王都レウノアーネ 2 -こどもとおとなの境界線-
豊穣の女神の加護を受けた大地に、シューちゃんは目を輝かせていた。
「……おいしそぉ」
「え? おいしそう?」
シューちゃんの視線の先である街道沿いの西には、青々とした小麦畑が果てがないかのように広がっている。
時折北西から吹く風に波打つ様は壮観だ。
この景色を見てなにを思えば『おいしそう』という感想が出るのだろうか。
トーガさんの話によると美食家であるはずなのに、と戸惑うばかりだ。
「これからひと月掛けて、徐々に黄金に色づいてゆくんですよ」
「……たのしみ」
ボクの補足にシューちゃんはつぶやき、トーガさんはその様子を見て微笑んだ。
シューちゃんの思考でどうまとまったのかはわからないが、トーガさんは満足そうだった。
親子なのだろうか?
幼い我が子であれば
生まれる前から自我が形成されたボクにとっては、両親や師のそういったあたたかな目はくすぐったいが――彼女はどうなのだろう。
振り返ったシューちゃんの顔は身長差で見えないものの、フードから覗いた口元にはよだれがこぼれていた。
ああ、なるほど。
美食家というより食いしん坊だ。
味の好みはまだわからないが、気は合うかもしれない。
前世は味覚があまり発達しなかったおかげで、食べる楽しみも作る楽しみも得られなかった。
一度だけ、栄養価を計算して作り上げた料理を弟に食べさせたことがある。
ほとんど過ごしたことのない実家の台所で、あれやこれやと悪戦苦闘して持て成した。
とてもとても静かな食事で、平らげた後にこぼした弟の感想は「殺す気か」だった。
栄養価は完璧なはずだと訴えると「肉体の栄養は足りても精神が病む」と言い切られてしまった。
今ならその意味がわかる。
水炊きにブルーベリージャムを入れてはいけない。
今生で一度だけ再現したが、食に対する冒涜だと悟った。
むしろアレを文句も言わずに食べきった彼を尊敬する。
結局その処分をある家族に手伝わせることになり、未だにボクが運んだ食事には鼻を大きくヒクつかせて警戒心を隠さない。
果物を運んだ時でさえそんな反応を示すのだ。
いつかその汚名を完全に返上したいものである。
「噂には聞いていましたが、あちらも壮観ですね」
進む街道の先にそびえ立つ、王都を守る外壁を見てトーガさんが言った。
高さ20メートル、厚さ6メートルにも及ぶそれは、敵意を持つ何ものをも拒む頑強さを持っていた。
門前には宿が群がるように街道沿いに立ち並んで、宿場町を作っている。
「王城は外壁から数えて3層の城壁に囲まれた丘の上に建っていて、背後は崖下の北部地中海
各城壁には
『レウノアーネは空の侵略を許したことはなく、長き歴史においては
吟遊詩人の歌にもなっている有名な話だ。
「ただいま。警備ご苦労様です」
宿場町の入り口に立つ冒険者らしき警備兵に挨拶をすると、口を大きく開けてイノシシとそれを担ぐトーガさんを見比べて頭を上下させていた。
頷いているようにも見え、それを入場の許可としてトーガさんとシューちゃんを先導した。
彼らの仕事は宿場町に侵入を図る害獣や野盗を追い払う、もしくは退治することなので、身元の確かなボクの客人とわかれば阻まれることはない。
「もう少しで城門ですね」
しかし城門は違う。
違うはずなのだが――。
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「ロッタル領の
「縁あって
旅券とは国や町を渡る際の身元を証明するもので、行商人であれば商業組合発行の――冒険者であれば冒険者組合発行の階級章のことを指す。
他にも男爵位以上の貴族が部下を走らせるときに発行する『御用証明』と言った身元を保証するものもある。
旅券を持たない場合は事細かな所持品と入国目的の検閲がされ、時期によっては問答無用の疫病検査が施される。
都市の方針によっては、疫病検査どころか入国お断りの門前払いということもあり得た。
しかし何事にも例外はある。
トーガさんのように領主が身分を保証する場合だ。
場合によっては
その発行領主がヴァスティタ屈指の武闘派実力主義のロッタル侯爵ともなれば、伸びた背筋に冷たいものが伝うのも仕方がないだろう。
ロッタルの旅上身分証明の真偽は、トーガさんの担ぐイノシシが物語ったようだ。
「みんな随分慌てていましたね」
「これのこともあったようですよ?」
悪戯っぽく笑うボクに、トーガさんはイノシシについて話し合っている鎧姿の兵士たちを思い出しているようだった。
ふと、命の恩人との同行の経緯を話していた自分がよみがえる。
少しばかり、本当にちょっぴり、身振り手振りを加えて熱く語り過ぎたかもしれない。
まだ13とはいえ、こちらの13歳は大人びた考えを持つものが多い。
ヒト族は15歳で成人を迎えるし、すぐに社会に揉まれるのが理由だ。
平民ともなればもっと早くから親の仕事に従事するし、三男や四男といった相続権から遠い者は13になる頃には冒険者や貴族家への士官を目指して独り立ちする。
長命種族のエルフやドワーフの成人は16歳という慣習の違いはあるものの、頭の発達に特別な差はない。
だからヒト族のトーガさんから見て、ボクの姿は奇異に映ったかもしれない。
ああ、しまった。
姉にこのことが伝わればまた怒られてしまう。
こちらでの実践経験が13年とはいえ、年下の姉に叱られるのは何とも気恥ずかしく、むず痒い。
……それもいつか笑い話になるのかな?
「ロブさんが……警備主任が解体するのは待って欲しいって言ってました」
「若い警備の一人が急いで駆けて行きましたから、なにかしら確認することがあるんでしょう」
「持ち込むお肉屋さんはいつものところだと伝えてありますし、そちらへ確認に来てくれるそうです」
「おなかが空いていたので助かりますね」
「……くーふく」
「そうですね。お2人を気遣ってくれたんだと思います」
兵士たちは荷車の貸し出しを申し出てくれていたのだが、返しに戻る手間と早く朝食を取りたいことを理由に断っていた。
警備主任は荷車の
トーガさんはそれも含めて断ったように思えた。
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