第2話 母の紙吹雪

 明くる日、陸島連合の総合ビルのある街に入った。大都市のビル群の中でもズバ抜いて巨大な建物で、威圧的な外観からは軍服か高等官バッジの背広ばかり出入りする。私服で入る701分隊は場違いな風だった。中に国予の事務所もある。同じ階に託児所もあり、子どもたちの声が賑やかだった。

 エレベーターで事務所の階まで上がると、赤子を胸に足取り重いシャーリーは俯いていた。


「安心しろよ、きっとその子の親見つかるって。国予が連れてったと知りゃ、連合の離散家族の案内欄くらい見るだろ」

「・・・」

「お父さんお母さんも必死に探してるよ。いくら移動しながら生活してるっていったって」

「・・・」


 顔が、そうじゃない、と言っていた。ジェフとチャルはわざとそれを言わないだけで、彼女の心に芽生えてしまった母性のようなものに困り果てていた。眠っていた赤子が起き、シャーリーは素早くおしゃぶりを与えてやった。嬉しそうにだあだあはしゃぐ彼の視線はシャーリーに釘付けで柔らかく頭を撫でられた。


「あっ、小隊長!」


 事務所前で呼び止められた。軍服姿の上等兵で耳に整形の跡があった。耳を無くして701分隊長に小隊長と言うのは一人しかいない。


「シューマ一等兵!元気にしてたかあ」


 かつて第七特殊警備地区の戦地で共に新秩序革命軍と戦ったシューマだった。彼はベビーカーに赤子を乗せる下士官勤務兵長の若い女性兵士を連れて小走りに近づいてきた。


「今じゃ上等兵になりました。これ、家内です」

「この方がマックィーン小隊長?よくお話に聞いています。主人がお世話になったそうで」

「いや、私も旦那さんには助けられました。シューマ、お前結婚してたんだな。若く見えるからまだかと思った」

「俺、実は小隊長より少し歳上なんですよ。家内が小隊長と同じ歳かな」

「小隊長はよしてくれ、また分隊長に戻ったんだ。そうか、歳上だったんか。しかし上官と結婚したなんて上手いことしたな。なかなかできないことだ」

「いえ、俺の方が惚れられちゃって」

「ちょっと!」

「ははは、仲がよろしいようで。紹介しよう、こちら、仲間のチャル、それにシャーリー」

「ああ、車で迎えに来てくださった!あなたの作ってくれた料理、今でも覚えています!」

「ありがとうございます!僕も、あなたが元気でよかったですよ」

「シャーリーさん、あなたは俺の包帯を替えてくださいましたね。救援に来てくださった時は天使だと思いましたよ。奥さんだったんですか。小隊長、いやマックィーン一曹もお子さんがいらしたんですね!」


 三人と握手を交わすシューマは心から喜んで赤子の顔を覗き込んだ。ジェフとチャルが返答に困って変な顔をしていると、腹が減ったのか赤子が泣き始めた。


「私、ミルクあげてくる」


 ビルに入って初めて口をきいたシャーリーは足早に廊下突き当たりの授乳室へ向かった。キョトンとしたシューマは彼女を見送ると、頭をかいて嬉しそうだった。


「しかし、マックィーン一曹とチャルさんシャーリーさんはずっと戦地にいたから、しばらく子どもと離れ離れになって辛かったでしょう。私は家内がここの情報室勤務だから助かりました」

「シューマは戦地で、嫁子どもいることをおくびにも出さなかったな」

「誰かに言ったり写真見せたりすると、帰れなくなっちゃいそうで」

「そうか・・・」

「どうしました?」

「いや、あの子な」

「あっ、ひょっとしてチャルさんとシャーリーさんとの赤ちゃんだったとか?失礼しました」

「そうじゃないよ、あの子な、俺たちの子じゃないんだ」

「へ?」


 シューマ夫妻が顔を見合わせた。彼らの赤子が泣きじゃくり始め、シューマはそそっかしさを嫁にたしなめられながらエレベーターへと足を向けた。授乳室から出てくる二人の女性兵士がいて、それぞれの赤子を抱えながら授乳室で哺乳瓶握り泣いている女がいたと噂していた。シャーリーに違いなかった。


「はい、こちらでお預かりしましょう。この書類に記入を。ボク、もー大丈夫だからね〜」


 私服のブレザーに軍属徽章を付けた中年女性の事務員が、窓口で書類を差し出した。口煩そうな主婦そのものの彼女は相好崩し赤子に手を振った。赤子は笑むと宙に手を揺らした。シャーリーは目を腫らして固まっている。

 ジェフは中年女性を前にするとよく自分の母親を思い出すのだが、この事務員は似ても似つかず、母の顔は出てこない。ジェフは国予手帳を開きペンを取った。事務員は赤子を見つめたままべらべら喋り続けた。


「でもかわいそうねえ、ご両親においてきぼりにされちゃって」

「はあ。ここ、予備兵士番号は自分のだけ書けば?」

「そうそう、隊長だけ。この子の名前も判らないなんて。呼ぶのに困ったでしょう」

「はあ」

「ダメな親もいるものねえ。私もあなたたちよりちょっと小さい息子と娘いるけど、いつだって子どものこと考えてたわ。今だって。まだまだずーっと赤ちゃんですもの。子どもって」

「はあ。書けました」

「はいはい。今離散家族の赤ちゃんを担当する職員が来るから。ごめんなさいね、長々と」

「はあ。あの、もしこの子の親が現れなかった場合、どんなことになるんでしょう」

「そうね、孤児施設で暮らすことになるわ。大丈夫よ、もしそうなっても、大きくなるまでちゃんと面倒みてくれるわ。それに、前の戦争の影響か、子どもを亡くしたたくさんの親から養子の貰い手が多いし、どこかに引き取られることになるかも」

