東端の地へ

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 千葉は私にとって遠い地である。神奈川に住む私からすると、千葉には用事が無い。縁も無い。歴史的に見れば、江戸地代の五街道で千葉方面に向かう道は無いわけで、どうも脇役という感じがする。

 そんなわけで、近い割に乗りつぶしがはかどっていない。大回りで乗れる房総半島南方へ向かう内房線、外房線には乗っているが、盲腸線の久留里線や大回りだと微妙に未乗区間が残る銚子方面、その他私鉄には乗れていなかった。北海道だ、関西だ、といって遠征しているが、足下が固まっていないのはよろしくない。そう思い2016年3月、久留里線に乗った。今回は第二段、銚子方面である。

 銚子に向かうJR路線は、北回りの成田線と南回りの総武本線がある。今回は往路に総武本線、復路に成田線、そしてその間に銚子電鉄に乗るプランである。ついでに犬吠埼も見てくる。

 2016年9月1日、横浜から横須賀線に乗り、千葉にやって来た。千葉からは9時16分発の銚子行に乗る。当時、千葉駅は駅ビルの建て替えをしていた。十一月に新駅ビルが開業し、私が行った時と異なる様相を呈している様である。しかし、工事が完成するとは良いことだ。横浜駅は完成する気配がしない。

 ホームに上ると銚子行はすぐに入線してきた。車両は209系というもので、JR化後初期に作られた車両を使用している。元々京浜東北線を走っていたもので、改造し先頭車両にボックスシートが付いたり、トイレが整備されたりと近郊電車仕様になっている。

 乗車率は60%ほどであったが、ボックスシートを確保することができた。銚子まで二時間弱、景色を眺められる。

 千葉を発車すると、すぐに住宅街に入った。マンションが目立つ。東京のベッドタウンとなっている。都賀でモノレールと交差する。千葉都市モノレールは懸垂式モノレールとしては世界最長を誇る路線で、全長15.2キロメートルある。これもまだ乗ったことがない。これに乗る前に湘南モノレールに乗らねばならぬと思う。

 四街道で住宅地が途切れ、田畑が広がるようになった。畑は良いとして、田んぼは稲が倒れている。先月上陸した台風九号の被害である。報道でも千葉県の農業被害が数億円に上ると伝えていたのを思い出す。寡聞にして知らないが、倒れた稲は売れるのだろうか。

 更に田畑の中を行き、9時33分佐倉着。

 佐倉は古くから城下町として栄えた町である。城は残っていないが、跡に国立歴史民俗博物館がある。昔行ったことがあるが、都合でじっくりとは見られなかったのでもう一度行きたいものだ。JRはここで総武本線と成田線が分岐する。

 9時35分、駅を出ると車庫に続く線路などもあり、複雑な配線があった後、三線に集約される。北側の二線が成田線、残りの一線が総武本線である。本線が単線で支線が複線という逆転が起きているが、これは成田空港の為である。最近のJRのシェアが複線を要求される程であるかは知らない。

 丘陵地帯を行くこと十三分、八街に着いた。ここで上り列車と交換した。日向という小駅を過ぎ、10時04分、成東着。

 成東は東金線との分岐駅である。東金線は成東と外房線の大網を結ぶ全長13.8キロの路線だ。影の薄い路線であるが、大回りの時には重宝する。これまでに二度ほど乗った。

 10時05分、成東発車。ここから未乗区間に入る。丘陵地帯を抜けきり、九十九里平野を行くようになる。海岸まで7キロ程あるので海は見えない。沿線には田んぼが広がるが、先と同じように台風被害が見受けられる。途中、八日市場と干潟で上り列車と交換した。

 10時44分、旭着。旭市は千葉県内でトップの農業産出額を誇る街だ。九十九里平野の北端であり、ここから先は再び丘陵地帯に入る。

 猿田で上り列車と交換し、更に行くと松岸に着く。松岸で成田線と合流する。松岸を出ると右手に醤油工場とプラットホームっぽいものが見えた後、11時09分銚子着。

 銚子は漁業の街としてよく名前が挙る。銚子漁港は全国有数の水揚げ高を誇る。漁業以外では醤油が有名だ。起源は江戸時代であり、江戸後期には江戸での醤油の需要の大半を銚子の醤油が占めるようになったという。先にも醤油工場が車窓から見えたが、それ以外にも工場があるようである。

