描こう!人生美術館

霜月秋旻

描こう!人生美術館

 俺は今、自分が何を描きたいのか、それがわからない。

 二十歳で漫画家デビューし、今年で三年目。いままで二作、雑誌で連載をしたが、いずれも十週で打ち切りになった。人気が出なかったのは勿論のこと、自分でも描いてる途中で、創作意欲が無くなってしまった。自分がいままで描いてきた漫画を読み返してみると、たしかにつまらない。絵も話も平凡だ。これでよく、連載までこぎつけたものだと自分でも不思議に思う。行き詰っている。いっそこのまま潔く、ペンを折るのも有りなのかもしれない。

 考え込みながら夜道を歩いていると、いつのまにか、妙な形をした白い建物の前にいた。まるで子供が紙粘土で作ったような、直方体になりそこねた建物。ゆがんだ形をしている。入り口には、子供がクレヨンで書いたような字で『ぼくのびじゅつかん』と書かれていた。

 中に入ってみると、入り口正面にある壁に、子供が描いたような絵が額に飾られていた。頭の大きさが胴体の五倍くらいはある人間が、糸のように細い腕と足で縄跳びをしている絵。

 その絵の右横には、花びらがそれぞれ別の色に塗り分けられているひまわりの絵。そしてそれを眺めている、頭に対してやたらと胴体が小さい少年も描かれていた。白目が無く、目全体が黒で覆われている。

 それから更に右へと進んでいくと、口が耳元まで裂けて笑っている少年の絵や、目から涙のようなものが水道水のように流れ出ている女の子の絵に、その隣で眉毛を八の字にして困っている少年の絵。現実ではありえないが、観ててなんだか微笑ましい。絵はさらに、右へずらりと並んで飾られている。いずれも見覚えがある絵。それもそうだ。入り口正面に飾られていた手足が細い少年の絵も、カラフルなひまわりの絵も、他の絵もみんな、俺が幼い頃、自分で描いた絵なのだから。

 そう、ここは俺の美術館。俺が幼い頃から今まで描いてきた絵が、ズラリと飾られているのだ。

 それから右へと歩をすすめていくうちに、だんだんと、飾られている絵の表現が、現実に忠実になっていっている。腕や足にはちゃんと肉がついているし、顔と胴体の比率も不自然ではない。絵が大人になっているのだ。入り口正面で最初に観た絵と比べて、絵は確かに上達している。美しさも感じられる。しかしなんだか面白みが無い。つまらない。綺麗に美しく描くことに頭がいっぱいで、何かが欠如している。そんな絵だ。そして歩をすすめるうちに、つい最近まで俺が連載していた漫画の絵と対面することになった。

 俺はいつのまにか、大事なものを失っていたのかもしれない。常識に囚われていた。常識に囚われない、自由気ままな発想。子供ながらの純粋な発想。そして絵を描くことの楽しみ、喜び。それが大人になって現実を学ぶに連れ、次第に失われていたのかもしれない。大人になり、絵を描くことを仕事にするようになってからは、『描きたい』から『描かなくてはならない』、そして『描けない』になってしまっていたのだ。

 漫画や絵は、現実を撮した写真とは違う。自分の筆次第で、いろんな表現ができるのだ。無限の表現。常識、現実という枠にとらわれない表現が。

 その先に飾られている額には、何も描かれてはいない。これから先の未来、俺が描く絵が、そこに飾られるのだろう。

 いつのまにか、俺の右手には筆が握られていた。念じるだけで、筆の先に自分の思い通りの色が出る、不思議な筆。描く。描きたい!描いてやる!表現に限界などない。これから先の未来をどう描くかは、俺の筆次第だ。


 気がつくと、俺は自室の机の上にうつ伏せで眠っていた。どこからが夢だったのかはわからない。しかし、どこか清々しい気分だ。今まで囚われていた何かから解放されたような、そんな気分。


 さあ、描こう!

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

描こう!人生美術館 霜月秋旻 @shimotsuki-shusuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