王都レウノアーネ 1 -豊穣の大地と英雄の国-


 水の王国ヴァスティタは大陸でもっとも豊かな領土を持つ国と周知されていた。


 3つの地中海による盛んな魚貝漁。

 種を蒔けば大きな実りが約束された農耕。

 南の大森林で一年中成る瑞々しい果実。

 肥沃な大地に囲まれて育った家畜による酪農と害獣の狩猟。


 それらすべては建国の際に現れた豊穣の女神の加護だと言われている。

 加えて国内の輸送を強化する街道整備により、王都は『世界の食が集まる場所』と評されるようになった。

 他にもいくつかの要因はあるが、この2つがほとんどの者の共通認識だ。


 そして建国祭が間近に迫ったこの時期は、街道警備を兼ねた兵士や冒険者による害獣の狩猟が盛んになる。

 ボクが王都レウノアーネのすぐ南にある、中央地中海スピルパールでの漁猟や兎猟が黙認される理由でもあった。

 つまりそんな環境下であの巨大なイノシシと遭遇するというのはありえない出来事だった。


 改めて隣りのイノシシに目をやった。

 街道で小さく上下するそれは、まるで空気を詰めた皮袋のように担がれている。

 シューと紹介されたフードを深く被った幼子も、それを誇るふうでもなく振舞い先頭を歩いていた。

 これくらいの子供であれば、この驚愕必至な剛力を持つ同行者の自慢くらいはするだろう。

 それをしないということは2人にとって、よく目にする出来事ということで――日常なのだ。

 先ほどの予測の通りに。


 トーガ・ヴェルフラトという名は先ほど初めて知ったが、きっと高名な武道家ぶどうかなのだろう。

 知らなかったのに高名だろうというのはなんとも変な言いまわしだが、その筋その道の知る人ぞ知る実力者というのは得てしてそう言うものだ。

 前世で例えれば、スポーツにしても格闘技にしても色々なジャンルはあるし、世界チャンピョンの名前は知っていても、2位や3位を知らないと答える人は多い。

 同門の兄弟子や弟弟子まで把握しているともなれば一部の有識者マニアくらいだ。

 そんな知る人ぞ知る人物であろうトーガさんは、困惑するボクの金策理由を聞きいて満足そうに何度もうなずいていた。


「それほど感心されるようなことでしょうか?」

「立派なこころざしです」

「自国の祭りの準備を手伝い、その報酬で祭りを楽しもうということがですか?」

「自国の品揃えを支え、得た利益を楽しみに費やす。積極的に経済を回す民は国にとって宝です」

「当たり前のことでは?」

「当たり前のことは、得てして難しい」


 トーガさんは心中をわかりやすく伝えるように眉根を寄せて見せた。


「そんなあなたにひとつ、依頼をしても構いませんか?」

、出来ることなら」

、依頼です」


 いつもの癖でつい警戒を示してしまったが、彼は察したらしく楽しげに答えた。

 それくらいで丁度いいと言われているようだった。


「王都の評判の良い飲食店おみせを教えて欲しいのです」


 トーガさんは街道の真ん中で少し前を歩くシューちゃんをチラリと見て言う。


「美味しいものに目がなくてね」


 どうやら彼女は美食家らしい。


「その報酬に、このイノシシ一頭というのはいかがですか?」

「命を救って頂いたお礼もまだなのに、受け取れません」

は我々にとっても脅威だったのですから、貸し借りはありません。

 むしろ危険を知らせてくださったことで、我々に借りがあると言えるでしょう」


 もはや言葉遊びだ。

 命の危機を救った相手に謝礼を支払うのは義務と言える。

 警備に雇われた兵士や冒険者であれば謝辞だけでも構わないが、大抵はなにかしらのものを贈る。

 安全が無料タダでないことを水の王国民は理解しているからだ。

 もしもここで謝礼を支払わなければ、他の水の王国民が襲われたときの障害となる。


『水の王国の民は、危機から救い出された恩は必ず返す』


 こうした行動の積み重ねが噂となり、周知となり、認識に至って異国の冒険者や旅人の救いの手を得やすい環境を作る。

