第1部 厄災の始まり11

 その時、夏姫は本当に部屋でおとなしくしていた。先程黒龍と呼ばれた男は、なんのためらいも無く部屋まで入ってきて、ベッドに座らせたのだ。夏姫は何度も抗議するが黙殺され、挙句の果てにご丁寧に外から鍵をかけていった。これでは出ることもできない。もともと、足もかなり痛いので、出歩く気にもならないが。


 コンコンとノックする音のあとに、がちゃりと鍵を開ける音がして、聖が入ってきた。先程の気まずさで、顔を上げることができずにうつむいていた。

 素直にあやまればいい、それは頭では理解しているのだが、言葉として出てこない。その間も聖はゆっくりと近付いてくる。

 沈黙が重い。先程のサファイの不機嫌そうな顔を思い出してしまう。それが尚更夏姫を黙らせてしまうのだが。


 かたんと近くのテーブルに鍵を置く。

「さて、つかぬことを聞くが、この刺はいつから入っていた?」

「……知らない。ただ、駅の医務室でもう一回履いたときに違和感だけあった」

「やはり術者とすれ違っていたか。その時に君は何かされたはずだ」

 術者にそう会うものなのか? 夏姫は少しばかり考え込んだが、分かるはずもない。

「君は痴漢にあった。私もその場にいたが、それ以外で何かされていないか?」

 たとえば聖が切符を買っているときに。そう聖は言ってくる。

「……珍しいペンダントしてるねって誰かが言ってきたけど」

 思い出せる話はそれくらいである。

「それだ。顔は?」

「忘れた。あんたみたいに特長あるなら覚えてられるけど、いちいち覚えていない」

 正直顔を覚えるのは苦手だ。

「顔を覚えていたのなら、確認を取りたかっただけだ。おおよそ見当はついているから、責任を感じることはない。こんな手の込んだ事をするのはただ一人。あの男以外あり得ないからね。その男から私への挑戦状だよ。おそらく私に気がつかれないように傀儡(かいらい)を利用したのだろうが。サファイでは簡単な処置しか施せないからね、もう一度私が見よう。サファイは救急箱と薬とあれを」

 そう指示して、そのまま夏姫の足に触れてきた。

「この足でよく歩く気になる。痛かっただろう」


 そこにサファイが救急箱ともう一つ、香炉のようなものを持って戻ってきた。それを受け取り、聖は夏姫の足をあらためて治療する。

「これで明日にはだいぶ良くなっているはずだ」

 そしてまた夏姫の足に器用に包帯を巻いていく。



「ごめんなさい」

「……何を謝る?」

「……い、色々迷惑かけたから。電車の中でもそうだし、ここに戻るまでもそうだし、戻ってきてからも。それに、さっきは聞くつもりなかった。それだけは本当」

その言葉に、聖はくすりと笑うだけだった。

「あぁ。気にする必要はない。できれば、もっと早く言って欲しかったがね。私もすぐに戻れると思って、客が来る事を君に伝えていなかったし。それにこの棘が入れられたのは、私に対しての嫌がらせだから、君に非はない」

「……でも、サファイさんも機嫌が……」

 しどろもどろになりながら夏姫は必死に言う。

「何を気にしている?もしかして、さっきの魔青が君の痛みをシンクロしたみたいに言ったことを気にしているのか?」

 夏姫はこくりと頷く。

「あぁ、魔青は君とシンクロするようにしてある。でないと、何かあった時に対応できない可能性がある。それだけだ。私とサファイの間にシンクロさせる必要がない。私が創ったモノだからね。おそらく先程サファイが不機嫌だったのは、私がいなかったから、黒龍にでも嫌味を言われたんだろう。それにサファイに『さん』をつける必要はない」

 そうだろう?と、サファイに相槌を求める。


「はい。それに夏姫様の怪我から呪を感じ取りましたので」

 自分では処置できない。処置できるであろう聖は黒龍と話をしている。身体中にまとわりつく呪ではなさそうだが、どういったものかが分からなかった。すぐさま報告したかったがはばかられたので、部屋で待つように言ったというものだった。

「だから気にしなくていい。君が一人で行ってたら、靴擦れだけで済んだかもしれない」

 そう言い、夏姫の目の前に香炉を出す。なにやらいい香りがして夏姫は眠くなってしまった。

「今日一日おとなしく休んでいなさい。明日には魔術の基礎の話をする。それからだ」

 次の瞬間、夏姫の意識はすとんと飛んだ。

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