第四十七楽曲 開花

開花のプロローグは唯が語る

 地元でのライブを終えた金曜日の夜、私たちは杏里さんが運転するジャパニカン芸能のミニバンに乗り込んだ。すると私の手を握っているのんちゃんが運転席に向かって言った。


「杏里さん、コンビニに寄って」

「うん、わかった」

「それからプリンスホテルにも」

「ん? ここから反対方向じゃん? そんなところに何の用よ?」

「個人的な用事よ」


 のんちゃんがホテルに個人的な用事ってなんだろう? 一緒に帰っているわけだから泊まることはないだろうし。

 杏里さんもメンバーもよくわからないながらのんちゃんの用事に付き合い、その後帰路に就いた。のんちゃんはコンビニではATMでお金を下したようで、ホテルは30分ほどの用事だった。


 そののんちゃんは今週行った札幌で生みのお母さんと色々あった。凄く心配した。確かに昨夏のツアー中も、どこか気持ちがここにない様子を見せていたなと思い出す。それに私と大和さんに凄く甘えてくる。

 普段からのんちゃんのことはお人形さんみたいで可愛いと思っているから、のんちゃんにスキンシップを求められるのは好きだ。迷惑だなんて思ったことは一度もない。

 けど札幌だけは嫌いじゃないそのスキンシップの意味が違うように感じてはいた。何と言うか、子供帰りをしていると言うか。夜は同室だった私のベッドに潜り込んできて、お互いに体を寄せ合って眠ったくらいだし。


 しかし大和さんを同席させた生みのお母さんとの対面の後はいつもののんちゃんに戻っていた。いや、どこか吹っ切れたようにも感じ、大人びた印象さえも与えてくれた。弟の圭太君の前ではお姉ちゃんだなって顔すらも見せていたから。それがちょっと寂しくもあり、けれど、色んな顔を見せてくれたことに新鮮味も感じた。


 1時間弱をかけてゴッドロックカフェに帰って来ると、メンバーは手分けして機材を下し始めた。すると私たちが帰って来たことに気づいて大和さんが手伝ってくれた。それに対して美和ちゃんが言う。


「お店、いいんですか?」

「うん、まぁ。このとおりで」


 苦笑いの大和さんが視線を向ける先はカウンター席だ。閑古鳥とはこのことを言うのだろう。ものの見事にお客さんの数はゼロだった。賑わっているイメージが強いので、現状に物寂しさを覚える。


「さっきまでは少し入ってたんだけどね。その人たちがチェックをしてからはこの有様」

「あはは。ごめんなさい」


 苦笑いで謝る美和ちゃん。私も思わず苦笑いが浮かぶ。週末なのにいつもいるはずの常連さんたちは私たちが取っちゃって、さっきまで都心のライブハウスにいた。今は電車で帰って来ているのか、それとも向こうでそのまま飲んでいるのかはわからない。

 そう言えば、今日は珍しく勝さんが女の人を連れていた。今日ののんちゃんの寄り道はそれと関係があったりするのだろうか?

 すると大和さんが美和ちゃんに答えた。


「気にしないで」


 いつも大和さんはそう言ってくれる。私たちが出入りするようになってからお店は賑わっているそうで、ライブの日にほとんどお客さんが入らないのも今や慣れたそうだ。月単位や年単位での営業は順調だからと、私たちを安心させる言葉をくれる。


 私はそんな気遣いのできる優しい大和さんが大好きだ。中学生の時までも友達との会話の中で、人並みに格好いいと思える男の子はいた。けどそれが恋愛感情だったかと言うと疑問で――そもそも人見知りだから男の子とはほとんど話せなかったし――恋愛だと自信を持って認識できたのは大和さんが初めてだ。

 そんな大好きな大和さんとは今やお付き合いをさせてもらっていて、私の気持ちはよくどこか宙に浮いたような感覚に陥る。メンバー全員がカノジョだから常識的ではないとわかっているが、それでも大和さんを独り占めするわけにもいかず、けどメンバー以外の人に大和さんを取られたくないから団結している。


