出会い 2 -もりの妖精と弱肉強食 2-



 木陰にまとめておいた荷物を開き、水筒を手に一口ゆすいで吐き出した。


「はぁ……生き返る」


 頭と一緒に上半身を振るうと、遠心力に負けた金色の髪が飛沫を上げて肌から離れてはくっつくを繰り返す。

 若干のめまいを覚えつつも、出来るだけ海水を弾いてから水筒の中身を頭からかぶった。

 体温を取り戻し始めた白い肌に常温の水が染みる。

 エルフらしい薄い肉付きで歳相応の未成熟な身体は、節約しながら洗い流せば水筒の容量でも軽い水浴びとしては充分だ。

 そしてまた身体を振るってから、タオルで拭き取ってゆく。

 手間はかかるが、早朝とはいえ潮まみれで夏の日差しを受けるのは避けたかった。

 エルフは肌の性質上、日焼けせずに赤く腫れてしまうからだ。


 周囲を確認してから荷造り皮パッケージレザーを引っ被り、着替え始める。

 夏の王都では一般的なぴったり目のキャミソールとペチコートを見につけて、淡いエメラルドグリーンのサリーをまとった。

 ほんの少しベタつくのを感じる。

 ざっと潮を流したとはいえ水着の上からだ。

 帰ってから改めて頭と体を洗い流すのは確実だった。


 しかし、と笑みが浮かぶ。

 それに見合う以上の大金星を得た。

 オオタロウは旬を過ぎた老成魚であるため、とても不味い。

 世界の食が集まるとも言われる王都レウノアーネでは、どこの店も欲しがらない。

 ところが、ヴァスティタ建国祭が間近に迫る場合は話が変わってくる。

 大陸の様々な人が集まる建国祭は、飲食店にとっての戦争だ。

 観光客という一見さんが増加する環境では、より多くの客を集める武器が必要となる。


 長く生きた、希少で、不味い老成魚。


 普段は誰もが見向きしないそれが縁起物へと生まれ変わり、燻製くんせいの大看板として引く手数多あまたの存在になる。

 今年は1000年の節目でもあるので、特に高値で取引きされるだろうと踏んでいた。


「この一匹で目標額に届くかも」


 そうつぶやくと、してやったりという悪戯な笑みでいっぱいになる。

 毎年、建国祭の前にはお手伝いや狩猟などでお小遣いを稼いでいた。

 祭りでの買い食いはもちろんのこと、他の都市からの出張店での買い物も理由なのは間違いない。

 ただ、祭りの商品となる食材の卸しは『自分も祭りを盛り上げている』という妙な高揚感を得る行為でもあった。

『目標を持って生きる』というのは、こんな当たり前の出来事にも喜びをもたらすのだと改めて知った。

 だからボクは決めたのだ。


 祭りは準備も楽しむ。


 これがお小遣いを稼ぐ一番の理由だった。

 そして今回の獲物は、飲食店にとっては喉から手が出るほど欲しいであろう大看板だ。

 今までの狩猟経験からは飛びぬけて大きな収入になるのは間違いなく、達成感と報酬の使い道という贅沢な悩みは、突然踊り始めてもおかしくないほどの喜びを沸き上がらせる。

 着替えに引っ被っていた荷造り皮パッケージレザーを取り去って、今日の幸運に目を向ける。


「え?」


 大戦果であるオオタロウは、見たこともない大きさのイノシシによって無残な姿にされていた。

 一瞬クマかと勘違いしそうなほどで、肩丈は大人の男よりも明らかに高い。

 牙は今にも天を貫かんばかりに立派で四肢は太く、ゴワゴワの毛並みはタワシに似ていた。

 予想だにしない出来事に、呆気に取られた。

 周囲の安全を確認してから荷造り皮パッケージレザーを被って着替えたら、クマと見紛う大イノシシが獲ったばかりの大魚を横取りしていたのだから当然だ。


「看……板……」


 本来なるべきオオタロウの輝かしい未来は失われ、祭りに臨むための軍資金はまぼろしとなってイノシシの腹に収まろうとしていた。

 そしてイノシシはこちらの声に振り返り、荒い鼻息をあげて目を細めた。

 次の獲物はお前だと言わんばかりの姿に我に返り、慌てて荷物をそのままに木に登った。




■□■□■□■□■□■□■□



