第三十五楽曲 第七節

 片づけが終わった臨時営業のゴッドロックカフェでスマートフォンをスピーカーにして絶句する大和。場所はバックヤードで、大和は事務処理をしていた。すると電話がかかってきたのだ。

 大和の脇に立って腹を抱えて笑うのは杏里だ。声を押し殺している彼女はそれが苦しくもある。


『そういうことだからうちの家族に話を合わせてね』

「……」


 スピーカーから届く希の声に絶句状態の大和は言葉を返せない。電話の相手は希である。返事がないにも関わらず希は続けた。


『とりあえず今のところ、このことをメンバー以外の人に言うつもりはないわ。うちの家族と大和さんとメンバーだけで共有して』

「あはは! あたしもいるよ」

『むむ、その声は杏里さん』


 とうとう我慢できずにここで声を発したのは杏里だ。目に涙が滲むほど笑っている。


『まぁ、杏里さんならいいわ。そういうことだからお兄ちゃんと顔を合わせた時の口裏合わせをよろしく』

「任せて」

『大和さんもよ?』

「……」


 大和は相変わらずである。未だに言葉が返って来ないので希が不服そうに言う。


『唯のことは聞いたわ。だから私も同じ手を使えばうまくいくと思ったの。結果親密度を理解してもらえて、信頼をゲットしたわ。だから大和さん、口裏合わせよろしくね?』

「は、はい……」


 呆然自失の大和がそれだけ答えると電話は切れた。すると途端に「あはは」と声高々に杏里の笑い声がバックヤードに響いた。そして大和のスマートフォンにポップアップされたラインのメッセージ。


『勝:希を泣かせたら地獄の果てまでお前を追い回す』

「……」


 やはり言葉を失う大和である。


「カノジョ2人目じゃん? モテモテだね?」


 機材が敷き詰められた4人掛けのボックステーブルから椅子を引っ張ってくると、PCデスクに着く大和の横に杏里は腰を下ろした。大和はギギギと硬い動きで杏里に向けて首を回す。


「じょ、冗談にならないよ……」


 壊れたスピーカーから出たような声である。杏里からはまだ笑いが引かない。


「唯に続いてのんも父親公認って罪な男だなぁ」


 揶揄ってそんなことを言う杏里は完全に他人事で、この事実を楽しんでいる。しかし大和からすれば顔面蒼白だ。

 メンバーのうち、ギタリストの2人からは過剰なスキンシップを求められた。そしてリズム隊の2人は父親公認のカレシ? あくまで唯の場合は親が勘違いして、希の場合は本人が嘘を吐いた。なんでこういう状況になるのか頭がついてこない。

 ただ、関係性が事実とは違うものの、唯も希も自分から向けた大和への気持ちは本物だ。尤も大和はそれを知らないが。


「あぁ、笑った、笑った。お腹痛い」

「ったく。これから唯のことをどうしようかと頭を悩ませていたのに……」

「そんなこと言わないの。のんの方はこれで解決じゃん」


 解決? 大和の頭に疑問符が浮かぶ。これは本当に誠意ある対応だと言えるのだろうか? いや、絶対に言えるわけがない。口裏合わせを承諾した時点で彼女たちの親に対して嘘を吐くことの共犯だから。

 結果を求める余りイメージとは違う方向に進んでしまい、大和は自己嫌悪に陥った。罪悪感ばかりが募る。しかし一番優先すべきはやはり、彼女たちの現状の活動に対する家庭の理解だとわかっている。だからなんとも嘆かわしく、もどかしくて、やるせない。


「それよりもう仕事終わったんでしょ? 遅くなっちゃうから早く送ってってよ?」

「あぁ、うん」


 まだ呆然とした様子が抜けないが、大和は杏里に言われて席を立った。

 この後大和は車で杏里を自宅まで送り、そのまま柿倉家にお邪魔した。そして唯のことを叔父と叔母に相談した。もちろん面倒くさくなるので、希のことまでは言わない。

 そしてそれを終えると、再び車に乗って自宅のあるゴッドロックカフェに向かうのだが。


「まったく。どいつもこいつも」


 ハンドルを握りながら車内で1人悪態を吐く大和。相談をしたのはいいものの、叔母にとんでもないことを言われて煮え切らない。叔母から出てきた助言は、まさか? と思うし完全に裏技なので、結局は自分で道を模索しようと思うのだ。


 やがてゴッドロックカフェに到着した大和はハイエースをロックし、建物を回って自宅に続く屋外階段を目指す。夏の夜はどこかで鈴虫が泣いていて、その甲高い声が木霊する。

 屋外階段のある裏手は隣の建物の室内灯が視界を確保するだけの明るさを届ける。しかし周囲を塀で囲まれていて足元は真っ暗だ。屋外階段の登り口の脇には店の裏口があるが、店は既に閉めているので、そこから明かりが漏れることもない。