 銚子電鉄の列車まで四十分ほど時間があるので、駅前を歩いてみた。駅前広場からまっすぐに続く通りにはファーストフード店などもあり、栄えている様子だ。電線が無いので空が広く感じられる。しばらく直進していくと利根川に突き当たった。台風のせいか水位は高く水が濁っている。上流には対岸に向かう斜張橋。対岸は茨城県である。

 駅に戻り、ホームに入った。銚子電鉄の乗り場はJRのホームの奥にある。既に緑一色の電車が停まっていた。2000型という、京王2000系という電車を伊予鉄道が購入、運用していたものを譲り受けて走らせている電車である。緑一色の塗装は京王時代の塗装を再現したものである。銚子方の前面は馬面の流線型っぽい形であるのに対し、外川方は貫通扉のある形態である。後者は伊予鉄道時代に中間車を先頭車に改造したもので、京王2000系の後継に当たる5000系の先頭車と似た形態になっている。

 車内には地元客や観光客が乗っているが、座席が埋まるほどでは無い。前の方の車両に座ることにした。11時40分、銚子発車。二分で仲ノ町に着く。車庫が隣接していて、古い機関車やら今日は走らせていない電車が停まっている。日中は一運用のようなので、この電車以外走っていないようだ。車庫の外には醤油工場が広がっている。銚子が醤油の街であることを実感させる光景だ。記憶が曖昧だが、ここだったか二つ先の本銚子だかでランドセルを背負った小学生が乗ってきて、各駅で降りていった。犬吠埼の方に小学校がないのだろうか。

 しばらくは木々や家の立ち並ぶ車窓が続くが、西海鹿島の辺りでちらちらと海が見えるようになる。夏の日差しを浴びる太平洋の青が目に染みる。11時52分着の海鹿島は関東最東端の駅で、その碑が立っている。今回は降りないが、いつかは降りてみたい駅である。

 銚子から十九分で終点外川に着いた。外川はいかにも漁村といった風貌である。駅前から伸びる道を見れば、坂の下に海が広がる。駅舎は開業当時からのものと言われる木造駅舎で、時刻表は黒板である。今時実用品としてはあまり見ることのないものであるから、むしろ新鮮に思える。駅のホームから更に海側に伸びているレールには古い電車が停まっている。廃車だろうか、と思い見てみると、「銚電 昭和ノスタルジー館」というヘッドマーク。古い電車を利用した博物館の様であった。

 12時20分発の折り返し銚子行に乗る。今度は全線乗り通すのではなく、一駅目の犬吠で下車した。犬吠埼への最寄り駅である。犬吠の駅舎はポルトガルの宮殿建築風と言われていて、白を基調とした大きな駅舎は確かに立派である。

 駅から東へ歩いて行くと水族館があり、その先が犬吠埼だ。犬吠埼は関東に於いて最東端に当たることから、初日の出をいち早く拝めるとのことで正月には東京からの観光客が多いと聞く。今日は平日だが、それでもちらほら観光客が見受けられる。

 岬の先端には犬吠埼灯台が建っている。犬吠埼灯台は明治七年に初点灯された、全国でも五つしかない第一等灯台の内の一つである。第一等灯台というのは、第一等レンズと呼ばれる内径1840㎜のレンズを使用している灯台である。レンガ造りであり、同様のものとしては国内二位の高さである。使用されているレンガは日本で初めて生産されたものと言われている。犬吠埼沖は水運の要所であり漁業の基地である銚子から近いにも関わらず、暗礁やら岩礁やらが多いため難所であることから灯台の建設が望まれたという事情がある。

 入場料を払って灯台を登る。九十九段の階段を登りきると、そこには遙か彼方まで続く太平洋が広がっていた。沖合には何隻かの貨物船が見える。北海道へ向かう船か、はたまた北米航路か。海原を悠然と進んでいく姿からは行き先などわからぬ。左に目を向ければ君ヶ浜が広がる。綺麗な砂浜であるが、海流が複雑なため遊泳は禁止だそうである。

