第114話 市東 桂壱 9



学校を出ると、外はザアザアの大降りだった。

今持っているビニ傘は、果たして今朝僕が持ってきたものと同じなんだろうか。


「ちゃんとした個性が無いからみんなに大事にされないんだろうな」


こういう日は帰宅したら直ぐに風呂に入るのが良い。

身体のあちこちが雨やその他の色んな液体でベタついていて気持ち悪かった。場所を選ばずシたせいで、美術室の埃まで絡め取っている気がする。


家に着いて汚れた身体に熱いシャワーを当てていると、目の前の鏡に目が行った。

貧相な身体の鎖骨の下に、赤いうっ血の跡が散っている。


不意に涙が流れてきた。

終わってみるといつも、なんて虚しい行為だったんだろうと思う。


「……僕、何してるんだろ」


鏡に映るこの男は、どうしてその弟と同じじゃないんだろう。

小さい頃から一緒で、同じ親から生まれて。だからこそ不自然だった。

みんな星弐が人間として正解だと思っている。

僕の方が兄なのに。

何をどう頑張っても勝てなかった。

親に認めて貰えないのは、どうも神様に認めて貰えないことと同じに思える。

みんな、アベルの味方だ。

愚かなカイン。

弟への嫉妬で気が狂いそうだ。何でこんなに心も体も汚いんだろう。

自虐などでは無くて、純粋に不思議なのだ。


相変わらず纏まらない思考を持て余して風呂から上がると、暗いリビングに星弐せいじが立っていた。

キッチンから漏れる光が星弐の顔の半分だけを明るく照らしている。


「帰ってたんなら声くらいかけろよ……」


責めるような顔でそう言った星弐は言いながら別の事に気が付いたようだった。

急に僕との距離を詰めてきた。


「桂壱。肌こすりすぎじゃないか? 首の辺り真っ赤になってる」


「ああ……母さんたちは?」


僕はわざと一歩後ずさった。


「弁護士んとこ。揉めてるみたいだよ」


急いでキッチンに入って行った星弐が水で濡らしたタオルを投げて寄越す。

僕は黙って受け取った。

直ぐにリビングには何の音もしなくなった。


桂壱けいいち……最近、痩せたよな。何かその痩せ方へんだよ。良くない感じがする」


無言が気まずいからなのか、星弐が言う。

影になっていたせいで顔が見えなかった。


「そうかな。自分じゃ全くわからないけど」


「ちゃんと飯食えよ」


「食べてるよ」


「なぁ、桂壱。あいつらが離婚しても一緒にいような」


「……当たり前だろ。兄弟なんだから」


平気な顔で僕は嘘をついた。

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