第四十五楽曲 第六節
3曲演奏してはMCを入れる。それを繰り返してサードステージでは3回目のMCに入った。希は息を切らしているが演奏の質を落とすことはなく、ステージでの彼女のスタミナを初めて認識した大和と他のメンバーは、内心で感心するばかりである。
その希の汗の量はメンバーの中で随一だが、弦楽器の3人もなかなか発汗している。4人は下着もインナーに着ているタンクトップも完全に湿っていた。
そして彼女たちに負けないくらい汗をかいているのは観衆だ。希のポジションこそステージの屋根で日陰になっているが、前列の弦楽器と原っぱの客席には日が降り注ぐ。開演当初空を覆っていた厚い雲はどこへ行ったのか、しっかり吹き飛ばされて青空が広がっていた。
響輝と杏里から後ろの観衆はその中でも汗の量が凄まじい。それこそ希と同等だ。なぜなら響輝と杏里も含めて彼らはミニマラソンをしたから。
「セイフク! キュート! KOTO!」
「クロカミ! キュート! YUI!」
加えて響輝と杏里が感じるのは背後からのプレッシャーだ。ビッグアーティストに対する緊張のあまり、運動とは違う汗も流れている。どうやらポールは古都がお気に入りのようだ。
その古都の言葉をマイクが捉える。3回目のMCの最初の言葉で、メンバーは給水を終えたところだ。
『こんなにたくさん、本当にありがとうございます!』
『いぇーい!』
地響きのような歓声も相変わらずで、夏の歪んだ空気をより一層揺らす。
『ここで私たちから発表があります!』
『おぉお!?』
観衆は古都の言葉に耳を集中する。1つ前のステージではスターベイツが解散発表をした。まさかダイヤモンドハーレムまで……なんてことは思っていないが、そんな始まりの3日目のサードステージだから興味は惹かれる。
『公式に発表もありましたが、この度私たちは芸能事務所、ジャパニカン芸能と所属契約をしました!』
『うおー!』
歓声はひと際増す。それこそ古都の美声を晴天の青空に押し上げるかのようだ。
しかし狐に摘ままれたような表情をする者もいる。中には存分に驚いている者までいた。ゴッドロックカフェの常連客だ。スターベイツのステージが始まってからはろくにSNSもチェックしていなかった。
公式発表があるまではと、大和もメンバーも隠してきて、そしてこの時晴れて発表ができたわけである。心情的には本当なら、大和とメンバーが真っ先に伝えたかった相手だ。
「メジャーデビュー?」
「……なの?」
ボソボソっと山田と田中が声を交わす。視線の先には眩い笑顔でステージに立つ古都だ。彼女の汗すら光沢を発する要因となっていて、その煌びやかな様を際立たせるばかりである。事実はまだメジャーデビューではないが、この団体でそれを知っているのは勝だけだ。その勝はうっとりした表情で希ばかりを見ていた。
すると古都が誤解を与えないように補足をする。
『9月1日から私たちはジャパニカン芸能のマネージングのもと活動をしていき、メジャーデビューを目指します』
『いぇーい!』
「おめでとう!」
「頑張れー!」
そんな祝辞の声も飛び交う。つまりメジャーデビューが決まったわけではないのだと、ゴッドロックカフェの常連客は理解した。それでも大きく前進した彼女たちが誇らしく思え、気分がより高揚した。
『メジャーデビューができるように、これからも応援してもらえると嬉しいです』
『うおー!』
「するよー!」
「応援してるよー!」
そんな声は群衆の声に混ざりメンバーには聞き取れないが、観衆の表情から好意的なことは理解できる。それが嬉しくて暖かい気持ちが広がり、メンバーの笑顔はより花開く。
『皆さんの応援に応えられるよう私たちは精進して、そして皆さんにたくさんの愛を届けます』
『いぇーい!』
『それでは最後の曲です!』
『えぇぇぇ……』
『えへへ。ありがとう』
お決まりとも言えるような落胆の声に古都が嬉しそうに言う。その笑顔に多くの観衆が落ちた。中には女までいる。なぜ……?
