古城の魔術師

marvin

汎歴一四三二年

古城

 最後の荷馬車を見送って、セレンはゆっくり踵を返した。

 ここから麓の村までは、稲妻形の坂道が子供の悪戯書きのように延々と続いている。運動不足が祟ったか、わずかに下りた坂でさえ、取って返すのに息が切れた。

 いや、これは心労のせいだ。

 見上げた空に垣間みえた陽は雲に陰り、気付けば眼前に積荷の山があった。故国に見捨てられた魔術師が四人、一年を過ごすための荷だ。

 セレン・ギースベルトはワーデンラントの魔術師だ。亡き師の画策で、現実と寓話の狭間にある古城への派遣を余儀なくされた。妻子と離れて暮らすのは耐え難かったが、一方で、工房の軋轢に身を擦り減らす日々から逃れたことにも安堵している。

 いずれ、一年の辛抱だ。

 積まれた荷の隙間を平たくなって潜り抜けた。その大半はマグナフォルツの荷札が付いている。男も馬も見境なく鞭打つ魔女の持ち物だ。セレンの疲労と溜息は、その荷卸しにも一因があった。

 荷の山を背に立ち尽くす三つの人影を見つけ、セレンは重い足取りで加わった。そこにいるのは、汎テランフロンタの能天気な放蕩魔術師、ブラウンシュタインの小賢しい少年学士、そしてマグナフォルツの剣呑な魔女だ。

 彼らにワーデンラントの厄介者を加えて、四ヶ国から四名の魔術師が集められた。彼らは、子供の絵本に出て来る魔術師に教えを請いに来たのだ。アステリアナ使節団などと云う御大層な名もあるが、要はただの厄介払いだ。

 四方が異なる国境に接した広大な無支配地帯、その北西部をアステリアナ国交域と云う。その名は六〇〇年前に失われた都市に由来している。明確な境界さえない広大な山岳の一帯だ。

 その北西の端より、古い山道を越えた山嶺の深部に、人の世に見捨てられた古城がある。魔術師協会も敢えて目を逸らした、古の魔術師の居城だ。

 もっとも、その謂れがあると云うに過ぎない。そもそも、かの魔術師は実在さえ怪しい。むしろ魔術士協会は、実在しなかった証拠を求めていた。

 だが、アステリアナ使節団は、かの魔術師が蓄えたであろう知識の開示を求めて派遣された。無支配地帯ゆえに、国境を接する四ヶ国の共同事業だ。各国の魔術院が承認し、公的な予算も投入されている。

 壮大な茶番だ。公認魔術師の証左たる協会が古城の存在を無視する以上、その行為は根本から矛盾を孕んでいる。

 だが、目の前の光景は、それを覆そうと喘いでいる。

「凄いな」

 誰かの呟く声に、セレンは小さく頷いた。

 幾筋も滝水の落ちる垂直の岩肌を屏風に、奇妙だが美しい城がそこにあった。

 中央奥の尖塔を中心に、四角い棟が高く低く無秩序に拡がっている。まるで瓶に浮いた塩の結晶のような姿で折り重なっている。外壁は黒い石と白い漆喰。外階段と思しき斜めの石積、一様な硝子窓、鉄枠と格子のあかり取りが、壁面に表情を成している。

 個々には奇妙な様相だが、不思議と全景は周囲に馴染んでいた。

 麓の村で合流して以来、ぎこちないながらも交わすようになった四人の言葉が、ここではぴたりと止んでいた。

 遠くに滝の水音が微かに聞こえている。周囲はただ、草と樹と水の匂いだけがあった。

 四人と古城は、深く広い水堀で分かたれていた。周囲は広く均された広場だが、麓に続く道より他は、起立する断崖に囲われている。眼前の堀には広い石橋の渡しが架けられているものの、手前に鉄鎖の封が張られていた。

