7
スクラップの山の中から、使えそうな鉄屑を毎日探していた。どこで水浸しになっていたのか知れない汚臭のする赤錆びた板金、ネズミの死体が入った水道管などの中から綺麗になりそうなものを選び、換金してもらう。
兄弟姉妹のうち、もう十分に働けると判断された六歳以上が毎日その作業にあたり、ようやくかき集めた金で家族九人が暮らしていた。末の弟と妹は、ようやくよちよちと歩けるようになったばかりの双子だった。
スクラップの山を前にして、ため息をひとつ。あきらめなのか不満のあらわれなのかは自分にもよくわからない。
ただ、あまりにも夏の空が青いので、ふり仰いで目を細めていたとき、ふいにどこからか小洒落た帽子が飛ばされてきた。ハットなんて紳士の被るものがどうしてここに。そう疑問に思う間もなく、あの汚い鉄山に落ちるのはもったいなさすぎると、気がつけば駆け出していた。
ふわりふわりと不安定に吹かれているそれを目指し、登るそばからがらがらと崩れていくガラクタたちを掻き分け、両手を伸ばす。広げた手のひらに帽子はすとんと落ちてきて、ああ、汚れなくてよかったと自然と笑みがこぼれたところで「少年」と声をかけられた。
振り返るとこんなゴミの掃き溜めに似た場所には不釣り合いな、身なりの整った老紳士が立っていた。良質な生活をしていることが着ているものや雰囲気に滲み出ているその人に、大変恐縮したことを覚えている。
「あ、あの、これ、すみません! ここにあるものは汚いから、落ちるのもったいないと思って」
慌てて駆け寄り、帽子を差し出した。その人は「ふむ」といいながらひとつ頷き、「君の名は?」とやさしく掠れた声で尋ねた。それから家の場所も問われ、流れのままに案内すると、不審な顔をして出てきた母親にぽんとアタッシュケースを手渡した。中を見た母親は目を剥いた。
「先程のご子息の機転に感動したのです。是非とも一緒に来てほしいと思いましてね。ご家庭から労働力を一人奪うことになるのですから、これくらいはさせていただけませんか」
その人は穏やかにほほえみながらそう告げた。アタッシュケースいっぱいの札束は、家族九人がひと月にかき集める金額のゆうに百倍を越えていた。そうして気まぐれに組織の人間に買われたことが始まりだった。
今なら、あのアタッシュケースの五倍の額を週に一度は稼げる。そうなってはじめて、自分がはした金で道楽的に買われたことを知った。
家族八人が世間の中流家庭と同じ生活をしたいと思ったら、あの額では一年ともたない。貧民街で変わらない生活をしたとしても、一生はもたないだろう。そういう額だった。
嫌な夢を見ている。夢だとわかっているのにどうすることもできない。そのうえ鐘の鳴る轟音がきっかり六つ響いた。まだ覚醒に至らない身体では耳を塞ぐこともできない。
苦痛だけが渦巻く世界をただひたすらに耐えていると、遠く、鐘の余韻に震える空気の中を少年の歌声が伝ってきた。導かれるようにして目を覚ます。小さな部屋にはベッド以外になにもなかった。しかし変わらず、どこからか彼の声が反響している。嫌でも聞き慣れたメロディ。聖女の名を冠した祈りの歌。少し掠れたやわらかな高音が聞こえる。
教会の中央を貫くようにして上へと向かう螺旋状の階段は、途中から壁がなくなり外の景色を一望できるようになっていた。歌声を辿って着いた先は屋上で、中央には一抱えもある鐘が鎮座していた。その向こうで、少年が縁にもたれかかって歌っていた。市場はすでに活動をしているかもしれないが、まだまだ昇りたての太陽は若く、暑くなるのはこれからというときだ。
「朝の礼拝はいいのか」
歌い終わるのを待ってから尋ねると、こちらに気づいた少年は街を背にして少し笑った。
「まだ祈りの意味もよくわかっていなかった頃、じっとしているのが嫌で、シスターにお祈りの代わりにここで歌いたいっていったら許可されちゃったんだ。そっちのほうがきっと神様もお喜びになるだろうからってさ」
「おまえってやつは……まったく」
眼下に広がる街を少年と共に見渡す。ここに来るたびに通ってきた赤レンガの住宅から、ぽつぽつと人が出てきていた。これから仕事に向かうのかもしれない。いつも洗濯物がはためくばかりで、人の気配がしなかったのに、確かにあそこで暮らしている人間がいるらしい。上のほうではすでに朝市が大盛況となっていた。
「学校はどれくらい遠いんだ?」
「鉄道で片道三時間くらい」
思ったより遠いな、と少しだけ落胆した。かといって近かったら何かするというわけでもないが。
「いちいち戻ってくるの、大変じゃないのか」
「うん。まあ寄宿学校だから普段はもう戻ってこれない。でも夏休みみたいな長期休暇とか、聖誕祭や年越しには帰ってくるよ」
屋上の縁に顎をのせた少年がこちらを見やる。
「俺が遠くへ行っても、俺の歌が聞こえなくなっても、俺の幸せを祈っててくれるの?」
確かめるように聞いてくる声音が少し意外だった。なんとなく頭を撫でてやりたいような気持ちになる。
「もちろん。君がどこに行こうと君の幸せを祈っているよ」
「そっか」
少年は穏やかな顔つきで視線を逸らし、再び街を見下ろした。
「それってけっこう嬉しいな」
口元はゆるやかに弧を描いていた。
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