介護士を目指そうと思った経緯
私の名前は北尾有加。
私が産まれて五十代になるまで、時代を区分けするなら、私が十一歳の時まで生きていた母が居た時代、それまでも主に父に寄って機能不全家族に片足つっこんだ状態だったけれど、その後、父一人娘一人で生活した二十歳成人式の日までは完全機能不全家族の時代。その後約ニ年自暴自棄の時代を経て、ショービジネスと言う華やかな時代を約十年近く過ごし、やっと運が向いてきたかに見えた役付きでのミュージカル出演というチャンスをいただき、辿り着いたその仕事は、実は父も役者で厄介なことに。。その事は後に触れるとして、要は父親がまさかのお仕事の邪魔になってしまったのです。。まぁ、お仕事だけでなく、人生の。。と言っても過言ではない。狂った親だったのですから。。
結局私は何やかんや言い訳しながら、積み重ねた仕事を一切捨てて、毒になる親と縁を切り、現パートナーと訳アリカップルを貫き通し、波乱万丈な人生を送ってきました。
{人生なんてこんなもんかなぁ}などと諦めモードでありながら、子供の頃から落ち着いた生活というものに無縁だった私は、とっても落ち着いた穏やかな旦那様と暮らしながらも、パート先などで様々ハプニングを起こし、目の前で起こる出来事に奮闘しながら、気づくと、四十九歳。。
そんな時、縁を切っていた筈の父親が認知症になったと福祉課から知らせを受け、色々と思いは錯綜したものの、やはり親子。。血の繋がりとはそんなものかもしれないと考え、単純に父親の介護に通い、結局はニ年半程で決裂!心療内科にも通う羽目になり、人生総決算、自分の身に一体何が起きてどうなってと悶絶しながら過去に起こったことを文章化しながら心を整えた時、残ったものは、
{私は。。。親を捨てたのだ!}という思い、。。
すなわちネグレクトと同じではないか?。。。
勿論そこまでに至るにはそれ相応の訳というものがあり、その訳を話せば何でそんな親の介護をしようとしたの?と突っ込まれるような訳でもありますが。
しかし、世の中それ相応の年齢になれば親の介護という問題を抱えている人が大勢いる。。私と父はうまくいかない親子。。父は結局他人様の手を借りながら生きるしか無い身。。だったら私が介護職に就けば良いではないか!一種の贖罪のような気持ちが沸き起こる。。
しかし、資格ってどうやって取るのだろう?その間、パートをしない訳にはいかないじゃないか。。。と我が家の経済状況が頭を擡げる。
その頃の父の状況は、デイサービスを週にニ日通い、後は一日おきにヘルパーさんがやってくるのですが、朝食をどうやって食べればいいのか?苦慮しているとケアマネさんから聞いていました。ならば、さしずめ私は他人様の朝食の準備の仕事をしよう。。巡り巡れば父の朝食の為に早朝に入ってくれるヘルパーさんが見つかるかもしれない。。そんな気持ちにとらわれ、無資格でも出来る調理補助の仕事でもするかと求人案内に目を通し、通ったのが高級老人ホームの朝食の調理補助の仕事でした。。
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