「そうですか」


 最後だけ「はあ」と言わずシャーリーを見た。彼女は怯えた目で事務所内をキョロキョロ見渡し始めた。何かを探す目、横のスタッフルームから出てくるエプロン姿のベビーシッターらしき若い女を見つけて視線は止まった。スタッフルームの奥には託児所が続き、遊ぶ子どもたちが一瞬見えた。


「私が担当のベビーシッターとなります」


 礼儀正しくお辞儀したベビーシッターが胸の名札を示し自己紹介したが、シャーリーの耳には入らなかった。ベビーシッターは彼女が赤子を抱っこ紐から出して自分に預けるのを、腕を出しかけて待っていた。シャーリーは動かず蒼い顔で赤子とベビーシッターを交互に見た。ジェフはチャルと頷き合うと赤子を抜き取ろうと手をかけた。


「さあ、これでもう安心だ。シャーリー、預けるぞ」


 ジェフが赤子の上体を持ち上げようとすると、シャーリーは彼を蹴飛ばし後ずさった。片腕で赤子を抱きしめ、もう片腕は窓口に迫った。


「マックィーン一曹さん、この子を見つけた場所、失礼だけど字が汚くて読めないわ。ここだけもう一度」


 事務員の目の前に白いしなやかな五指が現れると、読んでいた書類を握りつぶし奪い取った。事務員はいきなりのことで驚く声も出なかった。

 シャーリーは書類をビリビリに裂き宙に撒いた。紙吹雪となった書類が降ってきて、生まれて初めて見る光景に赤子は喜び腕を振った。


「私、この子を育てる!」


 事務所内総員の視線が集まる。壁に激突したジェフを抱き起こすチャル、二人が顔を上げると閉じる自動ドア越しにシャーリーが消えた。


「あンのアマ!」


 ジェフが事務所を飛び出し、全員に三度謝罪の頭を下げたチャルが続いた。シャーリーは既にビルを出て、歩道の群衆に紛れていた。ブロンド三つ編みにソフト帽は珍しい。ジェフとチャルはすぐに見つけた。


「おいどういう気だ。この子を育てるだって?アホ!」

「シャーリー、僕たちいつ任務があるかわからない、あそこにいた方がいいよ」

「お前みたいな娘っ子に育てられるもんか。第一、親が見つかったらどうすんだ、ええ?あんたたちはこの子を捨てた、だから私が育てる、そんなことでものたまう気か、おい!」


 シャーリーはいきなり立ち止まり振り返った。ジェフとチャルも急停止し、ぶつかったチンピラが文句を言いかける。が、厳つい容貌のチャルにそそくさと逃げ出した。

 シャーリーは唇を噛みしめ大きな瞳から涙の玉を溢れさせた。


「わかってる!わかってるよ、そんなこと・・・でも、私この子といたい。ほんとうのお父さんお母さんが見つかるまででいい、それが明日でも何十年後でも。それまででいいから、一緒に暮らさせて。ジェフ、チャル!」


 呆気に取られた二人は、異変を敏感に感じ取り泣き始める赤子の声を聞いた。シャーリーは赤子に目を戻し努めて優しい顔を作った。


「よしよし、怖がらせてごめんね・・・なんでかな、私、身近にこういう、家族みたいな人ができるとすごい甘えたくなっちゃって。今この子にも甘えてる。身勝手ね、私」

「でも、この子の両親無事らしいから、探さなきゃ」

「うん、その通りだよ。探すよ、私。この子を返してあげるまで。お父さんとお母さんがいるなら、一緒に暮らした方がいいもの」

「探すったって、任務が」

「それも、ちゃんとこなすようにする。この子も守って、親も探す。ねえ、だめかな?」


 うるうると二人を見つめる。シャーリー自身純粋な感情からの涙なのだが、いじらしさが可憐に見え、ジェフも頬を染め卑怯な涙だと感じた。チャルも、卑怯とは思わないでもジェフと同様。


「チャル、シャーリー頼むわ」

「ジェフ」

「離散家族案内だけ、申請出してくる」


 ジェフは踵を返しビルへ向かった。歓喜に湧くシャーリーの笑顔もとてつもなく可愛いらしかったのだが、彼はその顔を見ていない。

 事務所に戻ると、先程破られた書類の紙吹雪とジェフが壁にぶつかった際落ちて割れた花瓶の清掃が行われていた。床を履くベビーシッターに頭を下げると、彼女はつんけんに顔を背けた。


「あの、さっきはすみません」


 書き物をする事務員は一度ジェフに顔を上げただけで無視した。陰険な態度もシャーリーの行動では仕方なく、手元のペンを握り取り繕った笑顔を見せた。


「あの、あの子はウチの隊で預かることにします。離散家族申請だけでもできますか?」

「これ、太枠の中を書いて」

「あ、どうも」


 ぶっきらぼうに渡された書類に記入を済ませた。突っ返されないようにせめて字だけは綺麗に書こうとし、書くところが少ないのにより時間がかかった。


「受理します。マックィーン一曹は遊動分隊ですが、できるだけこの市の周辺にいるようにしてください」

「はい、はい、わたくし共も誠心誠意赤ちゃんの家族を探します」

「ねえあの女の子、母性が芽生えたのかもしれないけど、ちょっと無責任じゃない。赤ちゃんは繊細で気を使うのよ。赤ちゃんのことをよく学んで、あなた方皆んなでお世話なさい」


 こんな風に小言を言う事務員、自分の母に叱られている気が今さら少しだけした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る