 降りて、灯台の足下にある資料展示館を見る。昔使われていたレンズなどが展示されているが、その大きさに驚く。建設時にレンズを見た漁民が驚き、「灯台の光で魚が捕れなくなる」といって建設中止運動をしたという話があるが、確かに知識が無い状態でこれを見たら恐怖も覚えかねないな、という大きさである。

 水族館付属のレストランで海鮮丼を食べる、という面白みの無い選択をした後、犬吠の駅に戻った。駅舎は二階建てで、一階の売店では土産物を売っている。私はそこでぬれ煎餅を買った。銚子電鉄のぬれ煎餅は有名である。元から銚子電鉄はぬれ煎餅を作っていたのだが、有名になったのは2006年のことである。極度の資金不足に陥っていた銚子電鉄がネットでぬれ煎餅の購入を呼びかけたところ爆発的に売れたのがきっかけであった。現在では全国的に認知されている商品である。

 13時36分発の列車に乗る。犬吠から私含めて多くの観光客が乗車したため、車内は一気に混雑した。車窓には午後の日差しを浴びた深緑の葉。13時52分。銚子着。

 今度は駅前に出ずに直接JRに乗り換える。乗る成田線の列車は既に三番線に入線している。一番線には特急「しおさい10号」が停車している。特急だけあって、私の乗る成田線の鈍行よりも十分以上遅く出るのに佐倉には三十分以上早く着く。通る路線が違うというのもあるが、停車駅が多くてもやはり特急だと思う。

 14時05分、銚子発車。時間が時間だけに空いている。ボックス席を確保できた。四分で松岸に着く。ここからまた未乗区間だ。総武本線と分岐すると、右手の利根川に沿って走る。この辺りは香取海や利根川の付け替えでどのように形成された土地なのかいまいちわからない。

利根川の奥には工場群が見える。鹿島臨海工業地域である。掘込み港を基盤としていて、社会科の教科書だとよく名前を見かける。

 沿ってはいるものの堤防などで川面がよく見えないまま、14時49分笹川着。ここで下り列車と交換。工業地域への直線距離ではここが鹿島神宮なんかよりも近そうである。

 14時47分、香取着。鹿島線との接続駅であるが、列車は一つ隣の佐原まで直通しているため、そちらの方が乗換駅としての印象が強いだろう。鹿島線は1970年に開業した香取と鹿島サッカースタジアムを結ぶ路線である。鹿島サッカースタジアムは臨時駅のため、基本的にはその手前の鹿島神宮までしかJRの列車は行かない。比較的新しめの路線であるため、「踏切事故が起きるのは踏切があるからである」を地で行ったように高架が主体の線路で、踏切は一個もない。こんな作り方をしているから国鉄は新規路線の建設が凍結されるのだと言うべきか、安全のためには必要な経費と言うべきか。今回は鹿島線に乗らなかったが、半年後に乗りに来た。

 佐原を過ぎ、田んぼの中を進んでいく。滑河の辺りから成田空港に着陸する旅客機が頭上を通過するようになる。このような車窓を見られる場所は少ないから、なかなか楽しい。左手から高架の路盤が近づいてきて、15時25分成田着。

 成田というと成田山新勝寺を思い浮かべるか、成田空港を思い浮かべるかは人それぞれであろう。鉄道的にはどちらも大事で、JR成田線も京成成田線も元は成田山新勝寺への乗客輸送を元に敷設された鉄道である。江戸時代の寺社仏閣詣での延長線上にあると思う。成田空港へは国鉄が成田新幹線なるものを建設しようとしていたが、通過する自治体の反対などで頓挫した。現在空港支線に使われている路盤は先行して建設された新幹線のものを転用している。スカイライナーが標準軌で160キロ出す様になった今となっては、なんかもう準新幹線だなぁと思う。

 成田駅では成田線の銚子方面と空港方面の他に、我孫子方面に向かう路線も分岐している。使用している車両や直通の観点から見ると、成田線よりも常磐線と結びつきが強く見える路線だ。ずいぶん前に一回乗ったっきりなので、また乗りたい。

 成田エクスプレスの通過待ちで十七分停車した後、成田発車。十分走って総武線と合流した。佐倉からは今朝来た道を走り、16時17分千葉着。千葉からは総武快速線。一気に「遠い地」という感じがしなくなった。

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