電宅の人
foxhanger
第1話
カウンターにドスンと座る。出された一升瓶から安焼酎をつぎ、薬罐でいただいたぬるま湯をつぎ足して梅干しを入れる。ぐいと飲み干すと、不快な記憶が一瞬薄らいだように思える。
東十条から歩いて十五分の
さらに、部屋中に残っているであろう、蹴倒したカラーボックスやら、びりびりに引き裂いた夏物のブラウス、畳に飛び散ったワインの飛沫やら、といった狼藉の後始末をするのは業腹でもある。
結句自分がまいた種、といえば返す言葉もないが、しかしながら、アルコールが回るにつれ、脳裏に追いやったはずの愚行の記憶が逆流してきた――。
「うん、こんな感じかな」
大学の年季の入った校舎。二階にある研究室には西日が差し込んでいた。
ツイードのジャケットをカジュアルに着こなした、背の高い男が、プリントアウトに一通り目を通して、つぶやいた。
男の名は村尾誠一郎。
この年三七歳。N工科大学教授。研究分野は人工知能(AI)。T大学大学院を卒業したあと、アメリカに留学して最先端の知識を吸収した。
専門にとらわれない活躍で知られ、学際研究も多い。
そして、AIの分野で画期的な成果を出すことを期待されて、この大学に招聘されたのだ。
「なかなかのものだと思わないか」
助手の大学院生、大多賀美佐子に問いかける。小柄で髪型はショートボブ。まだ少女の面影を残しているが、眼鏡の奥の目は鋭く、コーディングにすばらしい技能を持っている。村尾の信頼は篤い。
「ありがとうございます」
「この分で行くと、商業誌でも通用するような作品が出来るんじゃないかな」
「そうなれば、いいですけどね」
大多賀美佐子は軽く笑った。
話は、一月前に遡る。
村尾が担当するゼミで、人工知能の活用法についてディスカッションを交わしたときのことだ。参加者はゼミ生数人。その中に大多賀美佐子もいた。
ここ数年、AIの研究は長足で進歩している。
AI研究の一環として、従来人間にしか出来ないとされていた「知的、創造的作業」を行わせる研究が盛んになされている。
チェスや将棋のような知的ゲームの分野では、すでに大きな成果を得ている。
すでにチェスでは、前世紀に世界チャンピオンに勝利している。将棋では、すでにプロのトップ棋士に拮抗しているだろうと言われている。盤面のパターンが複雑すぎて困難だとされる囲碁ですら、トップ棋士を倒すAIプログラムが出現した。
クイズで人間の「クイズ王」に勝利したり、難関大学の入試問題を解いて「合格する」研究もされている。
それを可能にしたのは、ディープラーニングと呼ばれる手法だ。脳神経の機能を計算機上でシミュレートさせるニューラルネットワークは以前から研究されていたが、多層構造の学習が可能になったことにより、より深いレベルまで自動的に計算、学習されるようになり、AIにこの機能を実装することによって、判断力は飛躍的に向上した。
もうひとつが、ビッグデータだ。ネットなどを通して大量で複雑なデータを集め、解析することによって精度の高いシミュレーションが行われるようになった。
ひとりの院生が発言した。
「人工知能による、小説執筆というのはどうでしょう?」
「なるほど」
近年、AIのさまざまなプロジェクトが立ち上がっているが、その中でも注目されているのが、小説の執筆である。
少し前、人間がネタを作ってAIが文章を作成し、出力させた作品が、小説新人賞の一次選考を突破したことが報じられた。
「今更のような気もしますね」
ひとりの院生が返し、それをきっかけに次々と意見が交わされ、ゼミは談論風発となった。
「いまのところ、人間が考えたお話にAIが枝葉を付けるような感じらしいんだよな」
「いまでも官能小説を生成するソフトはあるようですね」
「ああ、それで作った作品を読んだことはあるよ」
誰かが言って、一同爆笑した。
「しかし官能小説は筋よりもまず、とりあえずそそる描写を入れて、特異な形容が重要視されるジャンルだし……もうすこし、毛色の変わったのがいいんじゃないでしょうか」
「そうかもね」
ここで、村尾はひとつのネタ振りをした。
「AIの書いたものといえば、どんなものを思い浮かべる?」
先頭を切って、美佐子が答えた。
「そうですね……星新一ふうのショートショートに、前衛文学、バロウズばりのカットアップ、ってところでしょうか」