 もちろん逆も然りだ。

 襲い来る野盗は徹底的に追い回す。

 兵士も動くし、商業組合しょうぎょうギルドから冒険者組合ぼうけんしゃギルドへ討伐依頼が積極的に出される。

 ちょっとした商会であれば、私兵団による報復も少なくない。

 奪われた私財の回収ついでに、野盗の抱え込んだ金品を頂いてやろうと考える逞しい商人が多いだからだ。


 そんな水の王国の民を相手に謝礼も受け取らず、仕事を斡旋するとはどういう意図があるのだろう。

 しかも報酬は巨大なイノシシの肉を丸々だという。

 家畜ブタの成体1頭は、ヴァスティタ銅貨にして500枚――小銀貨にして62枚以上の大金だ。

 ヴァスティタ銅貨は日本の貨幣価値にして80円。

 つまり少なくとも4万円が支払われるわけだ。

 それも『おいしいレストランへ案内する』だけで、本来お礼をされるべき側が4万円を支払うのだ。


「無茶苦茶です」


 目標にしていた祭りの軍資金をはるかに上回る。

 お金は欲しい。

 すごく欲しい。

 でもこちらにとって都合がよすぎる話だ。


 かどわかしを疑っているわけではない。

 やろうと思えばイノシシを倒したときに出来た。

 あの時は中央地中海スピルパールに船はなく、街道にも他人の目はなかった。

 詐欺の可能性も少ない。

 少し話した程度でも感じ取れる知識教養の心得に、大イノシシを一撃で仕留められる実力を持っている。

 実入りのいい仕事など冒険者組合ギルドの掲示板にいくらでも張りつけられているし、彼からすればどれも容易いものだろう。

 あっという間に名声を得て、貴族や豪商からの割高な指名依頼もバンバン入るのは間違いない。

 上級冒険者は下手な商人などより資産を持っているというのは有名な話だし、彼の身なりを考えればそれに近いなんらかの実力者だ。

 すでに汚名を着ているなら話は違ってくるが、それなら王都城門へ向かう街道は使わない。

 なにより水の王国ヴァスティタで、エルフィンを相手に詐欺を働くとどうなるかくらい知っているだろう。

 もしも――もしもを知っていて、師や祖父と繋がるためであれば、命の恩人であることを笠に着ればいいだけだ。

 だから犯罪者の疑いは持っていない。


 ではなぜこんなにも拒否するのか。

 納得がいかないからだ。

 仕事にはそれ相応の対価でなければならない。

 対価を少し上回るなら交渉による特別手当ボーナスだ。

 おススメのレストランへの案内の報酬が小銭ならわかる。

 たとえば、銅貨5枚くらいなら笑顔で受け取れた。

 情報の大事さは理解しているし、の常識では食事が最大の娯楽とも言える。

 多くても小銀貨1枚までなら「太っ腹ですね!」と懐にしまえただろう。

 ところがその62倍の報酬ともなれば、誰だって眉をひそめるというものだ。

 しかも性質タチの悪いことにそれを申し出た本人は、悪意も企みもなくの感覚で話をしているのだ。

 ボクにはこれを受け取ることが、真面目に働いている人への冒涜に思えた。



 考えれば考えるほど眉はつり上がり、顔は反対にうつむいてしまう。

 命の恩人にする態度ではないと気付いたころには手遅れだった。

 しかし――。


「私は英雄譚の研究をしていましてね」

「……英雄譚の?」


 心惹かれる話題に顔が上がった。


「建国千年祭という節目に、歴史に深く関係する英雄の話を聞いて回りたいのです」


 英雄譚の研究――実に興味深い話だ。

 水の王国ヴァスティタは、英雄と切っても切れない関係にある。

 建国には大陸で知らぬ者はいない大英雄が関わっているし、国家存亡の危機を救う英雄譚も有名だ。

 英雄の国とも呼ばれる地の1000年祭で、英雄の話を聞いて回る。

 王都レウノアーネ民が自慢げに語る姿が目に浮かんだ。

 なんともな研究だった。


「それなりの期間滞在する予定ですので、その間私たちが飽きないような評判の店やお薦めの料理を教えて貰いたいのです」


 早合点だった?

