第二十八楽曲 第二節

 唯は恐る恐る控室に入る。するとそこにはカズと3組目のバンドのベーシストがいて、ピリピリとした空気を作っていた。睨みを利かせるカズを見て、怒鳴り声の主はカズであると唯はすぐに悟った。


「なんのことだよ?」


 3組目のベーシストは事も無げに答えるが、それは視線を逸らしている唯にも白々しく聞こえた。ただ、唯はその事情がわかっていない。とにかく目的のものを取ってすぐに退散しようと考えた。

 対峙する2人は唯の入室に気づくも構わず続けた。


「これは明らかに俺のベースだぞ! お前が盗んだのか!」


 ピクッと唯の耳が反応する。加えてホールから漏れ聞こえるのは開場前の流れ始めたBGMだ。ホールまで少し離れているし、ドアが開いているとは言え防音処理が施された内装。恐らく2人のこの荒々しい会話は、ホールに届いていないだろうと唯は思う。つまり誰も気づいてはくれない。


「は? 言いがかりだろ? 証拠でもあるのか? メジャー決まったからって調子に乗ってんじゃねぇの?」

「てめぇ! カラーサンバーストのスティングレイで、改造したこのピックアップは間違いねぇよ。俺には地元に憧れてたベーシストがいて、その人のピックアップを真似したんだから」


 カズの言葉で唯に大和との記憶が蘇った。そう言えば聞いたことがある。大和はフェンダーUSAとG&Lのジャズベースをメインで使っているが、G&Lの方はピックアップを変えたのだと話していた。その大和を崇拝しているカズだ。彼が言うのは大和のことで間違いない。

 加えて、リハーサルで気になって、この控え室に来て、近くで物を見て、それで疑いを確信に変えたのだと思った。


「間違いねぇって、お前らとは地元が違うんだよ。さすがに全国探せばどこかにあるだろ?」

「じゃぁ、しっかり見せてみろよ!」

「は? 何をだよ?」

「そのベースに決まってんだろ! ヘッドの裏にその憧れてたバンドの小さなロゴステッカーが貼ってあんだよ」


 それにまたも唯は反応する。目的のシュシュを手にした唯は体ごと2人に向いた。カズと対面するベーシストが握っているスティングレイ。唯の位置からはヘッドの裏側が見えた。


「そんなものねぇ――」

「カズさん! ステッカーを剥がした跡があります」


 なぜ首を突っ込んだのか。虚を突かれて唯を向く2人の男を見て唯はそう思った。言ってから恐怖が湧く。しかし自分同様大和に憧れたベーシスト。そしてその気持ちにゆかりのあるベース。どうにも盗難を思わせる会話。そのすべてが唯を突き動かした。


「ちっ」

「あ! 待てよ!」


 カズと対峙していたベーシストはスティングレイを持ったままカズに肩をぶつけて控室を出た。それを慌ててカズが追いかける。衝動的だった。なんと、唯までもが勢いよく控室を飛び出した。


 16時前の仙台の西日は駆ける3人のベーシストに容赦なく降り注ぐ。勢いで飛び出してしまった唯だが、まさかライブに間に合わないなんて事体は起こらないだろうかとの不安が過る。

 開場は16時。開演は17時。出番は3組目が18時からで、以降30分毎。

 外にまで出てしまったが、その前のライブハウス内ではこの3人のバンドの関係者の誰とも会わなかった。それでもすれ違ったスタッフや他のバンドマンはいたので、様子は伝わっているはずだと唯は信じる。スマートフォンは貴重品と一緒に大和に預けたままだ。


 運動の得意ではない唯だが、前を走る2人の男のベーシストに必死で食らいつく。飛び出した時に手に持っていたのはクリスマスに大和が贈ってくれた中の1つのシュシュ。走りながらそれを使って髪を後頭部で束ねた。ポニーテールになって髪が鬱陶しいと思うことはない。

 しかし今はステージ衣装のセーラー服。かなり目立っている。ベースを抱えて走る男を追うカズ。そしてセーラー服姿でその2人を追う自分。スカートの裾が浮き上がるが、ステージのために見せパンは穿いているからこの際気にしていられない。ただ胸の揺れが激しく、行き交う人がそこに注目をする。


「待てって!」


 前方を走るカズがベースを抱えたベーシストに怒鳴りつける。逃げているのだからそんなことを言っても止まらないだろうと冷静に思う唯だが、裏腹にそろそろ限界でかなり息が上がっている。汗でセーラー服の下に着ているキャミソールが肌に張り付く。