「そいつを跨いで、城から誰か呼んで来てよ」

 案の定、痺れを切らしたのはマグナフォルツの魔女、レイズ・バレンシアだった。隣に佇む少年を小突いて、張られた鎖に押し遣った。

「ご自分で行けば良いじゃないですか。僕は待ちます」

 少年は気丈に噛み付いたものの、微かに上擦った声で台無しだった。ブラウンシュタインのサイグラム・アベルは、まだ十六歳になったばかりだ。気圧されるのも無理はない。

「それ、跨いでも入れないぞ。さっき試したからな」

 横から口を挿んだのはディース・フォーベルガだ。彼は汎テランフロンタのサハル自治圏からやって来た。王族の末席にあり、魔術師は血族の道楽に過ぎない。その気楽さからか、四人の中では唯一、この役割を楽しんでいるように見える。

「さっそく抜け駆け?」

 自分のことを棚に上げ、レイズが睨む。

「いま僕に行けって言ったのに」

 サイグラムが零した。

「障壁だ。凄いな。こんな無駄なものをどうやって施術したんだろう」

 気づけば、セレンはふらふらと石橋に擦り寄っていた。鉄鎖を握り締め、障壁の具合を確かめる。ぶつぶつと独り言ちながら、石積みを突いて術符の在り処を探り始めた。

「ヘンな奴だ」

「そうですね」

「セレン。おい、セレン・ギースベルト」

 呆れ顔のディースに幾度か肩を叩かれ、セレンはようやく、彼の視線が促す先の人影に気付いた。いつの間にか、城の正面の大扉が開いており、前庭を渡って近づいて来る。

 怜悧な相貌の美しい女性と、サイグラムと同じか少し歳下に見える頃合いの、溌溂とした少年だ。彼は木と真鍮でできた小ぶりな手押し車を押している。

「ようこそ、皆様」

 会釈した女性が四人を見渡し、冷えた声でそう言った。少年が鎖を外すと、二人は障壁などなかったように皆の前に立った。

 呆然と立ち尽くしていたセレンは、自分の有様に気付いて慌てて膝の土を払った。障壁を調べるのに夢中になって、汚れるのも気付かずにいた。

「私は侍従のフィーア、こちらは使用人のフュンフと申します。アステリアナ使節団の方々に相違ありませんね?」

 セレンが機械仕掛けのように頷く横で、レイズは聞こえよがしに鼻を鳴らした。

「皆様には入城の認証を付けさせて戴きますが、よろしいですか?」

 レイズの仕草などなかったかのように、フィーアは皆に問い、フュンフに目を遣った。

 少年が手押し車から取り上げたのは、指で作った小さな輪ほどの印だった。フュンフはそれを、皆の左の手首に捺して回った。火にくべられていない焼き鏝だ。

 捺された瞬間、セレンは身体を強張らせた。皮膚を焼いたり刺したりするような感覚はなかった。ただ、その動作に慄いただけだ。

 セレンは印を目に寄せて、しげしげと見つめた。呪符を崩したと思しき黒い角印だ。印肉、因泥の類ではない。師に聞いていたものとも違う形だった。

 不意に、城の鐘が鳴った。

 跳び上がったセレンは、驚いたのが自分だけでなかったことに安堵した。

「この橋を渡れば、その認証を持って皆様の一ヶ年は拘束されます」

 フィーアの声は、鐘に負けずよく通った。

「満期を経ずして再びこれを渡れば、皆様は時に取り残される事になるでしょう」

 怜悧な目を微かに伏せる。

「この城のように」

 苛立ったレイズに背を押され、セレンはつんのめるように前に出た。

「よろしいですね?」

 振り返ると、腹立たしげに、そして挑戦的に、レイズはフィーアに顎を逸らせた。やや血の気を失ったサイグラムが頷き、ディースはセレンに肩を竦めて見せた。

「こちらへ」

 フィーアが先を促した。

 深い堀の上に掛かる唯一の石橋を渡り切り、所々に方形の石畳の置かれた広い前庭を横切った。正面には城の外縁がある。

 セレンが渡しを振り返ると、どうやら荷箱の運び入れを任じられたらしいフュンフが、堆く積まれたその前で途方に暮れていた。

 先に行く皆を慌てて追い掛け、セレンは巨大な落し扉の傍にある、硬い木と黒い鉄枠でできた通用門を潜った。

 先は二層ほどの大広間だった。広いが通路は左右にしかない。二階の辺りに扉が並んでいるものの、そこに至る筈の階段がなかった。