 長期間の依頼であったのなら、それほど不自然な額ではない。

 レウノアーネ平民の平均日当はおよそ小銀貨10枚。

 半日付きっきりで1週間ならば、ちょっと割りのいい仕事で収まる内容と言える。

 彼の話しぶりだと評判の店の案内だけのようだし、3倍の日数でも魅力的な内容だった。

 もっと言うのなら、案内人ガイドの経験が積めて報酬が出るだけでも交渉する価値は十二分にある。

 先ほどの渋面がウソのように晴れ渡り、口元がゆるむ。


 治安維持の関係で王都に案内板はなく、地図も売られていない。

 そのため王都で案内人ガイドは人気の仕事の1つだった。

 以前から観光事業に参加してみたいと考えていたし、いい機会かもしれない。

 お客さんから報酬をもらい、店からは「いつもありがとよ」という言葉とわずかな心付けチップをもらう。

 理想的な日常だ。

 それに、案内する店には困らない。

 誰が言ったか知らないが、


『レウノアーネのレストランにハズレなし』


 大陸の有名な格言だ。

 王都レウノアーネの飲食業はライバルが多く、屋台でなく店舗を構えられるところともなればどこも味と接客は保証出来る。

 案内客の希望と趣味を的確に捉えて、良好なコミュニケーションを取れれば成り立つだろう。

 その練習が出来るのであれば願ってもない話だ。


 しかもトーガさんは英雄譚の研究者で、王都には英雄譚に関係する娯楽や名所が多くある。

 英雄譚の聖地回遊ツアーなんてのもおもしろいかもしれない。

 なにを隠そうボクは、英雄譚が大好きなのだ。


「期間未定の報酬としては少ないくらいでしょう?」


 猪肉シシにくだけでもかなりの額になるが、期間未定というのは確かに悩む理由ネックだ。

 前向きに考えるなら、長引くほど案内の練習が出来るということ。

 しかし――と、頭をもうひと捻りする。

 不安要素ネガティブは経験で糧に変えてしまえるが、時間は誰にでも等しく有限だ。

 ボクには、毎日決まった時間に行くべきところがあった。


「一日中お付き合いするのでしょうか?」

「昼食か夕食のどちらか都合のいい時間帯で構いませんし、毎日は心に重く感じることでしょう。

 三日に一度でどうですか?」


 やはり店の案内だけのようだ。

 実に理想的で納得のいく依頼と報酬内容である。

 師には悪いが、ボクには才能がないという自覚があった。

 だからこそ自らを養う収入を考えねばならず、漁猟や狩猟に積極的だったのにもそれが関係していた。

 狩猟の腕を上げてあわよくば冒険者になって世界を旅してまわりたいが、世間はエルフに厳しい。

 だからそんな期待出来ない未来は置いておいて、現実的に冬を考えると狩猟以外の稼ぐ手段を確立したかった。

 これはそれを掴むチャンスだ。

 決意を笑顔に変えて、トーガさんへ頷いて見せた。


「わかりました」

「とりあえず王都に到着したら、朝食を取るのにお薦めの店をお願いします。もうおなかがペコペコでして」


 こちらの決意を知ってか知らずかトーガさんは弱っているふうにおどけたが、大イノシシを担いでいるので全くそうは見えなかった。

 視覚的な話で言えば、白目を剥いた大イノシシに「コンニチハ」と会釈されたのでちょっと怖かった。


「手持ちのヴァスティタ貨幣がそろそろ心許こころもとないので、その後に両替商へ案内してくださると助かります」

「レウノアーネは豊穣の女神の大神殿が貨幣の両替も行っていますから、そちらへ案内します」

「ほう。両替商を探さなくていいのは助かりますね」


 どの国のどの街にも、口八丁手八丁でぼったくろうとする個人両替商は多い。

 ヴァスティタ王国領で扱う貨幣は他国に比べて価値が低く、銅貨に至っては半分ほどだ。

 詐欺師にとっては狙い目の貨幣と言える。


 しかしこの貨幣価値の差にも理由はあった。

 水の王国は豊穣の女神の加護を受けて大地は肥え、作物に恵まれている。

 自然と物価は安くなり、『屋台広場』なるものには数えきれない屋台がひしめいている。

 下級貨幣である銅貨が安いのは、彼ら屋台商人やその客にとっても都合がよかった。

 世界の食が集まる国とも呼ばれるのは、こうした下地あるのだ。



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