第一章 千年王国の祭典
出会い 1 -もりの妖精と弱肉強食 1-
東の水平線のすぐ上で、
辺りはまだ暗く、広大な地中海のほとんどはまだ夜闇に溶けるようだった。
水底の砂は白く、時間の経過とともにクリアブルーの世界が明らかとなってゆく。
ここは大陸に3つある内の1つ、中央地中海
はるか南東の海底で外海と繋がった、潮流おだやかな海洋生物の楽園だ。
海獣や海竜の入り込めないこの場所は、硬く厚い岩肌によって囲まれて海藻も豊か。
そんな中で
狙いはイワシよりも大きく需要のあるものだ。
銛を持たない左手は進路を決める舵にして、足は推進力を得るために水を蹴る。
空を飛ぶかのように海中をかき分ける姿を見て、一部の漁師はボクを『人魚姫』と呼んだ。
耳の尖った
正直少し恥ずかしい。
姉には「銛の妖精の間違いでしょ」などとイヤミを言われる始末だ。
「
海底を悠然と泳ぐそれを見て、笑みと共に声にならない泡が口から漏れた。
狙っていた獲物ではあるが、随分と育ち過ぎている。
老成魚にまで到達しているので、運ぶには大きすぎるし、味は数段落ちる。
長生きしすぎたスズキ――オオタロウだ。
幼子とさほど変わらない大きさで、鋭い背ビレを誇らしげにする様は
体には傷一つなく、時折ウロコが黄金に輝いて見えた。
恵まれた環境で育ち切ったのだろう。
一度息継ぎに離れ、深呼吸を数度繰り返した。
視線を落とせば、水面の向こうで獲物がのんきに泳いでいる。
危険らしい危険を知らずに育った老成魚という確信は、舌舐めずりをさせた。
「今日は大当たりかも」
海藻など余計なものが付いていないか銛先を確認すると、一度大きく息を吸って体中に酸素を送る。
そして小さく吸い直し、ちゃぷりと小さな音を残して漁猟の場へと潜った。
海中に広がる白い砂漠に一匹の獲物。
銛を片手に迫る。
静かに。静かに。
潮流に逆らい過ぎず。
自分を無害な海藻にイメージしながら、獲物へと影を落とさないように近付いた。
間合いに入っても焦ってはいけない。
左手に続き、両足が砂地についた。
まだだ。
砂を巻き上げないよう膝を少しだけ曲げて、足の指が海底を掴む。
獲物は手を伸ばせば届く距離。
銛を構えれば、条件は整った。
チャンスは来たのだ。
左手の支えを抜き、砂を蹴って右腕を突き出した。
ドスっという鈍い音と同時に、獲物のエラの辺りに銛が突き刺さる。
致命傷だ。
とはいえ死ぬまで抵抗を見せるので気は抜けない。
しっかりと両手で銛の柄を握り、抜けないよう注意を払う。
何が起きたのかわからない獲物は一瞬の硬直の後、その大きな体を何度もたわませて、やがて力尽き、動かなくなった。
■□■□■□■□■□■□■□
先端に獲物を飾り付けた銛は重く、波打ち際に運ぶので精いっぱいだった。
オオタロウはヒレと同じくエラも鋭い。
不用意に触ると指がザックリ切れて血まみれだ。
かといって突き刺した銛を持ち手にするには大物すぎた。
18キログラムというところだろうか。
昔の自分の体重は忘れたけれど、今の体の半分近い重さだ。
陸上で運ぶにはそれ相応の道具が必要だった。
さすがに荷車などの大道具は用意していないが
王都周辺の宿場町にまで辿りつけば、顔見知りに預かってもらって荷車を借りてくれば解決だ。
食べるのが目的ではないから少々扱いが悪くても価値は変わらない。
波打ち際に銛を突き刺したままの獲物を置いて、ひとつ伸びをする。
お日様が昇って空も辺りも随分と明るくなっていた。
海中の浮遊感から抜け出した体は重く、若干のけだるさを覚える。
体力で言えばまだまだあり余っているが、夏とはいえ日の昇りきらない水の中で過ごしたので体が冷えた。
それに口の中が塩辛くて、肌に張り付く髪の毛や水着が気持ち悪い。
だが、それもうれしい。
充実した一日が始まったのだと口元がゆるんでしまう。
あの頃を――病室で本を読んで過ごす毎日が苦痛だったかと言えば答えに困るけど、自分の意思で外を自由に歩いて回れるのはちょっとした快感だ。
以前は施設内が精々で、弟を伴っての外出はいつもわくわくした。
今の自分の置かれた状況がどういうものかは正直ピンときていない。
知識は本で得たり話を聞いたものばかりで現実味はないけれど、宗教の本に出てきた『輪廻転生』というものなのだと思う。
イメージでは地球のどこかのなにかに生まれ変わるものだったが、ここは街並みも価値観も随分と違った。
それに輪廻転生は魂の修行だかで、記憶はリセットされるものだったはずだ。
前世の記憶を持つ人が居るというのは都市伝説だったかな?
最初は戸惑った。
家族との別れを終え、視界が暗転してしばらく。
光を感じることが出来るようになったかと思えば、よく見えなかった。
焦りに押されて声を出せば言葉にならず、恥も外聞もなく泣きじゃくってしまった。
しかしその泣き声を聞いた周りから安堵の声がこぼれ始め、違和感を覚えた。
日本語ではなかったのだ。
それも聞き覚えのない言葉だった。
異国の文化に興味を持ったとき、海外との交流の多い父と母はよろこんで教えてくれた。
おかげで日常会話なら7カ国、少し専門的なものになると3カ国ながら話せた。
そのどれとも違う言葉だった。
戸惑いに泣くことも忘れていると、大切なものを扱うように抱えられた。
そしてあたたかな腕に包まれてようやく見ることが出来た最初の人物は、耳がやたらと長くて大きかった。
嫌々そうに朗読する弟の見せるフィクションが、走馬灯となったのだと。
いくら短命だったからと長命なエルフの子として生まれる夢を見るなんて、自分の単純さにおかしくなった。
けれどもその走馬灯は
いつからだったか、自分は生まれ変わったのかもしれないと考えられるようになり、次第に新たな家族と環境を受け入れるようになっていった。
さすがに13年も過ごせば当然と言えば当然か。
私は、水の王国ヴァスティタの王都レウノアーネで過ごすエルフの女の子だ。
どこかお芝居をしている感は残るけれど、それも仕方がない。
前世の20年の経験が子供を演じるのに照れを生む。
こんなボクをみたら、彼はきっと笑うだろう。
いや、喜んでくれるのかな。
どうやらおとぎ話や
「実のない長生きはするなよ」っていうイヤミとセットでね。
理想では彼の子供か孫あたりに生まれ変わって、二十歳にお酒を酌み交わしたかったんだけどな。
それで言ってやるのだ。
「今度はボクがキミを看取る番だ。でも長生きはしてくれよ」ってね。
きっと驚きにひっくり返る姿が見られただろう。
でも、どうやらその夢は叶いそうにない。
ならばもうひとつの方だ。
今生を楽しんで楽しんで楽しみまくって、いつかあの世で再会を果たしたときに笑って聞かせられるエピソードをいっぱい経験する。
前は聞いてばかりだったから言ってやるのだ。
「どうだい? ボクの物語の方がおもしろいだろう?」と。
うん、めんどくさそうに眉を寄せる顔が見られるはずだ。
悪くない。
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