オタ×妻〜オタクとシングルマザーが結婚して幸せになった話〜

甘夢果実

オタ×妻〜オタクとシングルマザーが結婚して幸せになった話〜

「これ、本当に……?」


「いや、だった?」


「ううん……夢みたいで……!」


 ちょっとお高いレストランの窓際の机の上。

 そんなロマンチックな場所で、彼女の目尻からは涙が流れていた。

 夢みたいで。これは、相手にとって喜ばしいこととして受けとって良いんだよね。まさかとは思うけど……


「悪夢じゃないよね?」


「……もうっ」


 僕の言葉に、彼女は、『海東 優香』は。泣きながらも笑っていた。……喜んでくれて、良かった。


「……浩太くんがなんで泣いてるのよ」


 彼女も泣いているが、そう言いながら笑った。


「ふふ……怖かった? 私のために頑張ってくれたのよね、よしよし。ありがとう」


 あぁ──そんなこと言われたら、涙が止まらなくなるじゃないか。

 苦節二十五年。この年で、ようやく僕と彼女は結ばれた。


◇◆◇◆◇


──5年後


「この部屋に入るなって言ったよね!?」


「何よ、謝ったじゃない!!」


「ねぇ父さん、母さん。やめなって」


「「悠介は黙ってて!!」」


 9月10日。少し仕事で疲れて帰ってきた夜に、時間は起こった。容疑者……いや、犯人は都内在住の海東 優香、35歳。既婚済み。

 第一発見者は僕と優香の息子である悠介。喧嘩の仲裁をしようとして失敗、今は机の上で頭を抱えている。


 家に帰ると、いつも通り出迎えてくれた妻の優香。

 いつも先に寝ててもいいと言っているが、それを拒否して僕が帰ったときに出迎えてくれる。

 それを有り難く思いつつも、僕は優香の目が若干泳いでいることに気がついた。


 何かあったのか? そう思いつつ辺りを見渡すと──家の中の異変に気がついた。

 ──扉が、開いているのだ。結婚して5年、一度もみんなの前で開けっ放しにしなかった扉だ。


「……ねぇ、なんで開いているの?」


「あ……えっとね、それは……」


 僕が聞くと、優香の目がさらに泳いだ。冷たい空気の中で泳ぐ様はまさに寒中水泳……何言ってんの、僕。お酒飲んだっけ? それとも、よく分からないことを言うくらい僕は焦っているということかな。


「部屋、見たんだね?」


「そ、それは……いや、はい。ゴメンナサイ」


 優香はそう言って、素直に謝った。なんだよ、もう。これじゃ怒るに怒れないし……それに、許したくなるじゃないか。


 僕がフッと肩の力を抜いた瞬間、優香は問題発言をした。


「いや、でもね。部屋、汚いなら掃除してあげなきゃって思ったんだもん」


 ……え? そんなに、信頼されてないの?

 なんだか、やるせない気持ちになる。優香なら認めてくれていると、そう思っていたのに。


 そのとき脳裏にふと昼間の会社でのことが蘇った。


「そんなに、お前の仲間が信頼できないか? 確かにお前1人いればゲームは完成するだろうよ。けどさ、少しは仲間のことも信頼してみたらどうだ? 俺たちはチームなんだから」


 ……そっか。あいつら、こんな思いしてたのか。

 俺、こんなんじゃ人に認めてもらえるなんて、そんなわけないじゃんかよ……!!


「……部屋、見るなって言ったよね」


 止まれ。止まれ止まれ止まれ! 普段なら収まるはずの口が、今日は止まらない。なんで、なんでだよ!


「うん。反省してます」


 ムカムカする。なんでそんなに冷淡でいられるんだよ!? 認められないって、別にお前になんか認められなくてもいいって思ってんのか!!


「なんで言ったのに見たんだよ!!」


「……っだから、それは悪いって思ってるよ!! けど、そんなに言うことないじゃん!!」


「開き直んな、逆ギレすんな!!」


「だから謝ってんじゃん!!」


 あぁもう、何やってんだよ、本当。

 なんでこんなに僕、キレてんの? 