 前の2人は路地を折れた。唯は最後の力を振り絞る。ここで見失っては最後。もう2人の背中を捉えることは叶わないだろうと確信した。


「てめぇ!」


 カズの怒声が聞こえたかと思ったその時、路地の入口に到着した唯はその光景に目を疑う。なんと追われていたベーシストがカズに馬乗りになって、ニヤつきながらカズの頭を押さえつけていた。しかも拳を振り上げている。

 バンドマンにとって命と同等とも言える手でなんということをしているのだ。更にはこんなところに誘い込んで、盗難被害者を攻撃することで動けなくしようとしている。それでカズをライブハウスに戻らせないつもりだ。やり方がなんとも汚い。


 目の前の惨状に思わず口に手を当てて「ひいっ!」と声を出す唯だが、通信機器も持っていないこの状況で警察も呼べず、考えなく路地に突っ込んだ。とにかくカズの身が心配である。

 カズは暴れており、続けて怒声を発する。まだ暴行は受けていない様子だ。スティングレイは近くの建物の傍に寝かされていた。と言っても、寝かせたのか、投げ出されたのか、それを唯が知る由はない。


「こんのヤロォ!」


 カズが体を入れ替えて、今度は逆に相手のベーシストに馬乗りになった。そして拳を握り、腕を振り上げる。考えなく突っ込んだ唯はそれこそ反射的だった。


「だめえええええ!」


 カズの振り上げた腕に抱き着くように体をぶつけた唯。その時の衝撃でカズの上体が揺れた。しかし馬乗りになった相手を逃すことはなかった。


「カズさん、ダメです! ステージに立てなくなっちゃいます! 指が……メジャーが……」


 力いっぱいカズの腕を抱え込む唯の声は震えていた。衝動的で反射的な行動だった。けどやっぱり普段大人しい唯にとっては怖かったのだ。身体もガタガタ震えていた。カズは下にいる男を睨んだままだが、唯の震えが伝わり少しずつ血の気が引く。荒くなった呼吸を整えようと何度も大きく深呼吸をした。


「ふぅ……、ふぅ……。すまん。もう大丈夫だ」

「は、はい……」


 唯はそっとカズの腕を解放した。途端に膝に強い痛みを感じる。両膝とも地面についた時の衝撃で擦りむいていた。血も滲んでいるが、この時誰もそれには気づいていない。

 カズは両手で下にいる男の胸倉を掴み引き上げた。唯がビクッとする。まさかと思ったが、怒気を含みながらも冷静な様子のカズを見守る。


「それ、どこで手に入れた?」


 カズが言った「それ」とは、無論傍に寝かされているスティングレイのことだ。カズを止めることに必死だった唯はベースの存在を思い出し、カズから離れてそのスティングレイを拾い上げた。硬い地面に放置されていたスティングレイだが、目立った外傷はないようだ。ヘッドの裏にはやはりステッカーの剝がされた跡がある。


「お前、俺たちとは地元違うだろ? どこで手に入れたんだよ!」

「カズさん!」


 カズが胸倉を掴んでベーシストを前後に振るので唯が名前を呼んで制した。カズは唯の声でまた少し冷静さを取り戻し、胸倉を掴んだ状態に留める。先ほどから馬乗りされているベーシストは開き直ったような薄ら笑いを浮かべていた。

 このベーシストが所属するバンドも地元はここではない。そうかと言ってメガパンクやダイヤモンドハーレムとも違う。以前盗難に遭ったカズのベースをなぜ彼が持っているのか、カズはそれが解せなかった。


「はっ。まさかお前のだったとはな」

「質問に答えろよ!」

「知り合いのバンドマンからもらったんだよ」

「はぁぁぁあ!?」


 この後馬乗りされているベーシストの口から出たのは、メガパンクと交流のある地元のバンドだった。それを聞いてカズは、そのバンドのベーシストがメガパンクのメジャーデビューを僻んでカズのベースを盗んだのだと理解した。良好な関係のバンドではなかったのだ。

 ただ、盗んだはいいものの実行犯はその処理に困った。すると馬乗りされているベーシストが引き取ると申し出て、地方ライブで盗んだバンドと対バンライブをした際、盗品であることを知って受け取っていたのだ。しかしそれがカズの物だとは知らなかったのである。


「おい! こら! 止めないか!」


 突然路地に入り込む怒声。3人が通りの方を向くと制服の警察官が駆け寄って来ていた。

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