「カットアップなんて、猿にタイプライターを打たせて適当なところを切り貼りすれば、シェイクスピアの文章ができあがるようなものだろう。コンピューターでそれをやったって、作品とは言えないよ」
「作品かどうかは、読者が判断するものですよ」
「じゃあ、猿に書かせようぜ。適当にキーボードを打たせて、意味ありげな文字列を拾い出して適当につなげれば、詩の一丁上がりだ」
「ふん」
院生の意地悪な突っ込みに、美佐子はちょっと嫌な顔をした。村尾はちょっと話の矛先を変えた。
「小説――芸術というのは、文芸の女神様のご加護が必要なものなのかな……そうでもないんじゃないか。エンターテインメントのプロ作家のエッセイなんかを読むと、もっとシステマティックに作っているようだ。ならばAIに代替できないはずがない。ディープラーニングでお話の構造を研究して、ビッグデータで語彙を収集する。それをもとに『小説』を出力するわけさ」
「そんなにうまくいきますか」
「人間に出来ることは、AIにも可能なんじゃないかな。もうそんな時代になっているんだよ」
村尾はちょっと得意そうに言った。
数日後。
村尾は大多賀美佐子を研究室に呼んだ。
入ってくるなり、彼女はいった。
「お呼びしたのは、わたしだけなんですか?」
「そうだよ」
奥の席に座っていた村尾は切り出した。
「この前のディスカッションはどうだった?」
「興味深かったです」
村尾は満足そうに頷いた。
「そうだろう。あのあといろいろ考えて、人工知能に関する少数精鋭のプロジェクトを立ち上げようと思ったんだ。とりあえずは、きみとぼくとでやってみようか」
「光栄です」
「やるのは、小説執筆だ。それもただの小説じゃない」
村尾は言葉を切る。
「ここで書かせてみたいのは」
村尾はそこで言葉を切った。マーカーを握り、ホワイトボードにひとつの言葉を書き込む。
私小説
「ししょうせつ?」
「わたくししょうせつ、だよ」
大多賀の言を、村尾は訂正した。そして語り出す。
「私小説というのは、日本独特の『純文学』ジャンルと言われている。 一九世紀ヨーロッパで盛んになった『自然主義文学』が、まだ近代国家として発展途上だった明治大正時代の日本に輸入された過程で変質、し「自分自身に起こったことを虚構を交えずに描写する」文学と解釈された。さらにいつしか、『老大家』が身辺雑記を書く『調和型』と自分の愚かな行為を『赤裸々に』告白しさらけ出す形式に別れていった。後者は『破滅型』だの『無頼派』だの言われている」
大多賀美佐子は不審げに問う。
「でも、私小説って、自分が書いたものじゃないといけないんじゃないですか。すると、我が輩はAIである、となるのですか。名前は、まだない……」
大多賀は吹き出すが、村尾は冷静だった。
「構わんさ」
腕を組んで話を始める。
「私小説ってのは『私』が主人公と言うだけで、それが事実であるという保証はない。ドキュメンタリーやノンフィクションとは違うからね。いわば文学的なギミック。それは読者も承知しているはずだよ」
大多賀は複雑な表情をしている。
「例を挙げようか。ある作家は『私小説』で自分の生い立ちを事細かにドラマチックに綴っていたが、死後に伝記映画を作るために調べてみたら、そのことごとくが、でたらめだったのさ。両親とも健在なのに『死んだ母』を短歌に詠んでいた歌人もいたというしな」
「ううん……」
「決定だな」
納得できない表情の大多賀美佐子をよそに、村尾はいった。
それからは、当該ジャンルの鼻祖とされる田山花袋『布団』を初めとして、大正、昭和初期の島崎藤村、志賀直哉、葛西善蔵、室生犀星、藤澤清造から戦後の「無頼派」に属する太宰治、檀一雄、田中英光らの諸作、そして最近の車谷長吉、西村賢太、小谷野敦に至るまで古今の私小説をテキストデータ化して、その文章の特徴、センテンスの長さ、単語の選び方、用法の癖などを分析した。
同時に、「現在」を生きている言葉を収集するため、ネットに流れるビッグデータの解析も、おさおさ怠りない。
描かれるのはどんな「話」、いや「人物」がふさわしいのか。
その「人物」は生まれてからどう生きて、いかなる思いを抱いて、いかなる行動をするのか。
結局、私小説といえどもストーリー――話の流れがあるものは、いくつかのパターンにはまってしまう。それを適切に取捨選択すればいい。