「この部屋に入るなって言ったよね!?」


「何よ、謝ったじゃない!!」


「ねぇ父さん、母さん。やめなって」


「「悠介は黙ってて!」」


 そして話は冒頭に戻る。


 なんで、なんでなんでなんで……っ!

 なんで分かってくれないんだ!!


 気づいたら僕は、玄関で靴を履いていた。


「ねぇ、どこ行くのよ」


「知らない」


「……また、そうやって私の前から居なくなるの!?」


「誰と重ねてんのか知らないけど、僕は僕だし君の重ねた『誰か』とは違う!」


 僕はそう言うと、扉を押し上げてマンションの渡り廊下に出た。

 悲しいくらいに窓から見える綺麗な夜景が、僕の心を無慈悲に照らすようで嫌になる。


 僕は唇を噛んで怒りを押し殺しながら、エレベーターに乗った。


◇◆◇◆◇


「……なんか、今日の浩太君、変だよ……」


 無意識にそう言って、私は机の上で頭を抱えた。

 何か、彼の琴線に触れたのだろうか。部屋を見られたのが、そんなに嫌だったのか。それとも──彼の優しさに、甘えすぎていたのか。

 でも──また、あんなことを繰り返すなんて。そんなこと、嫌だ。したくない。


「……母さん」


「……悠介。ゴメンね、怒っちゃって」


「ううん、別に。そんなことより……いいの、父さんのこと?」


 悠介にそう言われて、私はハッとなった。

 こんなことしていたって、しょうがないじゃないか。……でも、ちょっと、今はあまりに行きづらいかな。


「ごめん、悠介。ちょっとだけ、落ち着かせてくれる?」


「……うん、そうだね。俺も、それが良いと思う」


 そう言いながら、悠介は玄関へと向かった。

 どこに行くつもりだろう?


