第2話 汗

「あの、ちょっとお待ちください」


 髭面に汗が滴り、まるで女性が濡れる陰毛の如く。両脇には同じく汗で、髪の茶一層潤い増しワックスポマードグリス塗りたくったみたいに、また豪雨に打たれた巨岩みたいに。いずれにせよ尋常でない発汗量は、ブリーフィングルームでこの三人だけであった。

 一番近くにいた幕僚は隣の人間加湿器たちによって曇らされた眼鏡を拭った。


「何か質問かね」


 ジェフは髭の汗を掌で絞りこっそり裾で拭いた。質問の声をおそるおそる上げたことを後悔する。幕僚たちの目が一斉に向けられた。組織のこうまで偉い人間大勢に囲まれたのは初めてで、かつておとぎの国の国王に拝謁した時よりも緊張した。あの王族は自身の帰属集団の統率者でなかったが、この幕僚連は直轄だからか。知己の師団長だって、彼は仕事上の関係というよりはプライベート。

 ジェフは唾を飲み、ほとんど聞いていなかった説明の、それでもかいつまんだ疑問を口にした。


「我々はただの強襲遊動隊です。作戦の性格からして不適任では?」


 命令であるから断れないのは承知で尋ねる。三人は、潜入という言葉を説明の内に耳にした。チンピラ集団相手に独自の手で潜入まがいの作戦をしたこともあったが、それはイレギュラーで、本来そうした特殊作戦は調査官スパイの手によって行われるものである。幕僚の一人が溜息吐いて、モニター画面の表示を数ページ戻した。


「君は何を聞いていたのかね」

「すみません」


 縮こまるジェフ。説明を聞いていなかったのは事実だから、不遜な幕僚に対する苛立ちより先に反省した。シャーリーはいつもなら、ここぞという時ばかり卑屈になる彼をからかうところだが、緊張に身を固めているのは同じである。

 画面には変わった人物の写真が表示されていた。あまりにも奇妙な風体に幕僚の中には再度苦笑する者もいたが、一瞬和らいだ空気も三人の気分を絆すことはなかった。


「この被研対象、博士の呼んでいたクオラという名を通称とするが、博士はこれと共に捕縛されている。以前特機大隊による救出作戦が行われたが、クオラによって返り討ちに遭った。敵方の洗脳に拠るものなのかもしれない。よって貴官らが選ばれた」

「よって、といわれても。特機大隊はエリートではありませんか」


 特機大隊と略される特殊機動大隊、国予の誇る特殊部隊であり、大隊と称されるものの規模も任務も詳らかになっていない。ただ、各国正規軍の統合特殊部隊を発祥としているため、とにかくかなりの実力を持つ部隊であると認識されていた。そんな部隊が損害を出した相手とあらば、ますますジェフたちに出番はない。


「博士は特機大隊に関する情報のアクセス権限を持っていた。そのデータを基に研究を行っていたのだからな。クオラのにあたっては特機大隊の特性が盛り込まれたとみられる」

「みられる?」

「クオラの戦闘能力発顕に関しては我々の管轄外だったのだ。博士からの申告もなければ提出された開発データにも未掲載だった。査問にかけたいところだが、ともかく博士を取り戻さねばならない」

「はあ」

「そこで、特殊作戦の教育を受けていないにも関わらず、遊撃戦闘任務での実績を上げている貴官らをこの任務に選出した。教範にとらわれない臨機応変さを買ったといわけだよ」


 確かに珍奇な行動をしている時だってあるものの、そこまで破天荒な戦い方をしているとは到底思えないし、それだって相手は一応悪党でも普通の人間。軽々しく言う様に、幕僚連がどれほど本気でジェフたちの力を信じているか疑わしかった。しかし下される命令に拒否権があるとも考えていないし、抗弁する気力も残っていなかった。


「では改めて下達する。命令、強襲遊動第701分隊は、ポートン地区ビルトン城に潜入、マービン博士の救出並びに研究資料の奪取、なお救出及び奪取が不可能と判断された場合は」


 ここで意図的に言葉が切られたわけではない。息継ぎに一瞬止まっただけであった。しかし三人は、次の言葉を耳にすると、その瞬間しかなかった間が嫌に含みを持たせたものであると、後々思い返すことになるのだった。


「博士の殺害、また研究資料の破壊を実行すること。以上、復唱よろし」


 復唱しろと言われてもしたくはない。緊張は急に不快に取って代わった。

 実際701分隊は、隊の性質上大勢の敵を殺傷している。だから、殺害の選択があらかじめ任務に含まれることを不快に感じるのは少々身勝手なのかもしれないが、殺し屋を自認しているわけではない。幕僚の落ち着き払った態度が「お前らこういうことは得意だろ」とも言っている気がしてますます苛立った。ただ、激昂するだけの資格もないことは解っている。殺害という手法に抵抗したいまでの忌避感も、もはや持ち合わせていないことは認めているから。

 三人は起立して型通りの敬礼をした。汗はもう引いて、残る塩が皮膚に臭くへばり付いていた。


「マックィーン一曹以下三名、帰ります」


 それにしても、と、今一度画面を見上げる。奇妙で現実離れした風体はまだそこにいた。仕事でなければ間違いなくコスプレ写真だと考えただろう。


 歳の頃20手前か、銀短髪の美少女はスタイルよろしく、そこまでは普通だった。しかし画面の彼女、クオラは持っている。猫の耳と尻尾、大きく黄色な瞳の中に細い瞳孔を。

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