定期券と、あと少し
誰か殺してくれ、と思った。でも、どうしても死にたくはなかった。
平日の昼間でも知らない駅前の大きな交差点にはたくさんの人がいて、学ランで突っ立っている僕はきっと異物なんだろう、けれどどうしても今日は僕が行くべき場所に行く気にはなれなかったし、携帯の電源はとうに切ってあった。
コカ・コーラの自動販売機で缶のコーラを買う。コインパーキングに併設されたそれは若者が人生を憂うには少しばかり不似合いだった。僕は金網に寄りかかり、少し顔を上げる。ちょうど駅ビルの巨大なディスプレイがあって、僕は手の中の缶が空になるまでぼんやりとニュースを眺めていた。アイドルが引退するらしく、街頭インタビューで号泣する男の顔が映る。顔が良ければ少し歌って踊るだけでこんなにも愛されて、と、何も知らない僕は自分勝手に卑屈だった。
その次のコンビニ強盗が捕まったニュースが終わるあたりでコーラがなくなる。念入りに中身を確認し、手首のスナップで放物線を描かせる。缶は一度金属製ゴミ箱の縁に当たって僕をひやりとさせた後、有象無象達の中にカシャリと収まった。
大人達から見たら、僕もこう見えているのだろうか。そう考えると何だか缶に申し訳無くなってくるが、わざわざ拾い直してやるほどの事でも無かった。
「国立大学に行きなさい」僕が二年生になると母はそう言うようになった。「私達は両方高卒だから大学なんて分からないけど、きっと大学に行ったら良い仕事に就けるんでしょう?」
奨学金っていうものもあるみたいだし。
隣で共に夕飯を食べる自営業の父を見る。小さい頃は家に父が居れば嬉しくて仕方がなかったはずなのに、嫌う訳では無い、だが僕はこちらを向いて話す父はあまり好きではなかった。机の引き出しには実家の伯父へ送る借用書がある事も知っている。「遊ぶ為にバイトしてるのに、バイトのせいで遊ぶ時間が無いよ」なんておどけた時の、あの顔はもう二度と見たくない。
だから、僕はどうしても国立大学に行かなければならなかった。
友人はそれが不純だと言う。昼休みは当然進路の話になるから、僕はボソリと言ったのだ。やりたいことなんて無い、ただ僕は国立大学に入って、そこを四年で卒業出来ればいい。
「それは真剣に勉強をしたくて大学を目指している人に失礼なんじゃないか」
サンドウィッチを飲み込んだ友人が言う。本気で言っている訳では無いと分かっていた。彼にもどうせそこまでの熱意は無い。
「もし僕が大学に合格して、その人が落ちたのだとしたら」僕は努めて冗談めかして言った。「こんなのに負けるその人が悪いんだよ」
はっ、と友人はひとつ笑って、違いないと窓の外に顔を向けた。裸の木々が寒そうに身を寄せあって、中庭だけが不気味に静かだった。
いきなり大きな音が降ってきて、僕は驚き顔を上げる。巨大ディスプレイはニュースをやめてCMを流し始めたらしい。見覚えのあるタレントがリズムに合わせてひょうきんなダンスを踊っている。『人生は面白い』そう叫びながら笑顔で炭酸飲料を飲む彼が離婚を伝える記者会見で涙を流していたのは二ヶ月程前だったか。
どれだけの間ぼうっとしていたのだろう、人通りはほとんど無くなり、僕の見える範囲には信号待ちをするサラリーマンと、その後ろで座り込むホームレスしかいなかった。
長い間立っていたらしく膝が少し痛い。金網に背を預けたまましゃがみこむと左手がかさりとした何かに触れた。
誰かが置いたまま忘れたのだろう、百円ライターと共に煙草の箱。手に取って振ると微かに音がして、まだ中身がある事を教えてくれる。僕は少し震える手でその一本を摘み、周囲を見回してから口に咥えた。幸いサラリーマンは青信号を渡って行ったし、いつもの二つ向こうの町で、僕の事を知っている人なんてどうせ居やしないのだ。
初めて吸った煙草はセブンスターで、取り敢えず明日は学校に行こう。知らない匂いに酷く噎せ返りながら、僕はぼんやりとそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます