第七楽曲 嫉妬

嫉妬のプロローグは古都が語る

 GW合宿と翌土曜日の通常練習を終え、学校のある日常が再び始まった。私は学校が好きなので五月病というものに縁がないのだが、それを今朝ママに話したところ。


「五月病は学生に言うのも間違いではないけど、基本的に社会人に使う言葉よ」


 と言われた。そうなんだ……。

 そんな今週2日目の火曜日の朝、家から徒歩圏内の学校に歩いて登校している時、後ろから自転車のブレーキ音とともに声を掛けられた。


「古都ちゃん、おはよう」

「あ、唯。おはよう」


 自転車に跨ったまま私の隣に並んだ彼女は大事なバンドのメンバーでベーシストの唯。中学校区が隣で、家の方向が同じだからメンバーの中ではこうして登校中に遭遇することが一番多い。他のメンバーだとギタリストの美和が電車通学で、ドラマーのがバス通学なので、交通の時間に縛られない私と会うことはそれほど多くはないのだ。


「昨日からバイトだったんでしょ? どうだった?」

「緊張したし、疲れたよう……」


 自転車を降りて押し始める唯は疲労の色を見せるが、長い前髪が根元から額の辺りで浮いていて、今まで自転車を漕いで来たことで風を受けたのだろうとわかる。その過程の方がよほど唯から疲労を感じる。


「美和ものんも昨日からだよね? 美和は心配ないとして、のんはあんな無愛想で大丈夫かな?」

「大好きな本に囲まれた職場だし大丈夫だよ」


 人見知りの唯だが、合宿中に一つのベッドで一緒に寝たことでかなり打ち解けたような気がする。普段からこれほど話ができればさぞモテるだろうに。それに唯の真っ直ぐな黒髪は綺麗で、和風美人と言った言葉が似合う。そして唯の目が他の男子に向いてくれれば恋のライバルが一人減ってバンバンザイだ。とうとう美和までライバルになったようだし。

 そもそもの話なのだが、なぜメンバー4人とも大和さん狙いなのか。私が真っ先に目を付けたのにまったく、もう。


「古都ちゃんはバイト今日からだよね?」

「うん!」

「気合入ってるね」

「あったりまえよ」

「私なんか緊張でバイト先に向かうのも億劫だったのに……」


 唯は昨日から喫茶店でのアルバイトが始まった。同じく昨日からアルバイトを始めた美和はコンビニで、のんは本屋さんだ。私は今日から始まる。月曜日が私、火曜日が美和、水曜日が唯、木曜日がのんのオフで、それぞれオフ日はゴッドロックカフェに顔を出す。

 私達はカフェの常連さん達には凄く可愛がってもらっている自覚があり、その常連さん達の要望でそれぞれ1日ずつオフをずらして来店するのだ。金曜日から日曜日の週末はアルバイトをせず、その内金曜日と土曜日の練習日も強制ではないが、メンバー全員が店に残って顔を出すことで意見を合わせている。


「ちょっと待っててね」

「慌てなくていいよ」


 校門を抜けると唯が駐輪場に自転車を入れに行ったので、私は駐輪場の出口で唯を待つことにした。その時近くを歩いていた3人の女子生徒が、私の前を通過する際に振り返ってコソコソ笑っていたのだが、何だろう? お友達なら大歓迎だから積極的に話し掛けてほしいのだが。


「ごめん、お待たせ」

「うん、行こう」


 やがて唯が駐輪場から出てきたので、私達は肩を並べて昇降口に向かった。五月の陽気は暖かく、ブレザーを脱ぐ日も近いなと感じさせる。


「これから金曜日の練習日は学校まで楽器を持って来なきゃだね」

「それなんだよね。練習開始日に美和がそうしてたもんね……」


 そう、これから学校がある金曜日の練習日は、放課後ゴッドロックカフェに直行するため楽器を学校まで持ち込まなくてはならない。それが大変そうで気が滅入るのだ。私や美和はまだマシかもしれないが、自転車通学の唯が一番重いベースなので心中察する次第だ。


