第五十一楽曲 第一節

「なんだとー!」


 小会議室で古都の声が響いた。そんな古都の反応に苦笑いながら、どこか微笑ましそうにもしているのは大人の3人だ。大和、泉、武村である。


「本当? 本当なの? 大和さん!」

「うん、本当だよ。君たちと同じ3月から」


 古都が大和の腕を掴んで勢いよく振るので、大和の上半身は振り子のように揺れた。


「うへぇ……、嬉しい」


 すると古都はだらしない声を出すのだ。大和はやれやれと思いながらも、喜んでもらえたことに嬉しくなる。


 話はダイヤモンドハーレムに芸能事務所所属の打診がきた時期まで遡る。大和は泉と武村から上京を勧められていた。その具体的な打診があったのはダイヤモンドハーレムのミュージックビデオを撮影した直後で、大和が単身でここに来た日だ。

 泉と武村は今後のダイヤモンドハーレムのプロデュースに加え、作曲家とアレンジャーとしての大和の拠点、更にはジャパニカン所属の他のアーティストの創作指導を大和に任せたい思いがあり、それで上京を打診したわけである。

 そして大和は上京を決断して今、古都に話して彼女のこの興奮であるが、すぐに古都は懸念を抱く。


「でも、ゴッドロックカフェはどうするの?」


 そう、これこそが上京の打診を受けてから大和がすぐに決断できなかった理由である。


「店は杏里に譲る」

「え! そうなの?」

「うん。うちの親も、杏里の親も納得してくれた。杏里も引き継ぐ決心をしてくれて、今ではもう就職活動をしてない」


 詳しい話は古都にしないが、ゴッドロックカフェの相続はこれからやり直す予定だ。

 元々遺言で祖父から大和に相続させた不動産ではあるが、その趣旨が変わった。趣旨とは大和のメジャーデビューが頓挫して、大和の音楽関係の職を得るための相続だったことだ。それが今や大和は創作と育成で音楽に関わっている。だからこれからは実質大和と杏里で半分ずつの相続とすることで話は決まった。

 実質の意味は、遺言によると「大和が希望しない場合は法律に従って」という条件であるので、大和の父と杏里の母が実際には相続をする。大和と杏里の祖母である祖父の配偶者は離婚をしているので、その2人が法律上の相続人だ。しかし登記はそれぞれの親であるものの実用的な持ち分は大和と杏里が半分ずつ得る。尤もこの事実は唯の母には絶対に言えないが。


 そして大和は3月までの3年間、1人で稼がせてもらうわけだから以降の収益の受け取りを遠慮した。更に固定資産税は大和と杏里の親に請求がいくわけだから、それ相当分だけ賃料として支払うことで話はついている。

 この話を親族間で夏にまとめ、そして盆の墓参りでは杏里と一緒に祖父の墓前に報告に行ったわけだ。それまでははっきりしないことが多く人には言えなかったが、ここで初めて古都に言った次第である。これを皮切りに他のメンバーや常連客にも公表していく。


「それで今日の午後は物件探しってこと?」

「そう。僕の場合は事業者だから、スタジオを確保できる物件がいるんだ。だから住むためだけの部屋と違って、防音工事もいるから早めに動かないといけなくて」

「私も行きたい!」

「あはは」


 やっぱりそうなるよね、と思う大和は恐縮そうに武村を見た。その武村は泉を見る。


「益岡さん、お任せしても?」

「はい。大丈夫です」


 と言うことで、古都の同行も決まった。

 そして大和と古都は各々午前中の仕事を済ませ、泉を含めた3人でのランチを経て不動産屋に移動した。


「こちらが事前にお問い合わせを頂いておりました物件の資料です」


 応接ブースで愛想良く対応をするのは手塚不動産の営業マン権田だ。爽やかな好青年の印象で、しかしどこかやり手のようにも感じるのは、高級感のある身だしなみだろう。その彼が広げた物件資料に目を落として、古都が大和に問い掛ける。


