第二十八楽曲 第五節

 唯もカズも背中にはベースの入ったギグバッグが背負われていて、更にカズの手にはもう1本ベースが握られている。スティングレイを取り返したことでギグバッグが1つ足らず、手に持ったG&Lのジャズベースのギグバッグは、ライブハウスに余っていた貰い物で薄っぺらい。ネオンで夜更けを照らされた仙台の街で、それをカズが唯に差し出す。


「このジャズベ、やるよ」

「へっ!?」


 予想外のカズの行動に固まる唯。今一状況も理解できていない。カズは唯に向けて差し出した腕を一度下げて言う。


「大和さんに憧れてんだろ?」

「は、はい」

「惚れてんのか?」

「…………。はい……」


 顔を真っ赤にして肯定した唯。予想通りの回答にカズは微笑ましく思う。


「大和さん、クラソニ時代はG&Lのジャズべを使ってたの知ってるか?」

「そうなんですか?」


 これは知らなかった。クラウディソニック時代を知らない唯だからだ。しかし今、フェンダーUSAのジャズベースの他にメインとして使っているのが、G&Lのブルーボディーに白のピックガードのジャズベースだ。意外性はない話である。


「このジャズベもさ、大和さんと同じピックアップに変えたやつなんだ。だから唯なら気に入ってくれるんじゃないかと思って」


 確かに惹かれる話ではある。しかし高価なものに対する唯の遠慮の気持ちは拭えない。するとカズは続けた。


「実はこれ、俺も貰い物なんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。高校の時の2個上の先輩が使ってたやつなんだけど。その先輩はメジャーを目指してたはずなのに、高校を卒業すると同時に音楽を辞めちゃったんだ」

「えっと……、大事な人なんじゃ……?」

「ま、まぁ……」

「そんな人から貰ったベースなのに貰えません」


 恐縮してしまい、遠慮を口にする唯。しかしカズは言う。


「そんなこと言わないで受け取ってくれよ。あの人との約束なんだ」

「どういうことですか?」


 街灯に照らされたカズの顔が真っ赤になるのが唯にはわかった。照れているようにも思うが、それがなぜなのかは解せない。

 離れた場所で2人の様子を見守る8人の男女は、下世話なことを勘繰ってヒソヒソしながら締まりのない顔で2人の様子を伺っている。落ち着かないのは大和だ。


「俺がメジャーデビューをする時か、若しくはメジャーデビューを諦めた時、次にメジャーデビューを目指すベーシストに、色んな思いや経験をこのジャズベに乗せて譲るって約束なんだ。正に今がその時なんだよ」