そのような分析に、このAIに実装されたニューラルネットワークのディープラーニングする手法は、きわめて有効だ。
読み込ませるデータが増えれば増えるほど、学習は精密になりその効果は増す。
目標とするものの特徴を的確に捉え、「表現」ができる。
文書は次々に作成されていった。
しかし、「らしい」表記を求めるには、人間のアシストが必要だ。
たとえば、ディスプレイに表示されていたこの表記。
わたしは歩き出した。歩きながら自分の起こした愚かな行為を反芻した。
この一節を読んで、村尾は首をひねる。
「悪くはないけど、もう少し『臭み』みたいなのが欲しいね。あんまり透明な文章だと、この手の小説は面白くない」
「そういうものなんですか」
「ああ、『書き手』のルサンチマンが言葉のひとつひとつを通して、むわっと漂ってくるようなものを、さ」
さらに、こんな一節。
ブラック企業で有名な会社が経営するチェーンの讃岐うどん屋へしけ込み、一番安いかけうどんを注文し、セルフサービスで入れ放題の天かすと刻み葱をいぎたなくてんこ盛りにぶち込んだ。
この一節を作成すると、美佐子が誤字、誤用法を指摘してきた。
「ここで使われる『いぎたなく』の意味は違ってますね。正しい用法の単語に直しますか?」
「直す必要はない」
村尾は言った。
「歪んだ用法や、変にペダンティックな言葉遣いこそ、私小説の醍醐味。今でこそ、こんな落ちぶれて無様な有様だけど、ほんとの自分はこんなもんじゃない。実はインテリなんですみたいな心根が透けて見えるような描写こそ、ふさわしいのだ」
方針は定まった。
なるべく一般的な使用頻度の少ない単語を選ぶ。文法の正確性よりリズムや「迫力」。
たとえば「結局」でなく「畢竟」「結句」、「すべからく」で始まる文は「べし」で終わらなくても構わない。
単語を拾って用例を参照するのは、検索エンジンのアルゴリズムを応用すればいい。
ネットの大海にある単語から、適切と思われるものを拾い上げる。そこに「ゆらぎ」を加えるのだ。それが独自の「文体」になっていく。
「文体」を手に入れたAIは「小説」を紡ぎ出すことが可能になるはずだ。
文章を生成していくうちに主人公――「わたし」の設定も固まってきた。
高卒で大学受験に失敗し、そのままバイト生活。五年前に同じ趣味の女性を口説き落として結婚し、子供を作ったはいいが、定職に就かず京浜東北線東十条が最寄り駅のアパートで暮らしている。生計は妻のパートと時たまの「日雇い」、それに蔵書の古本の売り食い。
世をすね、ほんとうの自分はこんなもんじゃないと思っているが、なにしろ証明する術がない。何かにつけて「世間のやつらになめられている」と思い込み、いらだちを酒にぶつけ、身近な人に暴力を振るってしまう。典型的な「破滅型」だ。
一月ほど経ち、四苦八苦の末に、どうやら文字数にして一万字程度の「私小説」が構築された。
その「私小説」に描かれた「わたし」は、四〇台にして陽の目を見ない小説を書き散らしている「文学中年」。私小説こそ小説の本道と信じ込み、新人賞に投稿を繰り返すが、箸にも棒にもかからない。その恨みを酒で晴らし、おだを上げるが、相手をしてくれる者はほとんどいない。
そして同居している妻子につい手を上げて、実家に帰られてしまった。ふてくされて酒を飲むが、酔っ払って男泣きに泣き、土下座しても家に帰ってもらおうと決意する……までの話である。
タイトルは「東十条にて」
読んだ大多賀は、ちょっと怪訝な顔をした。
「どうして東十条なんですか」
「なんとなくさ。うらぶれた男が住んでいそうだろ?」
「そうですか……わたし、実家は東十条の近くにあるんですよ」
「なんと、好都合だな。情報提供、協力してくれないか」
「そんなあ」
美佐子は呆れた声を出した。
出来上がった「東十条にて」のプリントアウトがレーザープリンタから排出される。ぱらぱらめくって、村尾は首をひねった。
「違うなあ」
「生成からやり直しますか?」
「そうじゃない」
村尾は紙束を机に放り投げた。
「こんなお行儀のいいプリントアウトじゃ、面白くないってことさ」
そういってしばらくすると、村尾は倉庫から一台の機械を引っ張り出してきた。
