をひたすらに楽しもう。そう、思えた。



◇◆◇◆◇


 契約をしてから、二ヶ月が経った。文化祭を共に過ごした、その帰りのことだった。


「……桃花」


 いつの間にか、僕は自然と山ノ瀬桃花を名前で呼ぶようになっていた。


「なーに? 今日は楽しかったわね!」


 夜の公園を僕より先に歩いてこちらを向かない桃花は、寂しさを堪えているようにも見えた。……いや、流石にそれは僕が寂しいから、そう見えるだけだな。……惜しいなぁ。


「桃花。約束の二ヶ月だ」

「んー……? そうねぇ……」


 桃花は立ち止まって、こちらを振り向いた。その目尻からは、涙が溢れている。けど、無理やり口は笑顔にしていた。


「……泣くなよ。僕だって辛いんだ」

「だったら……!」


 僕の言葉で、桃花の顔は泣き顔になった。そんな桃花を、僕は抱きしめる。


「……確かに。確かに二ヶ月は過ぎた。だから、契約はここまでだ。けど──」


 二ヶ月前に桃花に言われた、その言葉を。今度は、僕が言う。


「──付き合ってくれ」

「……うんっ!!」


 桃花を、力一杯抱きしめる。


「……もうっ、痛いわ」


 そう言いながらも、桃花は笑顔だった。

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