 フィーアの先導する道筋は、無駄に上下を繰り返し、一度では憶えきれないほど入り組んでいた。

 部屋や通廊のそこかしこにある飾り鎧は、姿形も身の丈も雑多に過ぎた。極端に腕が太かったり、膝丈ほどしかなかったり、まるで人の姿を戯画化したかのような立像だ。

「迷ったら、フィアノットに案内を命じてください」

 フィーアは、佇む飾り鎧を指してそう言った。皆は、像を見分けて道標とせよと云ったのだと解釈した。

 皆が行き着いたのは、大部屋小部屋を経由して、城の縁をぐるりと巡った最深部だった。恐らくは、城の最奥に見えた絶壁に沿う尖塔だ。

 内部は五層ほどの吹き抜けになっており、四方は天蓋まで延々とモザイクの装飾に埋め尽くされていた。静かに黴た静謐の中に、紙とインクの匂いがした。

 本だ。四人がそれぞれに息を呑む。

 遥か天蓋に至るまで書架が据えられ、隙間なく収まった背表紙が棟内をモザイク文様に装飾していたのだ。

 ディースは好奇に眼を輝かせ、サイグラムはただ驚愕し、レイズはあからさまに辟易した表情を見せた。セレンは魂を抜かれたように、ぽかんと口を開けたまま、しばし呆然と眺めていた。

 見上げれば、階層を区切る細い回廊ごとに可動式の長梯子がある。書架の隙間を抜うように、飾り硝子の明かり取りがあり、遥か天蓋も硝子で空に抜けている。

 斜交いに渡された幾本もの梁からは、一抱えほどの照明が吊るされ、床には足許灯と燭台が立っていた。何れも、薄い紙のセードが掛けられた触媒式の魔術の光だ。

 見渡せば、壁を埋めてまだ余る書物が床に溢れ出し、石筍のように積まれていた。その隙間を埋めるように、卓上灯を置いた机が置かれている。

 広間の中央に、ひときわ広い長机があった。周囲に配置された一〇脚ほどの椅子は、木と革と血の色をしたベルベットでできている。

 その奥の一人掛けは特別製だ。この城の主人の物だと一目で分かった。

 天面は広く、脚は太く、傍らには専用の棚と伝声管と思しき真鍮の樹があった。闇色の木と飴色の革でできた椅子は、人を包み込むような、堕落させるような形をしていた。

「ようこそ、このような辺鄙な城に」

 その椅子を占める男は、低く良く通る声で言った。

 思いの外、若い。セレンと十や十五ほどしか変わらない。

 後ろで束ねた黒と銀の髪、短く刈り込まれた同じ色の髭。老いた皺ではなく、刃物で刻んだような頬の筋。

 物憂げな容貌に精悍な眼が同居している。魔術師と云うよりはむしろ、古参の冒険者のようだ。

「最初に言っておくが、私はフースークその人ではない。この城の管理人、単なる城主のひとりに過ぎない。美姫との逸話や竜を駆る冒険譚が知りたければ、童話でも読むと良い」

 かの魔術師の名を挙げて、城主を自称した男は、書架でできた巨大な空間を見渡した。

「彼がこの中にそんなものを残したかどうかは知らないが」

 硬質な外見に反して、饒舌だ。

「確かに一〇〇〇歳を超えているようには見えないわね」

 レイズが挑むように言い捨てた。この空気の中では、とてもセレンには真似のできない物言いだ。ただ、今のレイズは、動揺した自分を振り払う勢いで詰っているような気もする。

「一三五一年には、ここはもう凍っていなかったそうです。八〇年は開城している筈だ」

 声を潜めるようにして、サイグラムが囁いた。

「その間、城主が変わったのかも知れんだろう。一〇〇〇歳には見えないが、八〇歳にしては酷い若作りじゃないか」

 ディースは、からかうようにサイグラムに指摘した。至極まっとうな意見ではあるが、いくら声を抑えても、皆に聞こえるほど周囲は静かだ。

「お願いだからみんな黙って」

 城主とフィーヤの表情を盗み見て、焦ったセレンが悲鳴を上げた。

「若作りなのは確かだな。かれこれ八〇年は隠居の身ゆえ、近頃の歳相応の格好は知らんのだ」

 城主は気にした風もなく、口許をで笑って鷹揚に応えた。使節団の四人が魔術師の類型かは甚だ疑わしいものの、目前の城主は気質も武人に寄っているようだ。否、武人よりも王だろうか。

