第1部 厄災の始まり12

 無防備な寝顔を確認し、聖は魔青に一つ指示を出す。


 魔青はこくんと頷き、姿を変えた。それを見届けて聖は部屋をあとにした。

「まだ懲りないのか、あの男は。全くいい度胸だね。今回ばかりは少しおいたが過ぎる」

 部屋を出るなり聖が呟く。

「サファイ、四条院に連絡を。黒龍を借り受けよう。来週から忙しくなる」

 サファイが了承して消える。それを見届けて、聖は自室に戻る。そして一つの呪術を唱え始める。そこに先程までの聖の姿はない。いるのは長い銀の髪と薄紅色の瞳をした、違う人物。

「そろそろ、私も本気でいこうかな」

 だが、声は一緒だ。そして、すぅっと薄紅色の瞳を細め、冷たく笑う。その目は全てのものを凍らせるかのようだった。




 夏姫が起きた時、もう朝になっていた。足が痛いとはいえ、ここまで自分は図太かったのかと思ってしまう。

 昨日あれ程痛かった足が痛くなかった。昔漆でかぶれた時は、数週間かぶれがひかなくて、苦労した記憶があったのでなおさらだ。

「マスタ、お・は・よ♪」

 そう言って魔青が夏姫に抱きついてきた。

「……おはよう。とりあえず着替えるから離れて」

「おっきいマスタに起きたって伝えてくる」

 パタパタと軽い足取りで、魔青が部屋から出て行く。着替えて廊下に出ると、聖も部屋から魔青と一緒に出てくるところだった。

「おはよう。その顔色だとゆっくり休めたようだね」

 夏姫の顔色を見て聖が微笑みながら言う。

「おはよう。あたしもびっくりだ」

「何が?」

「足が痛かったとはいえ、昼過ぎから次の日の朝までぐっすり寝てる図太さに驚いてる」

「あぁ、それは睡眠香のおかげだね。ゆっくり休まないと、回復し辛いからね。特に呪術でやられた場合は。それより、足の方は大丈夫か?」

「……おかげ様で」

 そして、ふと昨日の会話を思い出す。

「靴の中に棘を入れた人、知ってる?」

「……なぜ?」

「もしかしたら、って思っただけ」

「その話の前にご飯を食べよう。サファイが準備しているはずだ。明日からは交代制にするからそのつもりでね。食べ終わってからもう一度足を見よう。来客があるから、急いでくれ」

 そう言って、さり気なく夏姫の腰に手を回す。


「腰のあたりは、予想よりも細いね」

 夏姫が思わず殴りかかり、聖の左頬が赤く腫れた。



 客は足の様子を見ている時に来た。

「よう、昨日ぶり」

 そう言った人物は昨日会ったばかりの男だった。既に夏姫は名前を忘れたが。

「昨日来てもらったばかりで申し訳ないが、一ヶ月こちらにいてもらう」

 唐突に聖が男に頼む。するとわざとらしく男が笑い出す。

「なんだってまた」

「私に対して喧嘩を吹っかけてきた馬鹿がいるのでね」

「お前さんに喧嘩吹っかけてくるとはいい度胸だ。嬢ちゃん守りながらはきつい相手か?」

「いや、私を怒らせるのが上手くてね。困ったものだ」

「なるほど。もしかして」

「あぁ。ご丁寧に呪術を使ってきた」

 それを聞き、黒龍は夏姫に視線を移してきた。


「昨日の足の怪我はそのせいか」

「そういう事だ」

「難儀だったな。嬢ちゃんも」

「昨日顔は見ただろうが、一応再度紹介しておくよ。黒龍だ。私を黒龍が『白銀の旦那』と呼ぶように、黒龍という名前自体が通り名だと思ってもらっていい」

「そんな事、どうでもいいんだけどさ。やっぱり、知ってるんでしょ?」

 聖を睨みつけて言う。口ぶりから判断したのだ。

「知らない、といえば嘘にはなるね」

 遠まわしの肯定をする聖に、夏姫が詰め寄っていく。

「俺も知りたいね。ただ、手伝ってくれじゃ都合がよすぎる」

「一応、私に魔術の基礎を教えてくれたヒトだよ」


 自称サンジェルマンというらしい。

「自称って、おい。サンジェルマンという名に嘘がなければ不死伝説のある人物と同名じゃないか」

 呆れ果てて黒龍が呟く。

「本当に自称だ。あれにそこまでの能力はない。強いて言うなら齢三百は一応超えたかな?私の記憶に間違いがなければ」

「三百って、普通生きられないでしょ」

 当然のように夏姫が言う。ヒトであれば生きられる寿命ではない。

「錬金術とその他もろもろで頑張っているね。永遠の命が欲しいのだそうだ」

「馬鹿じゃない?」

 夏姫が歯に衣着せぬ言い方に、黒龍と聖は苦笑していた。

「嬢ちゃんは興味ないのか?」


「興味ない。永遠なんて世の中無い」

 黒龍の問いに夏姫が即答する。

「悟り、ですかい」

「……悟りじゃないよ」

 すいっと俯く。

「その辺りの議論はそのうちでいいだろう」

 とりあえず聖が必要事項を伝える。

「黒龍には、夏姫と一緒に店に出てもらえないだろうか。私には他の仕事もある。そちらを優先にしなければならないのでね。こちらにばかり、かかりきりになれない。一応結界は張ってあるが、この場所も知れているから、奴らが来た時に対応をお願いしたい」

「りょーかい」

 だるそうに黒龍が了承する。

「夏姫、これから君には魔術の基礎を教える。明日からは午前中はそのために空けておくように。出かける時は私か、もしくは黒龍が必ず一緒に付いて行くようにする。いいね?」

 すでに命令形だ。しかも出かける時は昨日の服装にするようにとまで言う。

「拒否権、なさそうだね」

 顔を上げて夏姫が答え、それに対して聖は当たり前のように頷く。

「もちろんだ。それから、誰かと連絡を取る時は、私の前で許可を取ってから。電話がなっても出ないように。あとからかけ直すこと。空間が繋がってしまうからね」

「外でも?」

「そうだね。あの男は楽しい性格をしているからね」

 昨日、外で十子の電話を取ってしまったが、あれは大丈夫だったのだろうか。ただ、聖が側にいたし、聖も電話で会話をしている。

「すんでしまった事だが、電話が来た時近くにあの男の気配はなかった。気が付いていないことを祈るしかない」


 それは聖も気にしている事らしい。その男の性格を知っているから、大丈夫だと断言できずにいるようだった。

「嬢ちゃん、ちょっと席を外してもらえるか?」

 唐突に黒龍が言う。聖に何か言いたいことがあるらしい。ただ、夏姫はそんなものに興味はない。


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