『STEP UP!』
古都の曲目紹介に続いてカウントが鳴り、演奏が始まった。多くの観衆はこの曲を待っていたと言わんばかりにこの日一番の盛り上がりを見せる。
ダイヤモンドハーレムを既に知っていたファンはその多くがインディーズCDを購入していて、この日のセットリストは全曲わかる。けどこの場ではそのファンも一部だ。しかし今演奏が始まったのはドラマタイアップによって有名になった曲である。曲を知っている観衆が多いと、客席の盛り上がりは増す。
晴天のスキー場に広がるダイヤモンドハーレムの演奏と歌声は、観衆の波に乗って雄大な大地に溶け込んだ。
やがてステージは終わりを迎え、観衆は余韻を引っ張ったままステージ袖に捌けるメンバーを見送った。そのステージ袖では大和がメンバーを迎える。
「お疲れ様。最高のステージだったよ」
「いぇーい!」
かなりテンションの高い古都が大和の脇を通りながら、満面の笑みでハイタッチを交わす。それは大和に続いて泉、武村、メガパンクのメンバーへと流れた。大和は古都に続いて、美和、唯、希を迎えて同じくハイタッチを交わす。皆満足そうでいい表情をしていた。
「大和、ちょっといい?」
すると大和は泉から声をかけられる。「ん?」と首を傾げた大和だが、この場で立ち話が始まることを悟った。メンバーはハイタッチをした流れで控室に消えていくが、武村は泉と一緒にこの場に残るようだ。
「本気でメジャーデビューを考えたいの」
一瞬理解が遅れた大和だが、みるみる目が見開く。
「ダイヤモンドハーレムの……だよね?」
「当たり前でしょ」
大和は自身が高揚するのを理解し、しかしそれを抑える術がわからない。顔から興奮が滲み出るが、そんな大和の表情を見ながら泉は続けた。
「それで、うちの会社を納得させる曲を作ってほしい」
「わかった!」
力強く答えた大和。その勢いに泉も武村も顔を綻ばせる。
その頃、セカンドステージでも2組目の演奏が終わっていた。その控室の一角を陣取る小林とスネイクソウルの雰囲気は暗い。まるでお通夜のようだ。途中から控室にいた小林は客数の動向を把握していて、メンバーは戻るなりモニター画面で把握した。
『セカンドステージ・スネイクソウル。最大:7371人。最終:3036人』
『サードステージ・ダイヤモンドハーレム。最大:5000人。最終:5000人。入場規制』
ダイヤモンドハーレムは入場規制がかかったため、公式には5千人ちょうどだ。しかしエリアの柵の外にも人が詰めかけた。彼らを合わせると、約7千人というのが運営の見立てであった。
スネイクソウルは最大人数こそ数字の上ではダイヤモンドハーレムを上回っているが、最終人数が下回っている。しかも最大に対して最終の減り幅が大きいから、それは演奏中に多くの観客が去ったことを意味する。格下のサードステージと比較すると、これ以上ないほどの恥をかいた。
そんなセカンドステージの様子を知ることもなく、それどころか古都が吹っかけた勝負のことも忘れてサードステージの控室では、ダイヤモンドハーレムとスターベイツとメガパンクが盛り上がっていた。
「小林さん! 潰しましょう!」
セカンドステージの控室ではスネイクソウルのボーカルが小林に詰め寄る。もちろんダイヤモンドハーレムに対してのことを言っている。しかし小林は言う。
「ダメだ」
「なんで!?」
「もう俺たちじゃ敵わない。これを見ろ」
それはジャパニカン芸能の公式ツイッターから発信されたダイヤモンドハーレム所属の告知だった。大手事務所のそれを見た瞬間、スネイクソウルのメンバーは力なく膝をついた。
小林はもう彼らに言葉を贈ることもなく控室を出た。そしてスマートフォンで電話をかける。
「小林です。……。例の件で。……。はい、お願いします。対象はファンキーミサイルのREOです」
短いやり取りで小林は通話を切った。
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