 大イノシシの視線はこちらを追って鼻先が上を向いている。

 非常にまずい状況だった。

 周りには飛び移れるような木々はない。

 しかも避難にと登った木はそれなりの高さはあるが、細く頼りない。

 それに比べて周囲に敵が居ないかを確かめるように一歩、また一歩と迫るイノシシは巨大だった。

 木の上から見るとよくわかるが、全長は3メートル近くありそうだ。

 体重など想像もつかない。

 そんな雑食動物が自分の登りすがる木に体当たりをしたら――。

 背筋の寒さに身を縮め、それ以上の想像をやめた。


『事故や事件なんかでもっと短く、突然に亡くなることだってあるんだから――』


 不意によみがえる、あのとき声に出来なかった言葉に頬が引きつる。

 まさに今それが現実になろうとしていた。

 今度は14にも満たないこの年で人生を詰むことになろうと誰が思おうか。


 品種改良された家畜のブタでさえ、油断すれば人の指を食い千切る。

 肉を喜んで食べる雑食動物だ。

 野生の――それもクマと見紛みまがう大イノシシ。

 隙をついて逃げることが出来るだろうか?


 森林に辿りつけば森妖精の隣人トレントたちに助けを求められるが、走って逃げ切れるような距離にはない。

 個体差はあれどイノシシは泳げる。

 地中海に飛び込んだとして逃げ切れる保証はない。

 しかもしばらく浅瀬が続く砂浜ではすぐに追いつかれるだろう。

 逃れる術を考えれば考えるほど、絶望的な状況だった。


 ふと目を落すと、大イノシシはにボクの荷物を漁っている。

 最悪だ。

 あそこには先ほどまで身に付けていた水着はもちろん、小さい頃からお小遣いなどで購入した馴染み深い道具がたくさん詰まっている。

 水筒は砕け、重宝していた荷造り皮パッケージレザーは穴だらけでボロボロだ。

 父から貰った水晶のお守りをくくりつけたブラシは見る影もない。

 中身の目ぼしい物を壊し尽くした大イノシシは、最後の仕上げとばかりに荷物を振りまわした。

 あまりの勢いで振りまわしたからか、中身が散乱するに留まらずトポントポンと軽快な音を立てて地中海に降り注いだ。

 朝日を浴びてキラキラと輝くそれらは、ここ数日コツコツ稼いできたお小遣いだった。

 財布ごと地中海に落ちたなら回収は簡単だった。

 銅貨と小銀貨が散乱しながら飛び込んで行ったのだ。

 おだやかとはいえ波のある地中海で、40枚近い小さな硬貨が砂底すなぞこに埋もれては見つからない。


「ああ……うそ……」


 木の上で届くはずのない硬貨たちに手を伸ばしてから、崩れ落ちた。

 憎き犯行主は、その木の根元で荷袋を端切はぎれに変えることに夢中だ。

 大イノシシの周りには大事に使ってきた小道具の欠片が転がり、先ほどまで使っていた銛は柄のみならず金属部分がくしゃくしゃに噛み潰されている。

 どれも再利用は難しい状態だった。

 エルフにして魔法も精霊の力を借りることも出来ない自分では、その様子をただただ見つめることしか出来なかった。

 下手に刺激してまた狙いを定められたら、生きて帰ることも出来ないだろう。

 固唾をのんで身を小さくし、大イノシシが飽きて去るのを祈ることしか出来なかった。



 ふと、大イノシシが顔を上げた。

 左右へ頭を振り、警戒を感じさせる動作だった。

 自分ではないなにかに意識が向くのなら、森へ逃げ込むチャンスだ。


 大イノシシの視線を追って目を向けると外套がいとうをまとった2つの影が街道を歩いていた。

 1つは大人の男性だろうか?

 しかしもう1つは、自分よりずっと幼い子供だった。


 大イノシシが、身体をゆっくりと街道の2人へと向けている。

 前足は地面が踏み出すに足る強度かを確かめていた。

 自分から意識が完全に逸れ、逃げるチャンスがやってきたと考える前に叫んでいた。


「逃げて!」


 大イノシシはその声に口火を切って走り出した。



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