第9話 想像の翼


 最近どこかで目にする、説明と解説と背景描写、心理描写を削ぐというweb小説に置ける手法。


 絵もなく動きもしない文字だけの世界で、それらを削いでいくとどうなるのか。


 ない部分を読者の想像力のみに頼るのみとなる。


 これのメリットはまず見やすい事に尽きる。文字離れを憂うトコであるが、しかしてweb小説の横書きは間が狭く読みにくいのは同意せざるを得ない部分である。これが縦読み出来ると言うならば、これはもう漫画でも読んでろと言わざるを得ない。

 まぁ文庫と違って挿絵が無いのはネックだけど。


 で、実際のトコはタテヨムという縦読み変換サイトがあるわけだ。まぁこれを逐一変換するのは面倒かもしれないので、そこは一旦置く。

 実質のトコ多少の改行を増やせば読める人は多いと思うからだ。

 隙間なく埋められた文字の圧迫が強いネックなのだろうと信じて次へ進む。


 さて、この読者の想像力に任せると表現した部分であるが、これこそが最大の問題である。文字は想像を広げ想像を描く為のキーである。これが無い場合、その想像は読んだ読者、一人の人生に於ける限界ある経験からによる想像しか出来ない。世界が限りを見せる事であると考える。

 所詮一人なのだ。


 これが作者と読者の二人、想像を促す描写、想像を導く描写、想像を掻き立て創造する世界、そして読者とが反応し合えば、それはあるいは無限大の可能性を持つと言えはしないだろうか。

 三人よれば文殊の知恵と言う。ならばもう一人、プロであるなら編集者、カクヨムであれば自分を感化し得る他作品。作用し合う事によって一人では辿り着けない世界が其処に生まれはしないだろうか。


 それは例えばIT業界の揶揄で言われる、クライアントが本当に必要だったものの画像みたいなもので、言ってしまえば作者の思い通りの世界は読者は思い描かないと言う事なのだが、しかしてあるいは面白いモノが出来る余地はそこにはあるのだ。


 作者の思い描いたままの世界が読者に伝わらない、これはある種で作者の敗北でもあるが、しかし言っても作者と読者は別物だ。

 赤の他人に自分の考えを正確に伝えられないように、そして理解されないように、文字媒体では正確な伝達は非常に難しいと言わざるを得ないだろう。

 それは文字の限界でもある。

 まぁ思い描いた世界に持ってくる努力は必要だが。


 故にタイトルに絵が書かれる事もあり、挿絵が挟まれる事もある。

 そして小説がある程度の高水準とされるレベルの娯楽である所以でもあろう。いや、教養はそこまでのネックではない。一部のマニアックでもない限り。何せ今はネットが張り巡らされる世界だ。知らないものは調べれば良い。

 故に好奇心さえあれば、と言った所だろうか。


 まぁ何にせよ、しかし同時に可能性だ。


 ファンタジーとしか情報が無い話しで、ドラクエしかやった事が無い読者。しかも調べる事はしない。

 そして脳内に浮かべられるのはドラクエの世界だ。


 しかし其処にドラクエでは決してあり得ない要素を情報として表示したらば、読者が思い描く世界はドラクエでは補完しきれなくなる訳だ。

 そこからだ。

 そこから世界が広がっていくのだ。


 未知のものに創造を広げるのが人間だ。


 その翼を羽ばたかせるのが、物語なのであると信じる。

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