第四十楽曲 第五節

 レコーディング翌日の月曜日。この日は始業式の翌出校日に当たり一日実力テストだ。通常授業は明日からである。昼休みに弁当を食べ終わった古都と美和は固めた席に一緒にいた。そこへ昼食のごみを捨てた希が戻って来る。


「のんさぁ」

「なによ?」


 古都に声をかけられていつものように素っ気なく反応する希。しかしそれにいちいち古都が気にすることはない。


「昨日あれだけ美味しいお弁当作ってきたんだから、学校でも美和みたいに自分で作って持ってくればいいじゃん?」


 そう、希は自宅から弁当の持ち込みをしたことがない。継母の玲子は作る意思を示しているが、希はそれを断っている。希が学校に弁当を持ち込んだのは大和の家で外泊をして直接当校した日だけだ。その日は美和が作ったものだった。


「無理」

「なんでよ?」

「起きれない」

「……」


 呆れて言葉を失う古都と美和。確かに希の寝起きが悪いのは知っているが、昨日のレコーディングだって朝からだったのに。それはもちろん大和に食べてもらうために張り切ったからで、古都も美和もそれをわかっているのだが。


「おーい、ダイヤモンドハーレム!」


 すると教室の端からクラスメイトの男子に呼ばれた。て言うか、個人の名前ではなくユニット名で呼ぶとはどういうことだ? 古都も美和も希もその珍しさに反応して入り口を向いた。


「あの子、可愛くない?」

「なんだ、あいつ。すげーガタイいいな」

「上履きの色、新入生だね」


 クラスメイトのそんな声が聞こえてくる。3人は入り口に目を凝らした。


「げ……」


 古都が満遍なく迷惑そうな顔をすると、美和と希は揃って目を逸らした。なんと訪ねて来たのは仮称末広バンドであった。


「あ! KOTO先輩!」


 古都を発見した健吾が屈託のない笑顔を向けて手を振っている。他のメンバー3人もしっかり従えていた。そして学校だからか、敬称は先輩に変わった。

 ここで古都も無視を決め込み視線を逸らした。しかし最初にダイヤモンドハーレムと呼んだクラスメイトが言う。


「お客さんだぞー!」


 それでも無視を決め込む3人。なんだか面倒くさいのだ。しかしなんと彼らはずかずかと教室に入って来た。


「うおい! 3年の教室に入るのかよ!」


 古都がそんなツッコミを入れるが健吾は意に介した様子がない。随分と肝の据わった新入生である。


「いいじゃないっすか。俺ら、ダイヤモンドハーレムの話を色々聞きたいんですよ」


 前日に唯が悪態を吐いたのも気にしていない様子だ。古都は呆れて頭を抱えているし、美和は1年生の男子に囲まれて困惑しているし、希は養豚場の――基。冷ややかな視線を向けていた。


「昼休みも固まるなんて仲いいんすね」


 お前らもな。――と内心で希が吐き捨てる一方、古都が面倒くさそうに答えた。


「私たち今年は同じクラスだから」

「そうなんすか! ん? でもYUI先輩は違うんすか?」

「一緒だよ。今、3組の友達のとこ――おふっ」


 希の拳が古都の細くくびれたウェストに入った。今食したものが口から出てきそうだ。


「唯先輩3組にいるんだ。俺、行ってくる」


 興味を示したのはガタイのいいベーシストの譲二だ。美和と希は居場所を教えてしまった古都に向かって大きくため息を吐いた。古都はばつが悪そうだ。そして譲二はすかさずこの場から離れた。


「ファンなのはわかったけど、あまりつき纏わないでよ?」

「そんなこと言わないでくださいよ、古都先輩。俺、NOZOMI先輩に興味あるんす!」

「なっ!」

「むむ!」


 突然自分の名前が出て希も反応した。しかも声量を抑えないものだからクラス中にその話は聞こえた。クラスメイトの興味津々な視線が集まる。そもそも新入生がずかずかと3年生の教室に入って来たのだから、最初から注目度は高かった。


「私、カレシいるわよ」

「え! そんな……」


 おいおい、ファンじゃなかったのか。所詮まだ芸能事務所にも所属していないバンドだ。アイドルを見るかのような目の健吾に古都も美和も呆れかえる。と言うか、希。暴露している。教室内の注目度はより高まるばかりだ。


「誰なんすか? 希先輩」

「バンド関係の社会人」

「そんな……」


 社会人という響きに敗北を痛感する男子高生である。そして、希。ギリギリで大和の名前だけは口にしない。


「MIWA先輩は?」


 そう聞くのはギタリストでシャープな眼鏡をかけた巧だ。どこか知的にも見えるが、プライドが高そうで人を見下しているようにも見える。もし誤解なら損な人相だなと思いつつも、美和は同族意識すら覚える。