 勘と少しばかりの隣からの明かりを頼りに、大和は屋外階段の入り口に向かって体をUターンさせた。


「ひっ!」

「きゃっ!」


 人とぶつかった。と言っても、触れた程度に過ぎない。まさか人がいるとは思っていなかった大和なので、恐怖のあまり引き攣った声を出した。相手は恐怖の声ではなく、人が近づいていることも感じていたので、ぶつかったことによる驚きだけだ。

 暗いその場所で大和は目を凝らして相手をよく見てみる。


「ん? え!? 唯!」

「こ、こんばんは……」


 ボソボソっと言葉を返したその少女は唯だった。19時の閉店と同時に勝の車で帰宅したはずの唯だが、なぜこんな時間にここにいるのか。今の時刻は既に22時を回っている。大和は心底驚いた。


「ど、どうしたの?」


 暗闇にも目が慣れてきた大和は唯をしっかり見てみる。唯は階段の2段目で膝を抱えて座っており、1段目に足を乗せている。私服姿で、それはこの日唯が着ていたブラウスと膝丈スカートだ。そして脇には大きなバッグがあるが、これは昨日のツアーまで唯が使っていた旅行鞄だ。


「大和さん……」


 大和を呼ぶ唯の声は震えていた。そして唯の左頬を涙が伝った。それを確認して大和は慌てた。


「え? ちょ、どうしたの?」

「うぐっ、うぐっ……」


 そして唯の嗚咽が始まった。見るからにとても話せる状態ではないと思う。大和は唯のバッグを抱えると、唯の肩に手を添えて自宅に上がった。


「なんか飲む?」

「うぐっ、うぐっ……」


 冷蔵庫を開けながらダイニングテーブルに着く唯に問い掛けるが、返って来るのは嗚咽だ。大和は心配そうに唯に振り向く。すると唯は首を横に振った。飲み物はいらないという意味らしい。しかしとても言葉を発することができない唯だから、大和はそういう答え方しかできないのだろうと察した。

 昨日ツアーから帰って来たばかりで冷蔵に飲食物はほとんど入っていない。つまり結局は何か飲むかなんて聞くまでもなかった。あるのはこの日買った2リットルのペットボトルの緑茶だけだ。大和は2つのグラスにその緑茶を注ぐと1つを唯の前に差し出した。


「あ、りがとう……ございます」


 俯いて肩を震わせる唯の視界にお茶が入ってきて、なんとか聞き取れる声で唯は礼を言った。大和はそれを確認すると、自分の分の緑茶をテーブルに置いて唯の正面に座った。首を横に振った唯だが、自分の分だけ用意するのもどうかと大和は思ったのだ。


「落ち着くまでこうしてようか?」

「うぐっ、うぐっ……」


 嗚咽しながらも首を2回縦に振った唯。意思の理解できる反応が返ってきたことに大和はホッとする。


 ピロリロリン♪ ピロリロリン♪


 すると大和のスマートフォンが鳴った。大和は発信者の名前を見て思わず背筋を正し、唯を見た。


「唯のお父さんから」

「うぐっ、うぐっ……」


 泣き顔でぐちゃぐちゃの唯が顔を上げた。彼女は眉尻を垂らして不安げな表情を浮かべている。大和は唯の表情と着信画面を見て、まさか一度帰ってから黙って家を出て来たのではないかと思った。

 唯が不安そうにしているのは気になったが、大和は通話ボタンをタップした。


「もしもし?」

『もしもし、大和君か?』


 慌てた様子の唯の父親。どこか胸騒ぎを覚える大和。


「はい」

『唯が一回帰って来てから出て行ったんだ。電話にも出ない。もしかしてそっちに行ってないか?』

「えっと……」


 案の定であった。正面の唯にもスマートフォンから漏れた父親の声は聞こえているようで、唯はブンブンと首を横に振る。大和は内心嘆息し、そして唯に申し訳なく思うが、これは嘘の吐けるような事柄ではないと感じた。


「はい。来てます」


 唯は肩を落として再び俯いた。


『そうか、やっぱり』

「僕も今帰って来たところで……」

『唯は今お店に?』

「いえ。店はもう閉めたので、今は2階の僕の自宅にいます」

『わかった。すぐそっちに行く』


 随分慌てているようで父親は一方的に電話を切った。静けさを包む室内で、気落ちしている唯の姿が鮮明に浮かび上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る