 そして先週のビリビリロックフェスの時はカレシである大和さんと初めてキスをした。大和さんに少しばかり気落ちした様子が見えたので、何か慰めることができればとは思っていたのだが、まさかキスをすることになるとは考えていなかった。

 けどとてもいい雰囲気で、凄くドキドキした。それに今まで感じたことがないくらいの幸福感で満たされた。凄く素敵な夜だったと、私の中で忘れられない大切な思い出だ。


「大和さん、今日はもう開店休業?」

「まったく。古都はいつも遠慮なくそういうことを言う。さっきまではお客さんがいたんだから、開店休業ではないよ」


 お店の小さなステージに楽器を据える古都ちゃんが、ドラムセットのセッティングを手伝っている大和さんに言う。手伝ってもらっているのんちゃんは黙々と作業をしていた。


「そう言えば、お店にお客さんがいない時って、大和さんは何をしてるんですか?」


 ふと気になって私はそんな質問を投げかけてみた。大和さんは作業の手を止めずに答えてくれた。


「洗い物とかがなければギターかベースを弾いてるかな」

「バックヤードでですか?」

「ううん。それだと来客の時に気づかないからここで」


 大和さんが言った「ここ」とはつまりステージ上だ。

 今は夏休みだから当てはまらないが、夏休み前までは定期練習があった。今後夏休みが明けるとその日程も変わるが、私たちはそれまでアルバイトをしていたわけで、そのシフトに合わせて来店していた。だからお店にお客さんがいないイメージがなく、大和さんはそんなことをしていたのだと初めて知った。


「じゃぁ、今日も弾いてたんですか?」

「そう」

「仕事しなよ」


 すかさず杏里さんに咎められ、「あはは」と笑って誤魔化す大和さん。私たちが帰って来た時にギターが置かれていたから、今日はギターを弾いていたのだろう。


「今日もこの後は仕事サボって演奏?」


 するとのんちゃんが余計な一言を付け加えて言う。大和さんはばつが悪そうだ。


「まぁそうだけど。そろそろさ、ヤマ……ト……二世の編曲アレンジを始めようかと思って」

「お! とうとう取り掛かるの!?」


 反応したのは古都ちゃんだ。いや、この場の誰もが大和さんに注目する。しかし大和さんはどこか気恥ずかしそうな顔をするのだが、それは仮称とは言え、自分の名前になっているタイトルを口にするからだろう。


「うん、まぁ」

「いえーい!」


 古都ちゃんが両手を上げて喜びを表現する一方、他のメンバーも一様に嬉しそうな表情を浮かべる。件の曲は古都ちゃんが主体になって作った曲だが、メンバー皆で夜通し創作に関わった曲だから、私にも思い入れがある。完成が楽しみだ。


 この後、セッティングを終えた私たちはジャパニカン芸能のミニバンに乗り込んだ。しかしすぐに気づく。


「ごめんなさい。忘れ物しちゃいました」

「いいよ。行ってきな」


 発進する前に気づいて良かった。杏里さんが穏やかに言ってくれて安堵する。


「あれ? 唯?」


 お店の中に戻ると、大和さんがステージから声をかけてきた。椅子に座って本当にギターを膝の上に載せている。今から弾くつもりだったのだろう。


「忘れ物しちゃって」

「そうなんだ」


 私はベースアンプの上に置いてあった髪留めを素早く取った。大和さんからもらった大事な髪留めだ。忘れ物がこれだと大和さんに気づかれていないといいけど。


「そうだ、唯?」

「は、はい……」


 私は大和さんに振り返った。大和さんはいつもの穏やかな笑顔で私を見ていた。どうしよ……慣れないや。やっぱり私は大和さんのことが大好きだ。この笑顔に浮かれてしまう。


「今週末ってバンドの予定以外に予定を入れてたりする?」

「いえ。特には……」

「そっか。それならさ、編曲アレンジ手伝ってもらえないかな?」

「え?」

「唯のキーボードがあると凄く助かるんだ」


 大和さんと2人きりで曲作り、今までなかったな。古都ちゃんの曲作りに付き合っていた昨年度末の集中特訓はずっと3人だったし。けどこんないい機会は逃したくない。そう思って私は答えた。


「私で良ければぜひ」

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