「私もいるよ。同じくバンド関係の社会人」

「う……」


 プライドをへし折られたようだ。そして教室内がどんどんざわつく。校内で有名な美少女バンドのメンバー2人にカレシがいるとわかったのだから。まぁ、そのカレシは同一人物だが。


「古都先輩は?」


 これはチャラそうなラッパーの裕司からの質問だった。古都はこういう軽そうな男が一番嫌いだ。

 しかしこれで古都も美和も希も悟った。彼が古都推しで、巧が美和推しで、健吾が希推しだ。そして唯を追いかけた譲二が唯推しと言ったところか。


「私も同じくバンド関係の社会人のカレシがいる。因みに唯もだよ」

「ガーン……」


 この発言にとうとう教室内はパニックになった。その情報は瞬く間にSNSを駆使して学校中に拡散された。周知時間、わずか数分。


「ひ、雲雀……、それ、本当なの?」


 声をかけてきたのは隣の席にいたジミィ君だ。古都は「えへへ」とはにかんで誤魔化すだけだったが、ジミィ君にはその笑顔が止めだった。わかっている。自分なんかが釣り合う相手ではない。これだけ容姿がいいのだからカレシができるのも納得だ。自分なんかは相手にされない。ジミィ君はそう自分を卑下した。


「希先輩! 今日一緒に帰りません?」


 しかしめげないのが健吾である。こいつぅ……と希は腹の内で悪態を吐く。カレシが校内の生徒ではないのをいいことに、下校のお誘いである。ただ、ファンでもあるので平常心を保って答えた。


「無理。バイト」

「えー、じゃぁ明日はどうですか?」

「無理。バイト」

「えー、いつならいいんですか?」

「毎日バイトかバンド」


 事実は木曜日こそ多少余裕があるのだが。素っ気ない希を相手にして折れない健吾に、古都と美和はどこか尊敬の念すらも抱いた。巧と裕司はとっくに折れているというのに。


 その頃、3年3組の教室から目的の女子生徒を呼び出して、その教室前の廊下で立ち話をしていた唯。


「どうかな? 朱里ちゃん」

「やりたい!」


 唯の話し相手は昨年のクラスメイトで衣装のデザインをした朱里だ。その朱里は幼気な笑顔で目をキラッキラに輝かせていた。


「ありがとう、助かるよ。メンバーと相談してだけど、もし売れたら気持ちばかりお礼もできるかも」

「部活の一環だからお金は受け取れないよ。それよりダイヤモンドハーレムの活動に関われるのが嬉しいの」

「そっか、そう言ってもらえるのは嬉しい。そうだ、写真のデータが上がったら朱里ちゃんにも送るからメアドも教えてといてもらえるかな?」

「うん。ラインで送っと……く……」


 唯から朱里への用事はなんと、ジャケット写真と歌詞カードのデザインの依頼であった。唯は昨年、最初の衣装を作ってもらった時に、デジタルデザインを朱里ができることを思い出したのだ。それでメンバーと相談の結果、朱里に件のデザインの打診をしようということになったわけである。

 しかしその朱里はガタイのいい男子生徒を目にして言葉が尻すぼみになった。その男子生徒は唯のすぐ背後に立っていた。かなり威圧感がある。朱里の幼気な笑顔も引き攣る。

 そして朱里の変化に気づいた唯。ゆっくりと振り返った。


「ひえっ!」


 怯えて悲鳴を上げた唯は途端に走り出した。


「ちょ! 唯先輩! 逃げないでくださいよ!」


 彼は仮称末広バンドのベーシスト譲二だ。一目散に逃げた唯をすかさず追った。


「昨日はすいませんでした! 謝りたくて来たんです!」


 そんな譲二の声が聞こえていないのか、唯はたいそう怯えた表情で校舎を走る。かなり注目の的だ。しかし恐怖心が先行し、それも気にならない。


「ぎゃー! ごめんなさい! ごめんなさい! 昨日のことは許して下さい!」


 しかもそんなことを叫んでいる。昨日は咄嗟に凄んでしまった唯だが、一晩経って冷静になればビビるのだ。そして今はお礼参りに来られたと思って必死で逃げている。


 結局唯は、予鈴が鳴るまでその豊満な胸を揺らして走り続け、本鈴と同時に教室に滑り込んだ。尤も譲二は途中で追いかけるのを諦めていたのだが。午後のテストはまず息を整えることから始まった唯である。

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