 何れにせよ、城主はセレンが勝手に描いていた姿とは懸け離れていた。遥かに地に足の着いた存在だ。

「さて、厭でも今日から一年は、この城と向き合って貰うことになる」

 城主は皆に掛けるよう促した。

 ふと、暗がりから湧き出たかのように、慇懃な物腰の老人が現れた。

 名をアインス、彼は城の侍従長だと名乗った。黒字に金糸の三つ揃えが、肌のように身に馴染んでいる。

 アインスは気配も音もなく、長机の席に着いた四人に茶器を配って行った。

 フィーアによると、この城には城主の他一〇人の使用人がいると云う。だが、僅か一〇人だ。

「お城って聞いて期待したけど、こんな埃臭い所に一年も閉じ込める気?」

 セレンが釘を刺す間もなく、レイズが城主に噛みついた。

 美しく才気に溢れた女性だが、その苛烈で奔放な性格が仇となり、魔女と囁かれた魔術師だ。こと、彼女のいたマグナフォルツ正魔術院は、驕傲の縦社会だ。きっと、周囲には敵しかいなかっただろう。

「余禄はある。君は、相対的に世間より一年若返る特権を得た」

 城主は魔女さえ鼻白むほど悠然としていた。

「いや、一年どころか一生掛かけたって、これだけの本、読み切れやしないだろう」

 ディースが呻いた。彼は本を読んで過ごすことそのものを懸念しているようだ。

「その一生が延びるんですよ」

 先程の仕返しとばかりに、サイグラムが小さな声で指摘した。

 ディースは十二の国家から成る汎テランフロンタの中でも、比較的裕福なサハルの王族だ。民より優位であることが義務付けられた身だ。暮らしに不自由はなくとも、物言いからして息苦しい思いをしただろう。

「ここには私の知らない知識もある。一年あっても読み切れはしない。無理に学ぶ必要はない。強要はしない。君たちの得たものについても、是非は問わない」

 城主が言い放ったのは、使節団の意図を義務として負わないと云う宣言だ。つまり、セレンの師が使節団に掲げた『死蔵された知識の共有』など、勝手にやれと云うことだ。

 セレンの不安は大きくなる一方だった。

「ただ、私の望む問と答えは存在する。それを告げる気はさらさらないが」

 城主はそう言って不敵に笑った。

 彼らの属する四国は、使節団を派遣することで、城に知識の開示を迫った。城にとっては何ら得する所のない要請だ。

 城主の出した条件は、閲覧者を各国の代表一名ずつに限り、さらに閲覧期間を一年と定めること。期間中もその後も、城からは一切の持ち出しを禁ずると云うものだった。

 ただひたすら学んで帰ることだけが許されたのは、学びきれぬと確信していたためだったのかも知れない。

「その、もしも」

 サイグラムがおずおずと城主に問い掛けた。

「もしも、期間が明ける前に、城を出たり、何か持ち出したりしたらどうなりますか?」

 サイグラムは、やや賢しいきらいもあるものの、格式を是とするブラウシュタインを体現した生真面目な少年だ。魔術師としては破格に若い。だが、それだけ優秀だと云うことだ。

 セレンには、この少年が何故、はみ出し者を寄せ集めたこの使節団に加わっているのかが分からない。

「凍る」

 城主の言葉は素っ気なかったが、皆は何気に耳を欹てていた。

「この城のようにな。誰かが解かぬ限り、何十年も何百年も凍り付いたままになる」

 いみじくも、先のサイグラムの言葉の裏返しだ。

「一三五一年には、ここはもう凍っていなかった」

 それ以前は、凍り付いていたのだ。

 城主は奥の壁を指し、掛けられた数字の板を皆に示した。

「ご覧、あれは君たちのための暦だ。この城には時を刻む物がない。ああして日が変わるのを数えるだけだ」

 城主はそう言って静かに笑った。

「ここでは、誰もが時間を知るのを厭うのだ」

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