「悠介?」


「大丈夫、父さんを迎えに行くだけだよ」


「……うん、よろしくね」


 私の言葉に頷いて、悠介は浩太君……夫を迎えに、玄関から外へ出た。

 その頼れる背中には、私がずっと思ってきた不安、心配はもう乗っかっていなかった。


◇◆◇◆◇


「……寒いな」


 ポツリと呟く。吐く息は白く、やがて虚空の彼方へと消えていく。僕が今回のプロジェクトで作ったゲームに出てくる一節だ。

 ……確かに、あんまり周りの意見を聞いていなかったかもしれないな。僕はそう思い返して、自分が嫌になり始める。


「父さん!」


「悠介。さっきはゴメンな」


「夫婦揃っておんなじこと言うんだね。……母さん、心配してたよ」


「……だろうね。ちょっとファミレスでも寄って行こうか」


「戻らないの?」


「すぐには、ちょっと戻りづらいだろ?」


 そう言って笑いかけた僕に対して、悠介は「それもそうだね」と肯定してくれた。

 あぁ──本当にいい子だ。僕なんかが新しい父親で良かったのか、そんな風に思うほどに。


 ガ○トに入り、ドリンクバーを注文する。僕はコーヒーを淹れ、それをゆっくりと飲み込んでいく。

 この一時が、僕の心にこびりついた汚れを削ぎ落としてくれる。


 僕の正面に座った悠介は、僕同様にコーヒーを飲んでため息をついた。


「……父さん、そんなに嫌だった?」


「嫌……あ、部屋のことか。うん、そうだな。僕の『逃げ』の証だから」


「でも、父さんは僕らの家族になったんだからさ……」


「悠介」


 察しがつくが、何かを言おうとした悠介の言葉を断って、僕は悠介をじっと見つめる。そして、意を決して話し始める。


「お前と出会って10年か。とっても長かったし、確かに僕らは家族だ。……けどな」


 そこで一旦止めた僕の言葉に耳を傾けようと、悠介は真剣な眼差しで僕を見つめる。


「……たとえ家族でも、いや、家族だからこそ。相手に見せたくない部分だってあるんだ」


 思えば、僕は家族に好かれることに躍起になりすぎていたのかもしれない。けど、僕はもう僕を好いてくれる人を失いたくないんだ。


「……飲んだら、帰ろう」


「……うん、そうだね」


 悠介は僕を肯定した。きっと、悠介なら……いや、僕の家族は僕を嫌ったりしない。けれど……僕の弱味を晒すことなんて、僕には耐えられなかった。


◇◆◇◆◇


「ただいま」


「お帰りなさい。……その、浩太くん」


「言わせない。僕が悪かった」


 そう言った僕に対して、喜ぶように彼女は──僕の世界で最も愛する女性は、優香は、笑顔を作った。


「ううん、私も悪かった。ご飯、食べよう? 冷めちゃうよ」


「そうだね。今日のご飯は何かな」


 「待ってて」と言った優香の言葉に従って、僕はいつもの席に座る。


「あ、お父さん……お帰り」


 そう言ったのは、次女である果歩だ。目元が若干笑っている。さてはこいつ……まあ、しょうがないか。

 特に何も言ってこないけど果歩はニヤついていた。イラってくるけど……なぜだか、悪くない。


 それが、彼女が僕に対して嘲笑するような感情を持ってないからだろう。弄るネタができた、そんな感じのニヤニヤだ。


「やめろ、果歩」


「あ、八つ当たりされた兄さん。お疲れ様」


 その果歩の言葉に、僕と優香はグッと固まる。その仕草を見てか、果歩と悠介は大笑いしていた。


 ──あぁ、楽しいなぁ、本当に。

 しばらく待っていると、優香がお皿を持ってきてくれた。コロッケだろうか。


「ありがとう。それじゃあ、いただきますっ!」


 そう言って、僕はコロッケにかぶりついた。


◇◆◇◆◇


 その晩。夢を見た。

 中学生の頃の夢だ。

 殴られて、血が出る。

 トイレの中に、顔を押し込まれる。

 席に座ると仕掛けられていた画鋲が尻に刺さる。

 穴の空いた制服を見て、母さんが心配する。それに対して、無理やり笑顔を作って、「大丈夫だよ」なんて言って。


 だんだん、だんだんと視界の縁が黒く、闇が僕を覆い隠そうとしてくる。

 闇が遂に景色を覆い隠した時。一抹の光が、その闇を取り払った。

 そこに居たのは──アニメのキャラクターだった。


「大丈夫? 助けに来たよ!」


「助けてあげるわ。利子は十倍よ」


 キャラの中でも、一際異質な存在。一際輝いている存在が、こう言った。


「みんなの信頼が……僕の力になる! 信じてくれ! そしたら全てがよくなる!」


 それをきっかけに、僕の中の何かが変わった。

 少し頑張ってみたら、何でもかんでも人並み以上に上手くなった。

 人に頼られるようになって、人からいじめられなくなって。そうだ、僕は人から信頼を集めなくちゃ。


 自分で顧みても、歪んでるなって思った。それが、そんな自分が、とても嫌だった。──けど。それぐらいしか、みんなに信頼されるくらいしか、僕にできることはない。


 そう思って、夢が、覚めた。