「のんちゃんはスティックだけだから楽チンだね」

「楽器は店に常備だからね。それでもバイト代入ったらスネアとペダルは買うって言ってなかった?」

「うん。だけどそれは店に置かせてもらうって。家では電子ドラムだからなくても困らないって言ってた」


 なんと羨ましい。演奏中は一番重量のある楽器に囲まれた小柄なのんだが、移動中はそれほどまでに身軽とは。


「しかしあの強烈なシスコンのお兄さんが電子ドラムの時みたいに買ってくれないのかね?」

「そもそもバイトを始めたのだが、お兄さんの援助を受けたくないのが理由だって言ってたよね」

「あ、そっか。のんはお兄さんにツンツンしてたからね」

「のんちゃんってお人形さんみたいで可愛いからお兄さんの気持ちもわかるけどな」


 まぁ、確かに。間違いなくあのタイプが好きな人には堪らないのだろうと思う。萌えるキャラなのだと私は理解している。

 とは言え、唯も美和もなかなか相当だ。どちらも美形だし、おっとりした唯に、クールな美和。需要があることは間違いない。

 私はバンドのセンターなのに、脇がこれほどまでに高レベルだと恐れ入る。アイドル系を目指しているわけではないのだが、それでもステージを目指す女子として最初のインパクトになるのは容姿だと断言できる。


「そう言えば古都ちゃん?」

「ん?」


 ふと疑問を投げ掛ける唯に私は足を止めず唯を向いた。唯の表情はちょっと遠慮がちだ。


「結成して始動したのはいいんだけど、私達って何を目指してるの?」

「え?」

「いやね、部活なら文化祭のステージを目指すとかあるでしょ? けどそうじゃないから私達の目標は何だろうと思って」


 なんたる不覚。私は軽音楽に憧れてこの高校に入学して、しかし軽音楽部が廃部していて、それで大和さんを頼った。そしてメンバーを集めてバンドを結成したのだ。それなのにその先の目標を設定していないとは何事だ。


「今日の昼休みにミーティングをしよう」

「え? どこで?」

「軽音部の元部室」

「わ、わかった。お弁当食べ終わってからでいいよね?」

「うん。それで大丈夫。私達の目標を設定する」


 拳を握り天を仰ぐと、唯が笑顔で「うん」と答えてくれた。俄然気合が入る。GW前にクラスに友達ができたのんからは、もうのんの教室に来てお弁当を食べるなと言われてしまったし、いつまでも華乃をほったらかしにするのも気が引ける。だから唯の言う時間で大丈夫だ。


 そして私は唯と一緒に昇降口まで辿り着いたのだが、そこに存在した違和感。唯と離れて自分の下駄箱の蓋を開けた私の目に入ってきたのは……。


「砂?」


 一瞬体育の授業の時にグラウンドの砂を運んでしまったのだろうかとも思ったのだが、その砂は上段の上履きの棚にあった。少量ではあるが上履きのスリッパを少し汚している。


「なんだよ、もう」


 私はスリッパに付着した砂を昇降口の床に叩き落とすと、もう汚れていないことを確認して足を突っ込んだ。付着と言ってもこびりついていなかったことは幸いである。しかし一体どこから運んでしまったのだろう。


「どうしたの? 古都」


 その声に顔を上げると昇降口を上がった先の廊下にのんが立っていた。一体いつの間にいたのだ。と言うか、まずは挨拶だろう。


「いや、別に。おはよう」

「おはよう」


 挨拶を返してくれたのんだが、その後すぐに踵を返した。相変わらず冷たい。


「あ、のんちゃんおはよう」

「唯。おはよう」


 唯とすれ違ったのんはスタスタと自分の教室に向かって歩いて行った。せっかくバンドのメンバーに会ったのだからもっと仲良くしようよ。


「あ、しまった。ミーティングのこと言うの忘れてた」

「あとでグループラインに書いとくよ」


 普段はオロオロしがちな唯だがこういうところはマメである。のんと美和への連絡は唯に任せて私はその唯と一緒に教室へ向かった。

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