「こいつを使おう。昔、別の研究室で作ったやつだ。とりあえず使ってないようだから、借りてきた」
産業用ロボットのようなアームの先端に、万年筆を据え付け、台座には原稿用紙を置く。
アームは人体を模した精巧な動きで万年筆を動かす。
筆跡には肉筆のような癖がつき、みるみるうちに「直筆」の原稿が書き上がっていく。
ところどころわざと書き損じてぐちゃぐちゃに潰したり、欄外に注記したりすると、まさしく「玉稿」である。
「うむ」
原稿用紙の束を手にとって、村尾は満面の笑みを浮かべる。
ペンネームは、神崎正男とした。
「とくに意味はないよ。それより、こいつをどうしようか。小説ってのは、誰かに読ませなくちゃ、どこかに発表しなくちゃ面白くないよね」
大学の紀要に発表したりするのは、さすがに艶消しだ。
新人賞に投稿しようとも思ったが、しかし最近の新人賞では肉筆は歓迎されない、と聞く。
「ネットにアップするためにデータ化するというのは、いくらなんでも、本末転倒だし……そうだ」
「なにを思いついたんですか?」
美佐子は不審げに問う。
「ちょっと悪戯がしたいんだよ。作者に全くの基礎知識がない、『素』で読まされたらどう思うか、ってね。一種のチューリングテストだと思えばいい」
チューリングテストとは、コンピュータサイエンスの巨人アラン・チューリングが考案した、AIに関する古典的な思考実験だ。
「思考」する機械を「判定者」たる人間の眼に届かないところに置き、キーボードなどの入出力装置を通して「会話」をさせる。その結果、相手が人間か機械か判別出来なければ、その機械は人間と同じ「知能」を持っていると判断しても構わない。そういった内容だ。
「高校時代の同級生に、市役所勤めで地元の文学館に配属されている者がいるのを思いだしたんだよ。そいつはもともと文学好きで、作家を招いて講演会や文章教室をプロデュースしていると聞いた。その中で、文芸同人誌などにコネクションもあるはずだ。頼んで、紹介してもらおう。むろん正体は伏せて、な」
「趣味が悪いですよ」
「そうかな。小説は『魂の告白』だと思っている手合いの反応を見てみたくなるのも、人情じゃないか」
この国の「文壇」やオールド文学オタクのあいだに巣食っている「自然主義」の亡霊である。筋書きのある「物語」を一段低く見て、「人間の真実」を深く掘り下げる小説こそ、芸術品として一級のものである。それはつまり「自分自身」を掘り下げることを意味し、普通ならば隠しておきたいことも包み隠さず「告白」して白日の下にさらす。自らを「芸術」に捧げる小説。つまり「私小説」こそが「文学」で、ドストエフスキーも「偉大なる通俗小説」でしかないというひともいたらしい……なにを言ってるんだ。馬鹿馬鹿しい権威主義じゃないか。
そんなカビの生えた「文学」より、面白い小説はいくらでもある。
「そうだ、あのシリーズの新刊、今日が発売日じゃないかな」
村尾は帰り道、本屋に寄って、ライトノベルのコーナーで『おれはチートで転生先の異世界でハーレムを作っちゃうんだぜ』の八巻を手に取った。
現在大人気のネット発大人気ライトベルだ。大多賀も読んでいて、しばしばこの本の話題で盛り上がるのだ。
トラックに撥ねられた主人公が異世界に転生し、現世での知識を活かして大活躍して人間、エルフ、アンデッドの魔法使い等々の美少女を周囲に侍らせることになる。
プロ作家ではない素人が投稿サイトに載せているもので、閲覧数がサイト内のトップになり、書籍化したところベストセラーリストのトップに躍り出た。アニメにもなり大人気だ。
この種の小説は、エンターテインメント系作家でも昔気質のひとからは批判や揶揄を受けているが、面白いからいいんだよ、と村尾は思っていた。「私小説」のような他人の愚行と愚痴を読まされるより、よっぽど気が利いているじゃないか。快楽を刺激する仕掛けとしてみれば、「純文学」とやらをよほど優秀だ。
なんでも、小説投稿サイトに投稿される「小説」の何割かは、すでに人工知能が書いている」という噂が、まことしやかに語られているそうだ。
まあ、単なる「都市伝説」だろう。「人工知能」を名乗るアカウントもあるが、どれもジョークかフェイクだ――おそらく。
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