「おはよ」


 優香が、起きてきた僕にそう声をかけた。僕も、精一杯の笑顔で返す。


「……どうしたの? 泣いてるよ?」


「え、あ……」


 僕の頬を、一筋の涙が伝っていた。


「……大丈夫、大丈夫よ。私がついてるから。あなたを、信じてるから」


 その言葉に、ブワッと涙が溢れ出した。堰を切って止まらない、決壊した涙の堤防を堰き止めなきゃと、僕は一生懸命目尻をこすった。


「もう、そんなんじゃダメよ。私が唯一名前で呼ばせる男なんだから、しっかりして」


 そう言って、優香は僕に笑いかけた。


◇◆◇◆◇


 それは、とある日曜日の出来事だった。


「ピンポーン」


「はーい」


 チャイムに応じて、優香と共に外に出る。


「あれ、博貴さん」


「あぁ、浩太くん。やっぱり……そうだと思った」


 訪ねて来たのは、今回の仕事の相手先である博貴さんだった。

 けど、その笑顔は、いつもよりも気持ち悪くて、残酷で……そして、その矛先が僕ではないことに気がついた。

 自然と、僕は隣にいる優香の前に壁になる。


優香・・! 元気だったかい?」


 『優香』と、ソイツは確かにそう言った。


「良い男と結ばれたみたいで、僕も嬉しいよ。今日は、君に用事があるんだ」


 そう言って、博貴さんは一歩詰め寄る。優香の方を見ると、顔面蒼白で珠のような大粒の汗が額を流れていた。


「優香?」


「おや、言ってないのかい。僕は、彼女の元夫さ、浩太くん」


 ……え? 嘘、だろ? 僕が優香の方を向くと、優香はコクリと頷いた。


「……今日は、君たち一家に用事があるんだ。……そう、子供達の親権を返してもらいにね!」


 その言葉が嘘じゃないと告げるように、その男は残酷に笑った。


◇◆◇◆◇


「……いい部屋だね」


 博貴さんがそういうが、当然のこと、誰も返事をしない。子供達を部屋に戻し、今はリビングで僕と優香、そして博貴さんの3人きりだ。


「……親権を返してほしいと言ったが、ソレは1人じゃない。2人ともだ」


「……なんで、なんで今更そんなこというのよ!」


 激昂した優香を、僕は宥めながら浩二さんの方を向く。


「2人とも、怖いよ。……悠介、果歩、君たちの意見を聞かせてくれ」


 博貴さんがおどけながら、いるはずもないその2人に問いかける。すると、玄関の影から2人が出て来た。まさか……全部聞いてたのか?


「君たちはウチに来る気はないか? ウチに来れば、今以上の生活と愛することを保障しよう。もちろん、就職まで全部支援する」


 その言葉に、僕は内心不安だった。

 彼の凄さは一緒に仕事をしたことでよくわかっている。人として完成形に近いだろう、ということもわかっている。


「悪いが、僕は彼に負ける要素は何1つないと思っている。それは君自身が一番わかっているだろう、浩太くん?」


 僕はその言葉に、悔しながらもコクリと頷く。子供たちの前で、嘘なんてつけない。博貴さんを一言で表すなら、それは「至高」だ。


「それに、君たちの本当の父親はこの僕だ。君たちの『仮の』父親が愛した2倍愛し、かけた時間、かけた金の2倍、僕は君たちにかけよう。どうだい、ウチに来ないか?」


 博貴さんのその言葉に対して、2人は戸惑っていた。けど、悠介が前に出て、言い放った。


「確かに、あなたは今の父より優れているだろう。確かに、今の父と僕らの血は繋がっていないかもしれない。

 けれど、それでも。あなたではなく彼が僕たちの父親だ。血の繋がりは嘘でも、過ごした時間と受けた愛情は本物だったから。あなたからは、本当の感情は、感じられない!!」


 悠介が言って、果歩がコクリと頷く。──ありがとう。自然と、そんな言葉がこぼれ落ちそうだった。


「……ふむ。やはり、いい父親、いい夫に恵まれたんだね。安心した」


 そう言った博貴さんは、いつも仕事先で見せる優しい笑顔に戻っていた。


「子供たちにその気がないなら……いや。子供たちの新たな父親が素晴らしい男なら、僕は何も言うことはない。これで失礼するよ」


 そう言って、博貴さんは玄関に立った。その頼もしい背中に向けて、僕は叫ぶ。


「あの!」


「なんだい? ──あぁ、先ほどの非礼はお詫び申しあげよう。どうやら、君の方が僕よりも優れていたようだ」


「いえ、そうではなく……ありがとうございました!!」


 僕の精一杯のお礼に、博貴さんは振り向いて意外そうな顔をする。そして、次第にそれは笑顔に変わっていく。

 きっと、彼は彼なりに子供たちのためを思って行動してくれたんだ。僕の子供のために、そうしてくれたことがとても嬉しかった。


「あぁ。また、機会があれば会おう」


 そう言って扉を出た博貴さんを見送る。


 僕の心のモヤモヤは晴れて、もう、そこに歪な自分への自己嫌悪は残っていなかった。

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