「もう物件探しは始めてたの?」


 条件を言わずに既に資料がこの場に出ているが故の疑問である。大和は朗らかな笑顔を浮かべて答えた。


「ううん。泉がネットで見繕って予め問い合わせをしてくれてたんだよ。だから僕も初めて見る」

「自分で選ばなかったんだ?」

「うん。僕としては寝床さえあれば住む方はそれで良くて、あとはしっかりスタジオが確保できればいいから泉に任せてた」

「ふーん。この中から決めるの?」

「それはまだわからないけど、とりあえず今日は内覧をさせてもらう」

「うほっ!」


 大和との物件見学に心が弾む古都だが、なにを期待しているのだか。確かに寝床の確保の意味はあるが、あくまで大和の仕事場を探しに行くのだ。

 そんな2人の会話を営業スマイルで流して権田は泉に続けた。


「ここに用意しました物件は全件本日内覧のアポイントを取ってありますので、見学可能です。お問い合わせ頂いていたのは、これらの物件でお間違いないですか?」

「はい。大丈夫です」


 そんな会話が繰り広げられるが、あくまで顧客は大和だ。この後大和が名簿を書き、それが終わると権田の運転する営業車にて移動を開始した。ただ営業車とは言っても、顧客を乗せることがあるので車種はプリウスだ。後部座席に3人乗っても窮屈な感じはしない。

 その車内で古都が大和に問う。


「因みに大和さんはジャパニカンの所属になったりするの?」

「ん? 違うよ」


 と答えながらも肩に力が入っている大和。古都は密着状態でしっかり大和の手を握っている。すでに公人なんだから私人が運転する車内では弁えろよと思う。

 そんな大和は後部座席の真ん中だ。反対側には泉がいる。その泉は古都を咎めるどころか大和の体で古都から隠して、こちらもまた大和の手をしっかり握っている。カノジョと同じ空間での元カノの行動に戸惑うばかりだが、無理に振りほどこうとしたらそのアクションで古都にバレそうだから恐ろしい。大和は両側からされるがままだ。

 そんな緊張感を持つ大和に古都は質問を続けた。


「じゃぁなんでジャパニカンが大和さんの物件探しの面倒を見てくれるの?」

「それはね、古都ちゃん」


 答えたのは泉だ。泉は大和越しに手は隠したまま、古都に愛想良く笑顔を向ける。違和感を一切見せないからこの女、したたかだ。


「大和はうちが契約してる個人事務所っていうのもあるんだけど、うちが大和の上京を後押ししたから全面バックアップを約束したんだよ」

「へー。そこまでするんですね」

「大和にはこれから見てほしい若手アーティストがたくさんいるんだよ」

「そう、そう。それって創作者の育成ですよね? 具体的には何をするんですか?」

「まず、今のところプロデュースをお願いするのはダイヤモンドハーレムだけだよ」


 これには安堵した古都。やはり大和に対する独占欲は強いらしく、メンバーにも報告ができそうだと胸を撫で下ろした。因みに緊張し切った大和は蚊帳の外だ。2人の間で話は進む。


「他には例えば、音作り」

「音作り?」

「うん。アーティストが作った曲に対して、ギターはどういうエフェクトをかけるのかとか、その流れで編曲のアドバイスをしたりとか」

「なるほど」

「他には、シンガーソングライターを大和の新しい職場に出向かせて、曲作りのアドバイスを受けるとかかな。当面ダイヤモンドハーレム以外は単発の依頼で、大和は大和でうち以外の事務所のアーティスからも依頼を受けていいの」


 するとここで大和が口を挟んだ。


「それでこれからは鍵盤楽器の練習も始めようと思って」

「え? そうなの?」

「うん。できた方が断然いいから、時には唯に教えてもらったりしたいなと思ってて。まだ唯には相談してないけど」

「へー、なんかいいね」


 半年を切った大和の将来像に古都は目を細めた。泉もそれを楽しみにしており、そして補足をした。


「大和にどんどん活躍してもらった方がうちとしてもプラスになるから、支援は惜しまないつもり」


 これは役員である吉成の承諾も得ており、今までの仕事を通して培った信頼関係である。ジャパニカンとしては創作者としての大和のブランドを上げたいのだ。


「到着しました。まずは1件目です」


 すると運転席の権田が体を捻って後部座席を向いた。そこは都心郊外から外れた場所だった。予算の都合上、物件探しはそれほど都心から離れない範囲で、安いエリアに絞っている。

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