 俯き加減ながらも上目に真っ直ぐ唯を見据えるカズから、唯は目を離せなかった。唯から言葉が出ないのでカズは付け加える。


「そんな思いを託したい後輩のベーシストって今までなかなか出なかったんだけど、唯なら尊敬する大和さんの教え子だし、何より隠れた熱いものを持ってそうだと今日感じた」


 何やら期待と評価をされているようで恐縮する唯だが、しかしカズの気持ちが素直に嬉しくもある。唯の表情は思わず綻んだ。


「カズさんにとって尊敬するベーシストって大和さん以外にもいたんですね?」

「確かに尊敬はしてたけど、あの人は大和さんとは少し違うんだ。先輩ではあったけど、どっちかと言うと一緒に切磋琢磨してた関係かな」

「へぇ。その人は今どうしてるんですか?」

「音楽を辞めてから知ったんだけど、そもそも音楽を辞めたきっかけが妊娠なんだ」

「ほえっ! 妊娠!?」


 この時初めて相手が女だと知った唯。しかし真っ赤なカラーのジャズベースだからイメージが合った。


「どうやら高校卒業前に妊娠したらしくて、それを隠して卒業したんだけど、それで音楽は続けられなくなったんだって」

「えぇ……。趣味とかでもですか?」

「妊娠がわかった途端、相手の男が逃げたんだよ」

「そんな……、酷い……」

「だからシングルマザー。子育てと今は仕事もしてるからとても音楽はできねぇわな」


 それを言う時のカズの視線は儚げで、どこか宙をさ迷っていた。唯はそれを見逃さなかった。


「もしかしてカズさんの初恋……とか?」

「……」


 とうとう耳まで真っ赤になったカズ。図星のようだ。相手の妊娠という事実を後から知って、その初恋は無残にも散った。カズの青春時代の儚い思い出だ。


「ガールズバンド……って言うか、アイドルとかでもそうだけど、女性ユニットが男性ユニットに比べて脱退が多かったり、長く続かなかったりする理由って知ってるか?」


 突然の問い掛けに首を傾げる唯。考えたこともなかった。しかし頭のいい唯だから、話の流れから察するところがある。


「出産……ですか?」

「そう。あと結婚とか。年齢による人気の低下も否定はできないけど、これが一番大きい」


 弱い夜風が2人の頬を撫で、蒸し暑い夏の夜の空気を和らげる。肩ひもに指をかけていた唯は靡いた長い前髪を掻き分けた。髪は束ねたままなので、その量は少ない。


「恋愛や結婚をするなとは言わない。けどやっぱり息の長いバンドになってほしいとは思ってる。それが難しいのはわかるけど、これが俺の気持ちかな」

「カズさん……」


 カズがダイヤモンドハーレムと唯に期待する気持ちがより強く伝わってきた。唯はカズの言葉を噛み締める。


「特にロックをやってると、女のくせにとか言って舐められたり、男に実力で敵わないのを実感したりすることあるだろ?」

「う……、まぁ……」


 色々と心当たりがあって言葉に詰まる唯。

 ライブハウスに行けば観客だと間違えられる。出演者だと言えばその容姿から実力のないアイドルバンドだと言われる。珍しさから体を嘗め回すように見られる。スラップを覚えたての頃は失笑された。U-19全国大会でもやはりメンズバンドには敵わず頂点には立てなかった。


「それでも折れずに続けてほしいし、そんな外野の言葉なんか吹き飛ばすほどの楽曲を発信してくれよ。俺は俺で頑張るから。だから……」

「嬉しいです、カズさん」


 その言葉で顔を上げたカズ。街灯に照らされた唯の笑顔が眩しかった。


「私はこれからも努力する自信があります。古都ちゃんについていけばワクワクする世界を見せてくれるって信じてます。大和さんはしっかり私たちをプロデュースしてくれます。だからカズさんの期待を裏切らない自信があります」

「唯……」

「だからそのジャズベ、ぜひ引継ぎたいです! 私も次に引き継いでいきます!」

「あぁ!」


 カズの表情が綻んだ。カズはもう1度腕を上げ、唯にジャズベースを差し出した。唯は両手でそのジャズベースを抱える。それこそ愛おしんで抱いているようだった。


 一方、遠巻きに2人の様子を眺めていた野次馬ども。カズがジャズベースを渡して唯がそれを受け取ったので、贈り物付の愛の告白は成功かととんちんかんな方向に考えが及ぶ。

 一行の輪に戻ってきた唯は表情が晴れやかで、すかさず古都がニヤニヤしながら言う。


「唯、彼氏ゲット?」

「へっ! 彼氏!?」


 唯はまさかの質問に目を丸くした。


「もう唯は(大和さんの)共有から外すから」

「な、なんでそうなるの!」


 希まで追随するので唯は慌てる。その近くではカズも自身のメンバーから冷やかしを受けていた。


「お前、綱渡り効果か?」

「は!? なんだよ、それ?」


 一番動揺しているのは大和だ。今一うまく言葉にできない複雑な感情を胸に、大和は唯に問う。


「お父さんになんて言うんだよ?」

「ちょ! なんか誤解してません!?」


 そもそも唯の父親の認識は大和と娘がいい仲だが、大和の認識だと唯の父親は大和が倫理観に乗っ取った活動を約束して、ダイヤモンドハーレムのバックアップをするというものだ。それなのに旅先で男を作るなんて……と大和は思っている。


「だから違うって!」


 カズが自身のメンバーに向けて張った声が繁華街の夜空に舞う。


「あわわわわ……」


 唯の困惑がネオンの隙間を漂う。


「唯、ごめん! 後で誤解は解いておくから!」

「お願いしますぅ……。私も誤解が解けるように頑張ります……」


 最後に唯とカズはそんな約束を交わした。そしてダイヤモンドハーレムとメガパンクは各々の宿に向かって別れた。結局この晩、寝る直前まで掛かってなんとか2人は誤解を解いたのだ。合わせて唯がベースを託された事実をダイヤモンドハーレムと大和は知った。

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